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ホテル経営から美術館の館長へ。目指すは「心をゆさぶる美術館」

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ホテル経営から美術館の館長へ。目指すは「心をゆさぶる美術館」

文=野口弘子(ポーラ美術館 館長)

◆ジグゾーパズルのピースとしての役割◆

 2023年12月16日から「モダン・タイムス・イン・パリ 1925 ―機械時代のアートとデザイン」展が開幕しました。企画展によって展示室の雰囲気や空気感はまったく異なる空間になるのですが、直前の企画展が「シン・ジャパニーズ・ペインティング 革新の日本画」展というテーマだったこともあり、ときどき展示替えの様子を覗いていたにも関わらず、ガラリと変わった展示室の変貌ぶりにはびっくり! 一言で言うと、美術館の中に「博物館」が生まれた感じです。100年前のパリにタイムスリップしたそんな気持ちで体験してもらいたい、この時間旅行にたくさんのお客様に来ていただきたい、純粋にそんな気持ちになります。

 さてわたし自身は2023年7月にポーラ美術館の館長に就任しました。わたしの三十数年のキャリアはホテルの現場や関連する仕事で、美術のバックグランドは皆無ですがその大役を担うことになりました。なぜそんなわたしがポーラ美術館の館長に、驚きますよね。でもそれはまさしく空いていたジグゾーパズルのピースのように、ポーラ美術館が目指す将来ビジョンに対してその複数の課題に取り組んでいく人材として、わたしの知見や経験が適任としてハマったんだなと感じます。

 ポーラ美術館の箱根の森にとけこむような立地や建築物は唯一無二で、コレクションは豊富で世界に誇れる素晴らしい名作があり、また近年は現代アートを絡めた独特の企画展を継続し、それへの評価も上がっています。これはもちろん歴代の館長が築いてこられた成果です。その歴代の館長が築いてこられたものを継承しながらも、ここからさらにポーラ美術館が次のステージへと押し上げる必要がある。将来を見据えて取り組むべき課題を明確に捉え、常に進歩的で挑戦的な美術館の将来のあり様を描いていこうとするその美術館の姿勢には感銘と共感を覚え、怖さはありながらも喜んでそのピースの役割を引き受けさせて頂くことにしました。

前企画展から全く趣の変わった「モダン・タイムス・イン・パリ 1925 ―機械時代のアートとデザイン」展 展示風景 Photo by Ooki JINGU

◆ホテル業界30数年の経験で培ったこと◆

 取り組むべき課題は箱根の地域コミュニティとの繋がりをさらに強めていくこと、美術館の活動全般において「ホスピタリティ」を強く意識していくこと、美術館での体験価値を最大化することの3つです。これを館長というよりも、オペレーションディレクター的な立場、ホテルで言うところの総支配人のようなマネジメント力をもって、地域と共に活動し地域と共存共栄し、「館」の独自性を構築しそして、お客様に「来てよかった」と言ってもらえる「館」を創っていくこと。わたしが2006 年から 11年間箱根に居住し箱根のホテルを総支配人として開業運営してきた経験と、三十数年ホテル業界で培ってきた接客やサービス、心地よくお客様をお迎えするための考え方やノウハウ、箱根と箱根の仲間が大好きでついには家を買って移住したこと、そんな実務と人生経験が、予想すらしなかった美術館という場所に導いてくれました。アートが好きだったことはもちろん言うまでもありません。人生本当に何が起こるかわかりませんね。

 自然の中で心を開き、アートに触れる特別な時間を過ごすために訪れるお客様の気持ちに寄り添い、ヒューマンタッチをもって都市の美術館では得られない特別感や思い出、居心地の良さを感じてもらえる場所にしたい。多様な価値観に敬意を払い、お客様、従業員、地域の方々など美術館を取り巻くすべてのステークホルダーの満足度を引き上げ、唯一無二の場所にしたい。学術的な貢献はできない新館長ではありますが、ビジョンとして掲げる「心をゆさぶる美術館」の実現に向けて、新たなステージへとスタッフの皆と一丸となって挑戦していきたいと思っています。

 冒頭に書いた企画展「モダン・タイムス・イン・パリ 1925 ―機械時代のアートとデザイン」ですが、最初の展示室をちょっとご紹介しましょう。最初の部屋は「機械と人間:近代性のユートピア」。ここでは、《ウォーム歯車機構》年代不詳、東京大学総合研究博物館 やコンスタンティン・ブランクーシ《空間の鳥》1926年(1982年鋳造) 滋賀県立美術館、《ブガッティタイプ52(ベイビー)》 1920年代後半-1930年代前半 トヨタ博物館など、第一次世界大戦の終結後に発展した自動車や航空機など、機械時代(マシン・エイジ)と呼ばれる時代の象徴と機械文明の発展を物語る品々を見ることができます。

フェルナン・レジェ、コンスタティン・ブランクーシ、ルネ・ラリック、ラウル・デュフィ、ロベール・ドローネー、キスリング、A.M.カッサンドル、ジョルジョ・デ・キリコ、マン・レイ、古賀春江、杉浦非水、ムニール・ファトゥミ、空山基、ラファエル・ローゼンダール ほか約170点が思わぬ組み合わせで出展されている。 展示風景 Photo by Ooki JINGU

 また、機械の進化が理想的な新時代をもたらすと信じた芸術家やデザイナーが制作した、機械をモティーフにした作品を見ることができます。同じ部屋の一角では1936年のアメリカ映画、チャールズ・チャップリンが監督・製作・脚本・作曲を担当した喜劇映画『モダン・タイムス』(Modern Times)の有名な場面が繰り返し上映されています。機械に巻き込まれていくチャップリンのシーンです。それは資本主義社会や機械文明の中で労働者の尊厳が失われ、まさしく機械にのみこまれていくそんな世の中を笑いで表現しています。企画展の最後はコンピューターやインターネットが高度に発達し、AI(人工知能)が生活を大きく変えようとする現在における機械とアートの関係性を垣間見ることができます。私たちは未来をどう生きるのか、問いかけられているようです。ぜひお越しください。ポーラ美術館でお待ちしています。

のぐち ひろこ
長崎県生まれ。長崎ハウステンボス開業プロジェクトや、ザ・ウィンザーホテル洞爺のホテル再建プロジェクトを経て、アーサー・アンダーセン GMD のホスピタリティ部門にてホテルのコンサルティングに従事。2002 年より「パーク ハイアット 東京」マーケティング・コミュニケーションズ部長、セールス&マーケティング支配人を務める。06 年、「ハイアット リージェンシー箱根 リゾート&スパ」総支配人に就任。日本人女性として初めての国際的ラグジュアリーホテルのトップとなり、開業準備から 11 年間指揮をとる。17年「ハイアット リージェンシー 瀬良垣アイランド 沖縄」の総支配人に就任。20 年より箱根に拠点を戻し、ホテル運営、開発、経営等のコンサルティングやコーチングに従事。また、ホテル総支配人育成プログラム「GM GYM」で将来を背負う人材育成に携わる。23年 7 月ポーラ美術館の館長に就任。

「モダン・タイムス・イン・パリ 1925 ― 機械時代のアートとデザイン」
会期:2023年12月16日(土)~2024年5月19日(日) ※会期中無休
会場:ポーラ美術館 神奈川県⾜柄下郡箱根町仙⽯原⼩塚⼭ 128
展覧会サイト:https://www.polamuseum.or.jp/sp/moderntimesinparis1925/

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