就労継続支援B型事業所「ひょん」~「なんでそんなん?」が価値に変わる。利用者も地域もゴチャ混ぜで一緒に輝く古民家
日本の社会福祉は、高齢化や障がい者支援のニーズが高まる一方で、人手不足や財源が大きな課題になっています。障がい者福祉の分野でも、就労支援や日常生活のサポート、地域活動への参加など取り組みは広がっていますが、誰もが安心して自分らしく過ごせる場所はまだ十分に整っているとはいえません。
「自分らしく生きたい」「誰かの役に立ちたい」
このような願いは、障がいの有無にかかわらず持っています。しかし、障がい者は働く場や居場所が限られ、不安や孤独を抱える人も少なくありません。
こうした「なんでそんなん!?」と、言いたくなるような課題に向き合ってきたのが、岡山県都窪郡早島町を拠点とする「株式会社ぬか」です。
代表の中野厚志(なかの あつし)さんは、障がい者の個性を「困りごと」ではなく「面白さ」として受け止め、新しい価値に変えていく取り組みを続けています。
株式会社ぬかとは
株式会社ぬか(以下、「ぬか」と記載)は、福祉とアートを融合させたユニークな福祉事業者です。社名は漬物の“ぬか床”から名付けられ、「視点を少し変えると新しい価値が生まれる」という思いが込められています。
「ぬか」は2025年現在、以下四つの事業をおこなっています。
・生活介護事業所ぬかつくるとこ(2013年設立)
成人が日中を過ごす場。自分や仲間と向き合いながら、挑戦も失敗も含めて受け止められる時間を大切にしています。
・アトリエぬかごっこ(2018年設立)
小学生から高校生までを対象とした放課後等デイサービス。工作を通じて遊びを考えたり、会話を楽しんだり、ときには「何もしない」時間も大切にする、自由な表現の場です。
・相談支援事業所ちぬ(2023年設立)
福祉サービスを利用するための相談窓口。海の「ちぬ(チヌ=黒鯛)」のように、人と人、そして地域と人とをつなげていく役割を担っています。
・就労継続支援B型事業所ひょん(2024年設立)
働くことや創作活動を通じて地域とつながる場。思いがけない出会いや偶然の出来事を「ひょんなこと」として楽しみながら、新たなつながりを広げています。
「なんでそんなん?」から生まれる新たな価値
福祉の現場では、利用者の独特なこだわりやくせが「困りごと」として扱われることが少なくありません。
ですが中野さんは、利用者を「ぬかびと」と呼び、「なんでそんなん?」と問いかける姿勢で向き合います。その視点から、思いがけない面白さや新たな価値が生まれるのです。
ぬかびと
施設を利用するかたがたのこと。
単なる「利用者さん」ではなく、その人らしさや個性を尊重する意味が込められています。ちょっとした“くせ”や“こだわり”も、その人らしさとして受け止めるのが「ぬか」のスタイルです。
「困りごとを直すのではなく、その人らしさとして一緒に楽しむ。そこから福祉の新しい形が広がると思うんです」と中野さんは語ります。
「ひょんなことから」生まれた「ひょん」
「ぬか」がおこなう事業のうち、この記事では、2024年に倉敷市で始まった就労継続支援B型事業所「ひょん」を中心に紹介します。
「ひょん」は、古民家の温もりとユニークな発想が合わさった場所です。利用者が自分らしく働き、地域とつながりながら新しい価値を生み出しています。
建物との偶然の出会い
「ひょん」の事業所は倉敷市西阿知にあります。
遍照院の道路の向かい側にある住宅街に足を踏み入れると、昔ながらの一軒家が並ぶなかに、控えめな看板が目に入ります。
この建物との出会いは、まさに偶然だったそうです。もともと予定していた場所が使えなくなり、探し直して見つけたのがこの古民家。
調べてみると、戦後に岡山で社会活動を広げた永瀬隆(ながせ たかし)さんが拠点としていた建物だとわかり、中野さんは「ご縁を感じ、使命感を持って受け継いだ」と語ります。
その思いは、福祉と表現、地域をつなぐ活動へと自然につながり、今も広がりを見せています。
「ひょん」を形づくる四つのコーナー
「ひょん」では、利用者(一般企業での就労が困難な、障がいや難病のあるかた)が無理なく楽しく働けるように活動を展開しており、内部には大きく4種類のコーナーがあります。
販売品の購入や食事の利用は現金やクレジットなどのキャッシュレスでの支払いが可能です。
・販売コーナー
・食事コーナー
・展示室
・なんでそんなん博物館
販売コーナー
販売コーナーには、「ぬかびと」の手作り作品を中心に、調味料や食品、本などが並んでいます。どれも一人ひとりの個性や、その人らしさが感じられる品ばかりです。
食事コーナー
食事コーナーは体にやさしい“発酵”をテーマにした「ひょんのわっぱ弁当」や、季節ごとの飲み物や甘いスイーツを楽しめる憩いの場です。
展示室
展示室には以下のようなものがあります。
・展示品コーナー
全国の協力団体から提供された作品をテーマごとに展示・販売。
・工作コーナー
利用者が自由に創作を楽しめる空間。心に寄り添うひとときを過ごせます。
展示室の奥には、利用者が自由にものづくりを楽しめる工作コーナーの作業場があります。
取材時はインターンシップの大学1年生が、利用者と一緒に新聞紙をちぎってさまざまな形を作りながら、思いきり遊んだり、「好きなこと」を楽しんだりしていました。
利用者の作業のようすを、一般のかたにも気軽に見てもらえるように開かれています。ここでは、商品の一つとして「なんちゃってハリコ」の制作もおこなっていて、訪れた人がものづくりの現場を間近で楽しむことができます。
本棚には自由に読める本が並んでいて、ちょっとひと息つきたいかたにもぴったりです。お子さん連れのかたには、おもちゃも用意されているので、子どもたちの自由な発想や笑い声があふれる、あたたかい雰囲気の場所にもなっています。
なんでそんなん博物館
さらに母屋の一角には「なんでそんなん博物館」と名付けられた展示室があり、ユーモアと不思議さに満ちた作品や言葉が並びます。
「なんでそんなん博物館」では定期的にユニークで不思議な作品を展示しています。「これはなんだろう?」と考えながら楽しめる、まさに面白さが詰まった場所です。
たとえば、以下のようなタイトルの作品は、シンプルでありながら意味深く、訪れる人に「これはなんだろう?」と考えさせてくれます。
・ノリで迷走-再告訴
・大人はわかってない
・二万まで無課金
中野さんが関わる福祉事業や、それを「面白さ」として受け止め、新しい価値に変えていく取り組みについて、詳しくお話を聞きました。
中野厚志さんにインタビュー
株式会社ぬか 代表の中野厚志(なかの あつし)さんに話を聞きました。
──事業を始めたきっかけを教えてください。
中野(敬称略)──
僕は山口県の出身で、大学進学をきっかけに岡山に来ました。
大学では福祉を学び、そのあと福祉の現場で14年半ほど働きました。そこで利用者たちの表現や活動に触れることが多く、その自由で力強い表現に心を打たれたんです。
「もっと良い場所で作品を見てもらいたいな」と思い、仲間と展覧会を開いたこともありました。そのような経験から、2013年に生活介護事業所「ぬか」を始めました。
そのあと「アトリエぬかごっこ」や相談支援事業所「ちぬ」も作り、現在は四つの事業所を運営しています。
──「ぬか」の魅力はどのようなところだと考えていますか。
中野──
「ぬか」の良いところは、利用者さん一人ひとりの個性や面白さを、そのまま受け止められるところですね。
福祉の現場は効率や安全が優先されがちですが、ここでは“ゆとり”や“遊び心”を大切にしているので、自然とユニークで創造的な活動が広がっていきます。この雰囲気は僕ひとりで作ったものではなく、共感してくれるスタッフみんなで育ててきたものです。
デザインや表現が好きなスタッフが集まり、さらにSNSを通じて活動に興味を持った人とつながることも、大きな力になっています。効率や成果だけを追っていると見えなくなる“面白さ”や“発見”が、実はこうしたゆとりや余白のなかにこそあるのだと思うのです。
──アート活動に力を入れているのはなぜですか。
中野──
実は、僕自身はアートにこだわりがあったわけではありません。大事にしているのは、利用者さん一人ひとりの「やりたいこと」や「面白さ」を引き出すことです。
たとえば、ブロックをひたすら積む「ツミマショウヤ」や、新聞をちぎって楽しむ「コイケノオイケ」といったワークショップで、その人ならではの表現を楽しんでもらっています。
出来上がった作品よりも、その過程や物語を大事にしています。利用者さんと一緒に「つくること」を楽しむことで、自然に多様な表現が生まれるんです。
こうした日々の活動とつながりながら、創作が広がっていくのがぬかの特徴です。
──「なんでそんなんプロジェクト」はどのように始まったのですか?
中野──
これは2020年に始めました。
きっかけは、誰でも参加出来る無審査の“アンデパンダン展”。「アンデパンダン」と「なんでそんなん」を組み合わせた言葉遊びから生まれました。
アンデパンダン展
無審査・無賞・自由出品を原則とする美術展。1884年にフランスのパリで初めて開催され、各国にも影響を与えた
福祉の現場では、利用者さんの“くせ”や“こだわり”は見過ごされがちですが、私たちはそれを大切にし、面白さとして捉え直したいと考えました。
エピソードを集めたり、考えかたを広げる勉強会を開いたりして、博覧会形式の展示にも広げています。教育現場でも少しずつ取り入れられ、くせやこだわりを面白がる見方が広がっています。
──この福祉事業は、社会貢献とビジネスの両立が難しいと聞きますが、現場ではどのように運営され、スタッフや利用者との関係を大切にしているのでしょうか?
中野──
はい、バランスってやっぱり難しいです。国の報酬や補助金をうまく活用しつつ、スタッフも利用者さんも「ここに来るのが楽しい」と思える場づくりを心がけています。
スタッフには「表では決して慌てず落ち着いて仕事をこなし、裏ではしっかり努力する」(ぬかでは“スワンの法則”と呼んでいます)という姿勢を大切にしてもらっています。一方で、個性を尊重し自由に表現出来る雰囲気も欠かせません。利用者さんとはフラットに接し、ニックネームで呼び合ったり、自然な距離感で会話したりするのが日常です。
そうした関わりの積み重ねが、スタッフも利用者さんも楽しめる現場を作り、結果として質の高い支援につながっていくんだと思います。
──活動を続けられている理由は何だと考えていますか。
中野──
僕は最初から計画やビジョンがあったわけではなく、どちらかというと「あとから考えながら」動いてきました。
でも、現場で出会う人や出来事とのつながりが大きな力になっています。その場で生まれるアイデアや刺激を受け取り、仲間と一緒に形にしていくのが楽しいんです。
想定外のことや思いがけない出来事さえも「面白いな」と感じられるからこそ、続けてこられています。
──最後に読者へメッセージをお願いします。
中野──
まずは気軽に遊びに来てほしいです。
話を聞いたり、工作や博物館を体験したりするだけでも、僕たちの活動や考え方を感じてもらえると思います。
「ひょん」では、障がいの有無に関係なく、人と人が自然に交わる場を作っていて、ルールや形式にとらわれず、多様な人たちが自由に動き、体験するなかで新しい発見や理解が生まれることを大切にしています。
読んでくださったかたが少しでも「面白そう」「行ってみたい」と思ってくれたら、それだけで僕たちの目指すことに一歩近づける気がするんです。
おわりに
中野さんの考えかたは、非常にシンプルで力強いものでした。
社会や環境との関わりのなかで人それぞれの違いが生まれることを受け止め、特別視するのではなく、多様な人が自然に混ざり合う「ごちゃ混ぜの社会」を作ることが大切だと中野さんは考えています。
取材を通して、筆者自身も人や個性の見方が少し広がったように感じました。興味を持ったかたは、ぜひ「ひょん」での体験を通じて、「ぬかは面白さの宝庫!」を実感してみてください。
「ぬか床」のように、時間をかけて「偶然や出会い」をじっくり発酵させるように、足を運び、自分の目で見て体験してみませんか。きっと新しい発見や出会いが待っています。