老いが追いかけてくる ─萩原 朔美の日々
—老体からは逃げられない。でも笑い飛ばすことは出来る—
萩原 朔美さんは1946年生まれ、11月14日で紛れもなく77歳を迎えた。喜寿、なのである。本誌「スマホ散歩」でお馴染みだが、歴としたアーチストであり、映像作家であり、演出家であり、学校の先生もやり、前橋文学館の館長であり、時として俳優にもなるエッセイストなのである。多能にして多才のサクミさんの喜寿からの日常をご報告いただく、連載エッセイ。同輩たちよ、ぼーッとしちゃいられません!
連載 第19回 キジュからの現場報告
耳の奥に蝉が居座っているんで、一年中真夏だ。先日会議が終わって、文学館の外に出たら、
「あれ!蝉が鳴いてる」
とスタッフが声を上げた。まだ、梅雨の時期なのに、確かに油蝉が鳴いている。私の聴こえかたは、耳鳴りとの合唱でうるさくて仕方ない。(笑)
そう言えば、小学生の頃の夏休みは、毎日油蝉の大合唱で、朝から晩まで止む事がなかった。空き地が点在していたから、蝉も生きやすかったのだろう。熊や猪の出現がニュースになるのと同じく、そのうち蝉の出現もニュースになるかも知れない。うるさいとかクレームをつける都会人の出現の方が、動物よりよっぽど怖いわ。(笑)
去年、山の家で草を刈っていたら、手に何かが吸い付いた。慌てて掴んで捨てた。手に血が滲んだ。マダニだった。
怖くなり病院に行くと、切開したほうがいいと勧められた。すぐにやってもらった。マダニが悪いわけじゃない。私が手袋をしないで作業したから駄目なのだ。人間以外の自宅に勝手に侵入しているのは、私の方なのだ。
手の縫い後。直ぐに復元した!まだ、細胞は老化してないかも。(笑)
加齢で一番不自由なのは、脚力でも、視力でも、物忘れでもない。握力だ。自分でもビックリ。ペットボトルの蓋が結構力仕事なのだ。驚きだ。プルトップを引っ張り上げるのも気合いが必要だ。まさかそんな事態に陥るとは夢にも思わなかった。
さらに、両手が腱鞘炎になった。となると、ジャムの蓋が開かない。佃煮の蓋が開かない。当然、ワインのコルクなど開けられるわけがない。
製品には、全て、加齢専用があった方がいい。(笑)微力でも開け閉めが容易なタイプを考えてくれないだろか。減塩、糖質0、ノンアルの次は、ノンパワー製品だ。
ああ、歯でビールの蓋を開けた頃が懐かしい。(笑)
第18回 気がつけばおばんさん気分
第17回 新しい朝が来た、希望の朝だ♪
第16回 年齢とは一筋の暗闇の道
第15回 今こそ<肉体の理性>よ!
第14回 背中トントンが懐かしい
第13回 自分の街、がなくなった
第12回 渡り鳥のように、4箇所をぐるぐる
第11回 77年余、最大の激痛に耐えながら
第10回 心はかじかまない
第 9 回 夜中の頻尿脱出
第8回 芝居はボケ防止になるという話
第7回 喜寿の幕開けは耳鳴りだった
第 6 回 認知症になるはずがない
第 5 回 喜寿の新人役者の修行とは
第4回 気がつけば置いてけぼり
第3回 片目の創造力
第2回 私という現象から脱出する
第1回 今日を退屈したら、未来を退屈すること
はぎわら さくみ
エッセイスト、映像作家、演出家、多摩美術大学名誉教授。1946年東京生まれ。祖父は詩人・萩原朔太郎、母は作家・萩原葉子。67年から70年まで、寺山修司主宰の演劇実験室・天井桟敷に在籍。76年「月刊ビックリハウス」創刊、編集長になる。主な著書に『思い出のなかの寺山修司』、『死んだら何を書いてもいいわ 母・萩原葉子との百八十六日』など多数。現在、萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち 前橋文学館の館長、金沢美術工芸大学客員教授、前橋市文化活動戦略顧問を務める。 2022年に、版画、写真、アーティストブックなどほぼ全ての作品が世田谷美術館に収蔵された。