戦場カメラマン渡部陽一の流儀 写し出すのは“戦場にある家族愛” 【テレビ寺子屋】
戦場カメラマンの渡部陽一さんは、紛争地で生きる家族や子供と時間を共にするようにしているそうです。それは、極限状態にある中で大きな希望の力になる家族愛や思いやりを写し出し、伝えていくためです。
テレビ静岡で7月28日に放送されたテレビ寺子屋では、戦場カメラマンの渡部陽一さんが、戦場で生きる人々の取材を通して伝えようとしている、子供が置かれている状況や家族愛について語りました。
子供を脅かす「第2の戦争」
戦場カメラマン・渡部陽一さん:
僕は紛争地に立たされている家族、子供たちと時間を共にさせてもらい、生活の中で見せてくれる言葉や表情を徐々に写真に残していくことが多いです。時間はかかりますが、まさに一つ屋根の下で触れ合うことができ、素の声を聞くことができる。戦場の日常というものがどんなものなのか肌で感じ取ることができるからです。
戦場だからどこもかしこも破壊されているわけではなく、実は一部が破壊されていても、その周辺では家族や子供たちの日常というものが日々繰り返されているのです。
国と国との戦いが始まったとき、その国の兵士たちが武器を使って命を奪い合う戦争だけではなく、秘密のうちに打ち込まれる化学兵器、危険な武器によってその地域で生まれてくる新しい命が危険にさらされていく「第2の戦争」というものが、世界中で続いています。
戦場では医療施設、病院が決して安定して存在しているわけではなく、それぞれの国や組織が戦いを優位にするために、あえて相手の地域の病院を破壊することが戦術として繰り返されています。
お医者さんがいなくなり、医療機器が破壊され、子供たちの薬が燃やされていく。化学兵器の影響で命の危険にさらされている幼い子供たちを、世界中の紛争地では救い出すことができません。助かるはずの幼い命が当たり前のように奪われています。
危険な故郷と向き合う人々
そんな戦場という極限の中で、どんなときでも必ず家族や友人みんなが近くにいて、限られた薬や少ない食料を子供たちに分け与えていく。それが一日一日小さな子供たちが生き延びていくための最後の力なのです。
それぞれの紛争地で戦争に巻き込まれた家族、子供たちというのは、どんなに厳しい環境の中でも、自分たちの生まれ育った場所、故郷を思い、暮らしています。
戦場からどこか遠い場所へ逃げれば大丈夫なのではないか、少しでも戦争がない場所に動けばいいのではないか、確かにいろいろと安全を確保する方法はあるのですが、故郷と大切に向き合い、そこで何百年何千年と暮らしてきている家族の歴史というものが存在しているのです。
愛情や思いやりが生きる希望に
お父さん、お母さんが子供たちに感じる愛情や、子供たちが両親に感じている温かい思い、これは戦場であっても日本であっても他の国であってもみんな一緒。
一つ屋根の下に家族の時間があり、子供たちの日常があり、お互いが一緒にいる温かい気持ちがある。戦争という悲しみがあったとしても、思いやる寛容の気持ちにあふれている。これは日本から戦場に行くたびにいつも感じている柔らかく優しい、大きな希望の力です。
今、この瞬間も世界で続くたくさんの戦争。どの戦争でも変わらないこと、それは「戦争の犠牲者はいつも子供たち」だということ、そしてその土台には必ず家族みんなを思いやる温かい気持ちがしっかりと根を下ろしていることを、これからも写真を通じて届けていきたいと思っています。
渡部陽一:1972年静岡県生まれ。明治学院大学法学部卒業。学生時代から世界の紛争地域を専門に取材を続ける。戦争の悲劇、そこで暮らす人々の生きた声に耳を傾け、極限の状況に立たされる家族の絆を見据える。
※この記事は7月28日にテレビ静岡で放送された「テレビ寺子屋」をもとにしています。