最後の最後で、同じ「式神使い」として通じ合えたのかもしれません——TVアニメ『呪術廻戦』第3期「死滅回游 前編」連載インタビュー第17回:伏黒恵役・内田雄馬さん×レジィ・スター役・青山穣さん
『呪術廻戦』第3期「死滅回游」が、2026年1月8日(木)より放送中です。
放送にあわせ、アニメイトタイムズでは連載インタビューを実施。第17回は伏黒 恵役・内田雄馬さん×レジィ・スター役・青山 穣さんによる対談をお届けします。
第11話では伏黒とレジィの戦いが遂に決着。過去と現代の術師がぶつかり合う名勝負をどのように演じたのか。キャラクターの共通点、伏黒に残した“最期の言葉”など、深く掘り下げてお話を伺いました。
【写真】『呪術廻戦』第3期 内田雄馬×青山穣、伏黒とレジィが通じ合った瞬間【インタビュー】
過去と現代の「式神使い」による激闘
ーー第11話では、伏黒とレジィの決着が描かれました。
レジィ・スター役・青山 穣さん(以下、青山):考えてみると、伏黒とレジィは「式神使い」というところが共通しているなと。お互いが色々なものを呼び出していました。伏黒が犬やゾウなどの動物を模した式神を出したら、こちらはナイフや家を出す。
伏黒 恵役・内田雄馬さん(以下、内田):面白い戦いですよね。伏黒は現代の術師ですが、過去の人間であるレジィの方が現代的なものを利用しています。逆に伏黒は、昔から続いている十種影法術(とくさのかげぼうじゅつ)を使いますから。
青山:似た者同士の戦いというか。どちらが光でどちらが影かは分かりませんが、合わせ鏡のような二人だと感じました。
ーー思い返せば、伏黒はレジィにとっての麗美の立ち位置を一瞬で看破していました。
内田:伏黒は感情的な部分ではないところで、色々な予測をしていたのだと思います。「死滅回游」という死と隣り合わせの環境なので、全員がポイントを得るためにやられる可能性がある訳です。
そういう意味では、レジィの考えを分析した結果であって、そこに感情的なものはない。ただ、相手の思考を掘り下げることでレジィの思惑を探ろうという意図はあったかもしれません。レジィはかなりの頭脳派なので、分析型の戦いでもあったと思います。
ーー第3期の伏黒は姉の津美紀が「死滅回游」に巻き込まれたこともあり、随所で焦りの感情も見え隠れしています。
内田:最初の段階で「津美紀が巻き込まれていることへの焦りを強く持ってください」というディレクションをいただきました。そういう意味でも「とにかく助けたい」という気持ちが強くあったと。ただ、虎杖も普通の状態ではなかったので、津美紀のこと以外にも、自分が持つべき“責任”の中で動いていると言いますか。虎杖も自分のやるべきことを決めて、日車から100点を手に入れてくれましたし、伏黒自身も「自分のやるべきことを遂行する」という気持ちがあると思います。
逆に言えば、麗美を殺さなかったのは、恐らく感情的な部分もあるんじゃないでしょうか。自分の中の良心から来る行動。「いいんだな?」という言葉に伏黒らしさが出ているという風に感じました。
青山:「津美紀のことを考えて」というディレクションがあったんだ。
内田:そちら側に寄っていたと思います。登場の段階ではかなり焦りがあるというか。「“助けたい”という気持ちが先行している」というディレクションでした。
青山:逆にレジィに関するディレクションはほぼ無かったから、「何か言ってよ〜」と(笑)。
内田:(笑)。役者としては「何か欲しいな」と思ってしまいますよね。
ーー青山さん演じるレジィはある種の“曲者感”に加えて、場の空気を掌握するような迫力も感じました。
内田:自分が言うのもおこがましい話なのですが、本当に幅の広さに驚くことばかりというか。
青山:そう?
内田:どちらかと言えば、自分の中でじょうさん(青山さん)は頭脳派というか、賢者のようなイメージがあって。レジィはある種の“肉体派”でもあると思うんですけど、じょうさんの味が遺憾無く発揮されているというか。
青山:「敢えて曲者感を出そう」とか、そういうのは無かったですよ。ただ、レジィは過去の術師なので、距離感を出そうとは思っていました。
内田:そうなんですね。それが良い異質感というか、現代に現れた時に「ただ者じゃない」雰囲気を纏っているなと。
青山:どうしても異質な感じは必要ですよね。何百年も前に生きていた人間ですから。
内田:そういう意味ではストレートなんですけど、すごく味があるというのは、やっぱり人間味じゃないでしょうか。
青山:(照れながら)……そうかい?
内田:なんだか嬉しそう(笑)。
青山:人間味があるなんて、あまり言われないからさ(笑)。
内田:だからこそ、観ている方はレジィの個性の強さに「うわっ!」となったはずです。
二人で作り上げた戦いの“流れ”
ーー際限なくヒートアップしていく伏黒とレジィの戦闘ですが、演じるうえでもかなりのカロリーだったと思います。第11話のアフレコの感想をお聞かせください。
内田:第11話はほぼ2人だけの収録でした。
青山:しかもAパートとBパートを続けて演じたかったので、えびなさん(音響監督・えびなやすのりさん)に「流れでやらせてください」とお願いしたんです。だから、頭からレジィが死ぬところまでを一気に録りました。おかげでヘロヘロですよ! 息の芝居も多いから「どうしよう?」と思いました。
内田:呼吸しづらいシーンが多かったですよね。影の中に入ったり、水の中に入ったり……。
ーーお互いに凄まじい重量をかけあう場面も。
青山:息ができないのもあるけど、モノローグも言わなきゃいけないでしょ。そのうえ、セリフも言って、息の演技もして……がずっと続くから。自分で言った手前、「休ませてください」とは言えないし。
内田:あはは(笑)。
青山:本編を改めて観ると、やっぱり後半は息切れしている感じがどうしても……モノローグで息切れするのは流石に変じゃない?
内田:頭の中でさえ現実の疲れが出るくらいの状態だったということですよ!
青山:優しいね。ナイスガイだよ(笑)。
内田:ナイスガイ(笑)。第11話はお互いのモノローグが続くような構成だったので、役者としては、お互いに応援し合うような感じでした。
青山:完成品を観ている方は分かりづらいのですが、アフレコの段階ではまだ線画なので、演じる側は手探りなんですよ。
内田:特に『呪術廻戦』はバトルシーンも多いですし、想像の中でやるしかありません。
今回の話で言うと、攻撃に耐えるお芝居とナレーション裏の息のアドリブ、それぞれの“足し引き”も難しかったです。モノローグがあって、ナレーションがあって、リアルな動きもある。もちろんSE(効果音)も鳴っているので、そのバランスでどれくらい入れるか。映像が完成していないこともあり、多めに入れる想定で持っていって、後からディレクションで間引いていただくことも多いですね。
ーー終盤には激しい殴り合いのシーンもありました。
内田:あそこはキャラクターがかなり疲弊していて。息も絶え絶えの中、余裕のない最後のやり取りでした。
青山:二人で一生懸命頑張りましたよ。
内田:改めて一気にやりきってよかったなと。
青山:苦しかったけど、流れが大事ですから。
内田:リアリティにも繋がるというか。術師とはいえ体力を使っているので、良い意味でキャラクターとリンクするところだったと思います。
青山:僕は小心者だから、モノローグでぜえぜえ言っていて「大丈夫かな?」と。
内田:自信持ってください、じょうさん!(笑)ちゃんとレジィとして活きていました。僕はそう思います。
青山:やっぱりナイスガイだよね。ちゃんと書いといてよ?
内田:ありがたい。ナイスガイでございます(笑)。
レジィにとって、伏黒は認めるに値する相手だった
ーーアフレコ現場では「内田さんに設定周りで分からないことを聞いていた」と伺いました。
青山:そうなんです。内田ちゃんは最初からやっていますし、設定が難しいですからね。
内田:レジィもそうですし、途中から作品に登場する役者さんは、状況を把握するのも大変だと思います。
ーー内田さんは長く『呪術廻戦』に関わっていますが、1話分をほぼ2人で収録するというのも珍しかったのでは?
内田:ほとんどなかったですね。ただ第1期の頃はコロナ禍だったので、分散収録でしたが。
青山:最初は学園モノみたいな感じだったでしょう? 掛け合いのシーンは大変だったんじゃない?
内田:そうですね。改めて流れで一緒に録れるのはありがたいことだなと。今回は二人でゆっくり構築できたので、幸せな収録でした。
青山:贅沢だったよね。二人で完走できて良かった。
内田:僕も楽しかったです。
ーー何とか勝利した伏黒ですが、今際の際にレジィは意味深な言葉を残していきました。
青山:個人的には「そんなに本気で言っているわけではないのかな」と思っています。レジィは過去から来た術師なので、現代の術師である伏黒を少し舐めているところもありました。ただ、戦っているうちに「こいつはできるな」と。その強さを身をもって感じたのだと思います。
言ってみれば、それまでは騙し合いのようなことをしていた訳じゃないですか。そういう意味では、伏黒に負けた後で横並びの会話ができたというか。最後の天元に関するやり取りについても、伏黒はレジィの言葉を疑っていないんです。
内田:たしかに、察していましたね。
青山:そこで初めて通じ合ったのかもしれません。同じ「式神使い」として、同じ地平で会話しているような印象でした。彼を認めたうえで「道化となって死んでくれよ」という言葉が出てきたという解釈です。
内田:礼節ではないですけど、術師としての矜持がレジィなりにありそうですよね。レジィなりの楽しみ方の中で、伏黒は認めるに値する相手だった。だからこそ、今際の際であの言葉が出てきたのだと思います。
青山:彼は一度死んでいるはずですから、「現代がどんなものか」を見に来ているような側面もあるはず。最後も潔く死んだという印象があって、現代で生きていくことへの執着はあまり持っていなかったのかもしれません。そんな風にも見えました。
[インタビュー/小川いなり]