石原さとみのようなヤバい俳優はいない!? 映画『ミッシング』吉田恵輔監督インタビュー
『空白』(21)、『BLUE/ブルー』(21)、『ヒメアノ~ル』(16)などの吉田恵輔(※吉は“つちよし”が正式表記)監督が、監督作品への出演を熱望していた石原さとみを主演に迎え、自らのオリジナル脚本を映画化した衝撃作『ミッシング』(5月17日公開)。
【全画像】映画『ミッシング』の場面写真・吉田恵輔監督撮り下ろし
とある街で起きた幼女の失踪事件。母親の沙織里はあらゆる手を尽くすが、見つからないまま、3ヶ月が過ぎ去る。
世間の関心が次第に薄れていくことに焦る沙織里。夫・豊(青木崇高)とは事件に対する温度差かにケンカが絶えなくなり、唯一取材を続けてくれる地元テレビ局の記者・砂田(中村倫也)に頼るも、新しい情報は得られない。
そんな中、沙織里が娘の失踪時に推しのライブに行っていたことが発覚して……。
ひとつの事件を発端に浮かび上がる、さまざまな人たちの想いと歪んだ社会。
沙織里に身を心もなりきった石原さとみの“魂の芝居”にも圧倒され、心揺さぶられ、涙する本作で、吉田監督はいったい何を描きたかったのか? それはどんな挑戦だったのか? 監督を直撃しました。
辛い現実と折り合いすらつけられない人を描く
――『ミッシング』は吉田監督のオリジナル脚本の映画化ですが、さまざまな問題をはらんだ本作の物語はどんなところから思いつかれたのですか?
前作の『空白』(21)で自分の子供を事故で亡くした男(古田新太)がその現実とどうやって折り合いをつけていくのか? ということを描いて、自分でもけっこう辛い話をオリジナル脚本で書いたなと思っていたんです。
でも、その後、子供が見つからなくて、折り合いをつけることすら許されない人たちもいるんだなということに気づいて。それが、この物語を書き始めるきっかけでした。
――本作は娘が突然いなくなった母親の沙織里が主人公ですが、彼女を中心にさまざまな人物が多角的に、多面的にバランスよく漏れなく描かれます。
特に地方のテレビ局の記者・砂田の存在は大きいですが、彼を客観的に物事を見て、変化していく観客の目線にもなるキャラクターにしたのにはどんな狙いがあったのでしょう?
『空白』にもマスコミは出てきますが、あのときは少ししか描けなかったので、今回はマスコミもちゃんと深堀りしたかったんです。
人はどれだけの想像力を持って、他人と接することができるのか? というもうひとつのテーマを考えたときに、その想像力をこの砂田という人物がいちばん分かりやすく提示できると思ったのも大きいですね。
人のことをフェアに見るのってすごく難しい。
例えば、沙織里の弟の圭吾(森優作)が犯人の疑いをかけられるのは、見た目の雰囲気だったり、暗い顔の印象が原因だと思うんだけど、そこには客観性はないじゃないですか?
じゃあ、人のことをフェアに見るにはどうしたらいいのか?
『空白』のときから思っていたけど、描ききれなかったその問題を今回の物語と合体させてみたんです。
見た目や雰囲気で損をしている人も描きたい
――失踪した沙織里の娘・美羽の姿を最後に見たのが、引きこもりがちの圭吾にしているのも吉田監督らしいです。
本作を『空白』の続編として考えていた最初のころは、実は俺、弟の物語を書こうとしていて。
ミキサー車を運転しているこの男はなぜこんなに暗いんだろう? きっとコイツ、預かっていたお姉ちゃんの子供がいなくなっちゃったから暗いんだ!って勝手に想像したところからスタートしたのですけど、どう考えても、お姉ちゃんを主人公にした方がいいからいまの形になったんです。
ただ、責任の所在とか、いまさら言っても仕方のないことをネチネチ考えていたときに最悪なパターンばかり出てきちゃって。
最初の脚本では、弟に美羽を預けただけだったんです。それが、沙織里がその日、推しのアイドルのライブに行っていたという設定にしたときに、いまのさらに辛い形に変わって。
さっき話したように、見た目や雰囲気で損をしている人っているじゃないですか? そういうこともいつも描きたいと僕は思っているんです。
自分の世界観に合わない人を主人公にする賭け
――監督は公式コメントで、石原さとみさんを沙織里役に起用した「賭けに勝った」と言われていますが、確かに本作にはほかでは見たことがない、とんでもない石原さんが映っていて、ビックリしました。
俺もいい意味で想定外でした。ここまで彼女のイメージを壊せるとは思っていませんでしたから。
――どんな印象を持たれていたんですか?
石原さんのことは一視聴者としては好きですけど、俺の作る映画には合わないと思っていて。
あまりにも完成され過ぎていて、逆に現実味や生々しさがないなと思っていたんですけど、そんな石原さとみをどうやって壊すのか? 壊すことができるの? が賭けだったんです。
――なぜ、その賭けに挑もうと思ったんですか?
『空白』のときに思っちゃったんです。あの作品では俺がイメージした通りの、芝居が上手い人たちが集まってくれたんですよ。
――古田新太さんとか、松坂桃李さんとかですね。
そうそう。そうすると、結局、俺の演出はほぼゼロなんですよね。誰も間違ったことをしないし、むしろみんな、想像以上のことをしてくるから、現場ではもはや芝居を見せてもらっているレベルになっていたんです。
逆の言い方をするなら、自分のキャパにまだ余裕があったので、今回、主役に自分の世界観に合わないと思っていた人をキャスティングして、その代わり、周りは自分のイメージ通りの人で固めるやり方を試みようと思って。
石原さんが自分のイメージをぶっ壊せれば幸せだし、これまでとは違う石原さんを作り上げられたら俺も自信になるから挑戦してみたんです。
石原さとみは芝居を超越して、完全に壊れた人になっていた
――石原のこれまでのイメージを壊すために具体的にはどんなことをしたんですか?
本人が最初から「自分の壁を壊したい」と言って参加してきているので、俺が無理矢理壊すというより、変わろうとしている彼女を誘導していく感じでした。
でも、それも、彼女が最初から持っていたもの。喋り方や佇まいを細かく演出するというより、俺の言葉で言うなら、餌を置いて、食べにくるのを待つ。それで来たら捕獲する感じ(笑)。
石原さんは野性味溢れる人だったし、そこに食いつく能力があると思いましたから。なので、メイキングを見ても、俺は具体的な方法論はたぶん何も喋ってないはずです。
ただ、感情を上手くコントロールできない彼女に、「もう少し抑えて」「もう少し強く」と言ってるだけ。
撮影がスタートしたころは特に感情が爆発し過ぎちゃってたから、俺が頑張って抑えたけど、石原さんもドラマなどの型にハメる芝居でなら感情を出したり、抑えたりすることはできるんです。
でも、今回のように型を使わないときは、けっこう大変なことになるんですよ(笑)。
――ドラマなどで染みついた型にハマった芝居を取っ払うのも大変そうですね。
そこも本人が“取っ払うぞ”っていう気持ちでいたから俺はそれを捕まえるだけだったんだけど、クランクイン前から脳の使い方も変えていたんでしょうね。
俺が今回オファーして「一緒にやろう」って言ったときは、「やります。絶対やります!」ってすごく嬉しそうにしていたのに、撮影が近づいてきたら、どんどんナーバスになってきて。
主演のドラマを何本もやっている人だから、もっと堂々としているのかなと思っていたんですよ。だけど、衣裳合わせに真っ青の顔で現れたから、意識をたぶん切り替えていたんだと思います。
――石原さんの芝居が、監督の予想を超えてきたなと思われた具体的なシーンを教えてください。
沙織里が、警察署の階段を駆け上ってきて台詞を言うまでをワンカットの長回しで撮ったときの彼女はスゴかったですね。
2テイク目のときに、階段下のスタート位置に戻る石原さんに「もうちょっと壊して」とだけ伝えたんです。それで上から「よ~い」と言ったら、下からシーバーで「ちょっと待って」という連絡が来て。
で、ようやく準備ができて、カメラを回したら、階段を上がってきた彼女の芝居のアプローチが1回目と全然違っていたんです。
たぶん、いろいろ考え過ぎちゃって、バグっちゃったんでしょうね。でも、これ以上待たせちゃいけないと思って、「いきます」と言ったんだろうけど、走り出した石原さんは芝居を見失ってるから、完全に壊れた人に見えなかったんです。
――それはすごいエピソードですね。
人って追い詰められるとこうなっちゃうんだと俺もそのとき思ったし、それはお芝居をちょっと超越していました。
ただ、彼女は今回、普段から自分をその状況に追い込むことである種のリアリティを出そうとしていたから、俺は「100パーセント、それでやらない方がいいよ」と忠告しました。
技術も駆使しないと、精神的に本当に壊れちゃうし、演出するこっちも、やる度に芝居がバラバラだと困っちゃいますから。それこそ俺も、今回はドキュメンタリーを撮っている感じでした。
――弟の部屋のドアをバンバン蹴るところなんてマジでヤバい人でしたしね(笑)。
ただ、ドアをバンバン蹴るあのシーンでクランクアップだったから、本人はすごく楽しそうで(笑)。辛い撮影がこれですべて終わるし、もう撮影はないからドアが壊れちゃっても問題はない。
すごい形相でしたけど、石原さん自身は“これで終わりだ~”という気持ちでやっていたような気がします。
彼女のような芝居のアプローチの人はほかにいない
――監督も今回、石原さんとお仕事をして、かなり手応えを感じられたと思います。彼女みたいな俳優さんとまたやってみたいですか?
やってみたいですけど、石原さんみたいな人はほかに思いつかない。本人にも言いましたけど、彼女は相当変わり者ですから(笑)。
――変わり者ってどんなところが?
さっき話した、周りを見失うぐらい演技に没入する人は石原さん以外ほぼいないですよ。
――疲弊した沙織里を体現するために、撮影中はわざと添加物の多いものを食べたり、パサついてくたびれた髪にしたり、そのあたりも徹底的にこだわっていたみたいですものね。
いやいや、太ったり、痩せたり、髪の毛を抜いたりとか、そういう表面的なことは誰でもできると思うんです。そうじゃなくて、彼女はメンタルの持って行き方がちょっと普通じゃないんですよ。
――そこは、『ヒメアノ~ル』の森田剛さんや『BLUE/ブルー』の松山ケンイチさんなどとも違いますか?
全然違うと言うか、圧倒的に違います。圧倒的に変です。なぜなら、彼女の芝居は俺の知らないアプローチの仕方だし、石原さんはそのアプローチをみんなやっていると思っているから、余計怖いんです。
――監督の知らないアプローチって、先程から何度か言われている、その状況下に自分を追い込む芝居のことですね。
そうそう。すべてのシーンをその状況を再現するかのような感性でやろうとする。
だから、例えば、物の置き方ひとつでも、ここにこれがあったら、この芝居はできないってなっちゃう。「ここからしか使わないから、そこはどうでもいいじゃん」っていうことができない。
それに芝居って、“ふり”でするところも多いじゃないですか? 人を刺すシーンなんて“ふり”でやるしかないのに、彼女は本当に刺しそうな勢いで来るんです(笑)。
――だから、ドアもあんなにバンバン蹴るんですね(笑)。
弟の圭吾を演じた森優作くんも髪の毛をめちゃくちゃ千切られそうになっていて。
俺が「大丈夫?」って言ったぐらい、テストの段階から抜きそうな勢いでした。でも、本人は手を抜いてるつもりで、気づいたらやっちゃってたみたいな状態なんです。
――それは本人も大変ですね。
本人も大変だし、こっちも大変です。それがたぶん、彼女が今回やりたかったアプローチだったんだろうけど、こっちは別にそれを求めていたわけじゃないですから(笑)。
――石原さんは「吉田監督とまたやりたい」って言われてますね。
いや、さっきも話したように、俺、クランクインしてから最初の1週間は本当に大変で。
“こんなやり方で大丈夫か?”ってちょっと後悔したし、苛立ちもあったんです。
“もっと技術で芝居をしないと現場が回らないよ”とも思っていたんだけど、その苛立ちがだんだん面白さに変わって、最後は「スゴいな!」ってファンになってました(笑)。
それに、やりながら自分も壊されてる気がして。俺もこれが13本目の監督作品だから、けっこう技術だけで撮れちゃうんです。
そういう、いままでのものを壊したいと思っていた俺の気持ちと石原さんの気持ちが上手くハマったから、俺も撮りながらワクワクしたし、終わった後はふたりでガッツポーズでした。
すごく楽しかったし、石原さんが本当に愛おしかったですね。
自分のリアリティにエンタメが勝たないようにする
――ところで、吉田監督は本作や『空白』だけでなく、人間のおかしな言動や社会の不条理などをテーマにした作品が多いと思うのですが、そちらに思考が向くのには何か理由があるのでしょうか?
僕自身がそういう人間だからじゃないですか?
――世の中のあり様に疑問を持っているということですか?
みんな同じようなことを思ってるような気がするんですよ。SNSを見ても、みんな怒り狂ってるなと思うし、怒り狂ってる投稿を見て、この怒り狂ってる奴がおかしいとも思っちゃう。
俺はSNSを一切やらないようにしてるんだけど、やらない俺のことを卑怯だと思う奴もいるだろうね。
そうやって、いろいろ考えても、正解なんて1個もないんです。
――そうですよね。
ただ、正解はないけど、「無駄な攻撃だけはやめとかない?」ってことだけは言っておきたい。
今回の『ミッシング』にしたって、別に娘が失踪したこの夫婦に協力しなくたっていいんですよ。
無関心でもいいんですよ。ただ、邪魔だけはしないで!っていう。邪魔をする必要性は一切ないですからね。
――沙織里はネットで不特定多数の人たちか「オマエが子供を置いて、ライブに行っていたからいけないんだ!」といった誹謗中傷を受けて、精神的に追い詰められていきましたものね。
書き込んだ本人は正しいことをしているつもりなんだけど、そんなの正義でも何でもないよっていう。
世の中の常識や言っていいことと悪いことのラインが曖昧になっていて、何にでも噛みついていいと思っちゃってるから、始末が悪い。
例えば、未だにある酷い差別みたいなものには声を上げなきゃいけないけれど、個人をよってたかって叩くのは正義じゃない。そのへんの自分の線引きを、『ミッシング』を観て再確認していただけると嬉しいですね。
――吉田監督も発信者ですけど、映画を作る上で気をつけていることはありますか?
エンタテインメントが、自分が信じているリアリティに勝たないようにはしています。
面白い映画を作ろうと思うと、どうしてもエンタテインメントの色が濃くなってしまうけれど、そうすると、“このキャラクター、こんなことしないよね?”とか、“世の中、こんなに酷くないんじゃんない?”っていう矛盾が生じてしまう。
そういう、自分の中のリアリティと映画というエンタテインメントの間の線引きでいつも葛藤していますね。
――では、今後もそうやってご自身の中のリアリティを追求した映画を作られていくわけですね。
そうですね。ザッツ・ファンタジーとかホラー映画みたいなものは僕には撮れないですから、しばらくは、人間の感情をベースにした作品を作っていけたらいいなと思っています。
(ウレぴあ総研/イソガイ マサト)