【静岡の高校サッカー戦後史Vol.51】静岡工業(現・科学技術高)が1975年度、選手権初出場で準優勝!
【静岡工業⑤】初の選手権 光放つ準V
※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。静岡サッカー応援アプリ「シズサカ」でまとめてご覧いただけます。
高校生年代でいち早く4−4−2システムを採用した静岡工が、1975年(昭和50年)度、一気に爆発する。
県新人大会は準決勝で敗退した。しかし、「負ければ必ず借りを返した」とのサイドバックだった石神良訓(J磐田スタッフ)の言葉通り、奮起した総体県予選は決勝に勝ち上がった。
全国総体は2回戦敗退
相手は清水東。新チーム結成後、1勝2敗と負け越し、下馬評でも劣勢だったが、そんな前評判を覆し、立ち上がりから攻勢に出た。前半20分、小気味よくパスをつなぎ、岸登志満(不動産業)がとどめを刺して先制する。その後、攻め合いになったが、主導権は渡さず、3−2で競り勝って、10年ぶり2度目の全国総体行きを決めた。
山梨県で行われた総体本番。1回戦で砺波工(富山)に7−0で圧勝して意気上がり、2回戦も相模工大付(現・湘南工大付、神奈川)を相手に優位に試合を進めた。しかし、不運なPKで先手を取られたのが響き、1−2で涙をのんだ。
勝負の厳しさを味わった選手たちは、総体の無念さを晴らすべく、全国選手権予選に挑み、見事に勝ち抜いて初代表権を獲得した。初めて臨んだ全国選手権だったが、主将の落合信彦(本田技研)ら選手たちは臆することなく、持ち味のつなぐサッカーを展開した。
選手権決勝で浦和南に1−2
初戦(2回戦)は東予工(現・東予、愛媛)を2−0で退け、準々決勝はPK戦にもつれ込んだが、韮崎(山梨)に競り勝った。準決勝は木村和司(J横浜M監督)、金田喜稔(サッカー解説者)らの広島工を3−0で圧倒、初出場ながら決勝に進出した。
相手は田嶋幸三(日本サッカー協会)を擁する浦和南(埼玉)だったが、前半29分、落合のスローインを吉田弘(日本サッカー協会)が頭で流し、平井文晶(シード)がハーフボレーでけり込んで先手を取った。「練習通り」(平井)の先制シーンだった。ところが、後半、マークがずれたところを田嶋に突かれて2失点。1−2で逆転負けを喫した。
頂点には立てなかった。しかし、石神、吉田の後の日本代表コンビや独特の得点感覚を持つ大石和孝(法大監督)といった、個性派集団が繰り広げるサッカーは光彩を放っていた。
全国に十分すぎるほどのインパクトを与えた、初出場準Vから33年後の2008年(平成20年)度、学校再編により、静岡工サッカー部は60年余りの歴史に幕を閉じた。(敬称略)
<次回からは「藤枝北」です>