鏡のような美しい魚体&長い糸を引く鰭<イトヒキアジ>を食べてみた 幼魚は見て・成魚は食べて楽しむ?
2013年の初夏。港で釣りをしていたところ、表層を優雅におよぐ2匹の魚の姿が見えました。その正体は、アジ科のイトヒキアジでした。
イトヒキアジの幼魚は定置網などで漁獲された様子を見たことはあったものの、海で泳いでいる姿を見たのはこれが初めて。
このイトヒキアジとは、一体どのような魚なのでしょうか。
美しいイトヒキアジの幼魚
2013年の初夏。静岡県の遠州灘に面した港で魚釣りをしていると、海の表層を青みを帯びた、美しい魚が2匹泳いでいました。
特徴的なその姿、筆者はすぐにその魚の名前を、指をさしながら大声で発していました。
「イトヒキアジだ!」
お世辞にも綺麗といえない、大雨の影響で濁った海の表層を泳ぐ、イトヒキアジの美しさに私は見とれていました。
その後、2匹のイトヒキアジは表層を泳ぎ回ったのち、長い鰭をたなびかせながらくるり、と向きを変えて、沖合の方へと消えていったのでした。
その日は釣りをした場所にサバやアジの群れが入り美味しくいただきましたが、筆者がこの日の釣りでいまだに思い浮かぶのは2匹のイトヒキアジが表層をおよぐさまと、筆者の足を刺したハオコゼによる痛みでした。
イトヒキアジとの初めての出会いは高校の文化祭
筆者が生きたイトヒキアジを見たのはこれが初めてではありません。私とイトヒキアジとの出会いは2005年の秋にさかのぼります。
それは当時、筆者が通っていた福岡県の日本海側に面した高校(水産高校)の文化祭の際にイケスで泳いでいた個体で、多数入っていたカンパチの中を1匹だけで泳いでいた個体で、地元の漁師さんが獲ったものを学校のイケスに持ってきたようです。
イトヒキアジは静岡県や福岡県だけでなく、北海道から沖縄県までの各地で漁獲されています。
しかしながらイトヒキアジはもともとは熱帯・暖海に生息するものと思われ、北日本に出現する幼魚は越冬できない、いわゆる「死滅回遊魚」であるものと思われます。
筆者が初めてイトヒキアジを手に取ったのは2006年の10月のこと。この個体は高知県大月町の道の駅で売られていた個体でした。
袋にはられたシールには名称「かがみ」とあり、この名称は高知県でこの種を指す地方名のようです。また、高知県では「かがみうお」とも呼ばれておりますが、この名称はカガミダイやギンカガミなどにも使われることがあるようです。
イトヒキアジの伸びる鰭条は背鰭と臀鰭の軟条で、これは毒性が強いハコクラゲの仲間に擬態するものであるという説があります。
実際に泳ぎ方もハコクラゲ類によく似ているところを感じましたので、擬態の一例といえるかもしれません。
イトヒキアジの成魚はどんな姿?
イトヒキアジの幼魚は背鰭・臀鰭の軟条がよくのび、優雅ではありますが、成長するにつれてこれらの軟条は短くなってしまいます。
最終的には1メートルになり、最終的には背鰭の鰭条が短くなることが多いようです。下記写真は全長60センチを超える個体で、まだ背鰭・臀鰭の鰭条が伸びています。
分布域は広く、太平洋、インド洋、大西洋に見られます。写真撮影されたのを見た限りでは、大西洋の大型個体については背鰭だけでなく臀鰭の鰭条も短くなっていることが多いように見えますが、種による違いなのか、個体群の違いなのかは定かではありません。
Zeus ciliaris(=Alectis ciliaris)はインド洋の個体をもとに学名がつけられており、もし今後研究がすすみ、インド~太平洋のものと大西洋のものが別種とされても日本産イトヒキアジの学名が変更される可能性は低いように思われますが、今後さらなる研究が必要そうです。
なお本種が新種記載された際の属名Zeusはマトウダイ属のことで、背鰭の鰭条が伸びるさまからマトウダイ属とされたのかもしれません。
よく似たウマヅラアジ
イトヒキアジによく似たアジにウマヅラアジScyris indica(Ruppell, 1830)という魚がいます。ウマヅラアジはかつてイトヒキアジ属のなかに含められていましたが、現在はウマヅラアジは別のウマヅラアジ属とされています。
イトヒキアジ属はイトヒキアジのみの1属1種で、ウマヅラアジ属はウマヅラアジのほかにアレクサンドリアポンパノという、地中海と西アフリカに分布する大西洋産種を含みます。
従来は、イトヒキアジ、ウマヅラアジ、アレクサンドリアポンパノの3種はいずれもイトヒキアジ属のなかに含められてきましたが、2021年に従来のCarangoides属およびその近縁属の分類学的再検討が行われ、ウマヅラアジとアレクサンドリアポンパノの2種についてはイトヒキアジとは別属とされ、ウマヅラアジ属にうつされました。
昨今、分子系統学的解析が盛んで、この分類学的再検討も分子分類学的解析の結果といえますが、従来通りの形態的な特徴も組み合わされています。
イトヒキアジとウマヅラアジは頭部の形状で見分けることができます。イトヒキアジは頭部の眼前方の背縁(矢印)が突出し、ウマヅラアジのその部分ではわずかに凹むことが特徴です。
また成魚は眼と口の間隔が広かったりすることでも見分けられるかもしれません。
イトヒキアジとウマヅラアジの違い 正面からみた口の上方の形
もうひとつ、イトヒキアジとウマヅラアジを外見で見分けるためのわかりやすいポイントは正面からみた口の上方、上唇背縁のかたちで、イトヒキアジの上唇背縁は結合部付近で円くなり上方に突出するのに対し、ウマヅラアジでは上唇背縁は結合部付近で急激に突出する形状になることで見分けられます。
幼魚においてはイトヒキアジの幼魚は腹鰭軟条が伸びないのに対し、ウマヅラアジの幼魚は腹鰭軟条も糸状に伸びることでも見分けられますが、やはり成長すると腹鰭の軟条は短くなってしまいます。
ウマヅラアジも大型種で全長1メートルを超えるくらいになります。ウマヅラアジはやや南方を好むらしく、日本においては山口県、宮崎県、鹿児島県、沖縄本島などで確認されている程度です。
海外ではインド~西太平洋に産しますが、大西洋では見られません。
イトヒキアジは美味しいぞ!
「アジ」という名前は『新釈 魚名考』によれば、「美味な魚の意であろう」とされています。しかし、同じ本では「肉は少なくて、まずいため食用にはせず、観賞魚にしている」との記述が見られます。
実際にはイトヒキアジもほかのアジ同様食用になっており、たとえば1975年の『魚類図鑑 南日本の沿岸魚』においてはイトヒキアジは食用魚という記述もあります。
一方で有名な山と渓谷社『日本の海水魚』では、食用としている旨の記述があるものの、「やや独特な匂いがある」という評価になっています。
しかし、筆者は何度もイトヒキアジを食しているものの、実際にはそのような独特な匂いは感じられませんでした。なお、調理法としては刺身とフライで食しています。
イトヒキアジを刺身で食べてみた
下記写真は2012年に撮影したもので、底曳網漁業により漁獲された体長30センチ弱のイトヒキアジを刺身に。身はとくに匂いもなく、ほかのアジほど脂はのっていなかったものの、さしみ醤油で美味しくいただきました。
続いて、先述の大型個体のお刺身。イトヒキアジの刺身は身が白くて美しく、脂ののりが非常に良さそうに見えます。
実際に美味しいのですが、脂が非常によく乗っており、なかなか全部は食べきることができず、このひとつの皿に盛られた分をすべて食べるのに2日もかかりました。
刺身を食べきるのは時間がかかり、もう半身は別の料理でいただくのがいいのではないかと判断。ということで、もう片方の身はフライにして食べました。
これが大当たりで、やわらかい身が食べやすく、脂もほどよく美味しくいただけました。
イトヒキアジは大型になるアジ科としては比較的安価であり、漁師さんもあまり利用しないのか、それなりの大きさのものでも「未利用魚」として扱われていることがあるようです。
しかしながらかなり美味しいため、販売されているようでしたらぜひとも食べてみてほしいと思います。
水族館でも見られるイトヒキアジ
イトヒキアジは水族館でも見られ、水量の多い水槽で飼育されることがあります。鰭条が細く、繊細そうな印象を受けますが実際にはそれほど弱いような魚ではなく、丈夫でほかの魚と飼育されることもあります。
ただし、イトヒキアジの特徴である、長く伸びた鰭条はほかの魚につつかれるなどして、小型の個体であっても短くなってしまっていることもあります。
イトヒキアジやウマヅラアジの幼魚はまれに観賞魚店で販売されていることもありますが、大きな遊泳スペースを必要とし、水槽飼育でも30センチは超えるため、ホームアクアリウムでの飼育に適した魚とはいえません。
ですから、よほど大きな水槽を用意できるアクアリスト以外は手を出すべきではないといえます。そのため水槽よりも、水族館または食卓で楽しむべき魚といえるでしょう。
もちろん、水槽内で成長したものを海に逃がすということはやめるべきでしょう。
(サカナトライター:椎名まさと)
謝辞と参考文献
今回のイトヒキアジは石田拓治さん(長崎市・マルホウ水産)より、ウマヅラアジは田中 積さん(鹿児島市・田中水産)より入手しました。ありがとうございました。
榮川省造(1982)、新釈 魚名考、青銅企画出版
Kimura, S., S. Takeuchi and T. Yadome, 2022. Generic revision of the species formerly belonging to the genus Carangoides and its related genera (Carangiformes: Carangidae). Ichthyol. Res. 69(4):433-487.
小枝圭太・畑晴陵・山田守彦・本村浩之(2020)、大隅市場魚類図鑑、鹿児島大学総合研究博物館
中坊徹次(2013)、日本産魚類検索 全種の同定 第三版、東海大学出版会
日本魚類学会編(1981)、日本産魚名大辞典、三省堂
岡村収・尼岡邦夫(1997)、日本の海水魚、山と渓谷社