レーシングドライバーの脇阪寿一さん1周目!勝ちにこだわる理由は「負けた時の振る舞いがわからない」から。
カーマニアの安東弘樹が、これまた車が大好きな方をお迎えしてお送りする番組。
今週は「ミスターSUPER GT」の異名を持つレーシングドライバーの脇阪寿一さん登場!
なぜ、そんなに速く走れるのか?
その秘訣は「究極の負けず嫌い」にありました。
脇阪寿一さん
19歳でカートデビューをキッカケにステップアップを図り1995年、22歳の時に全日本F3選手権でデビュー。
その後も日本最高峰のフォーミュラーニッポンやSUPER GTで輝かしい戦績を残し、「ミスターSUPER GT」の称号を得ます。
2016年、SUPER GTドライバーからの引退。
その後もチーム監督に就任、ご自身のレーシングチームの立ち上げ、さらにレース活動以外でもイベントプロデュースなどにも携わり、モータースポーツの魅力を発信されています。
レースの世界に飛び込んだキッカケ
脇阪寿一さんのサーキットデビューは19歳の時。
カート界からデビューを果たしました。
元々カートとの出会いは、同じくレーシングドライバーの道上龍さんがキッカケ。
幼少期から仲の良かった2人。
子供の頃からカートで走っていた道上さんを応援するために、サーキット場に足を運んでいた脇阪さんですが、すでにその頃から「きっと俺の方が速く走れるんだろうな」と思っていたそうです。
そんな脇阪さんをカートの道に誘ったのは、道上さんのお父さん。
しかし子供の頃はその誘いを断っていたそうです。
その頃、脇阪さんがハマっていたのはバス釣り。
ここでも負けず嫌いの一面が出たのか、誰よりも先に「ヌシ」と呼ばれるブラックバスを釣ろうと、学校が終われば自転車で釣り場に向かっていたそうです。
その移動手段が自転車から原付に変わった高校時代、釣り場に向かう道すがら出会ったのが「俺よりも速く走る奴ら」でした。
「俺より速いのは許せない」とばかり、なんと普通の二輪の後ろを原付で必死に追いかけようと(もちろん法定速度内で)。
しかし追いつけるわけもなく、毎日、悔しい気持ちを募らせるある日、二輪の免許を取得して念願のバイクを購入。
そこから「速いやつの後ろを走って、その人の走りを盗んで追い越せば、次に速いやつを見つけては後ろを走る」という果てしなき挑戦が始まります。
そんな経験から「誰よりも速い走り」を学ぶ脇阪さんのもと、改めて道上さんのお父さんからカートへのお誘い。
誘い文句は「息子(道上さん)が世界選手権で乗ったカートを用意する」。
こんな言葉を投げかけられれば断ることなんかできず、そして脇阪さんは19歳でカートの道に足を踏み入れました。
魔法の言葉
脇阪さんが勝ちにこだわる理由は「負けた時の惨めさをどう表現していいかわからないから」。
チヤホヤされたいから勝ちたかった訳じゃない。負けた時、どうしたらいいのかわからないから速く走るしかない。
そのために見えないところで努力して、人前では余裕をかます。
これぞ脇阪寿一さんなんです。
そんな脇阪さんを「やる気」にさせる言葉が・・・「君のために」。
「君のためにマシンを用意した」「君のためにタイヤを用意した」「君のためにスタッフを集めた」と言われれば、誰だってその気になっちゃいますよね。
そうして数々の名レースを演じた脇阪さんは当時をこう振り返ります。
「良いモノと良い車といいスタッフが集まればレースは勝てる」
つまりこれまでの名勝負は決して自分だけの実力ではない。サポートしてくれた仲間や高コンディションのマシンのおかげがあって自分がいる。
そんな謙虚な一面も垣間見ることができました。
(TBSラジオ『GARAGE HERO’s~愛車のこだわり~』より抜粋)