ヤクルトとオリックスのトレード史 近藤一樹、小倉恒、高橋智らが移籍先で復活
ヤクルトは森、高橋、近藤を再生
2021年の日本シリーズを戦ったヤクルトとオリックス。この両球団の交換トレードを振り返ってみると、移籍先で復活を遂げた選手が多くいた。
1993年、西岡剛(ヤクルト→オリックス)と森浩二(オリックス→ヤクルト)のトレードが成立した。
ヤクルトに加入した森は移籍前に30試合以上の登板が4度あった左腕だが、トレード前の3年間で合計9試合の登板と結果が出ていなかった。ヤクルトに移籍後は野村克也監督の下で再生され21試合に登板。防御率2.63と結果を残し優勝に貢献した。派手な活躍はなかったものの「野村再生工場」で再生された1人となった。
一方の西岡はドラフト1位指名で入団した有望株だった。その期待にこたえ1年目から27試合に登板するも翌年以降は低迷していた。オリックスに移籍後は一軍で登板する機会なく現役を引退している。
1999年には松元秀一郎(ヤクルト→オリックス)と高橋智(オリックス→ヤクルト)がトレードされた。
1992年に29本塁打を放った後は低迷していた高橋だが、ヤクルトに移籍して復活。レギュラーとしてシーズンを通したプレーはできなかったものの、移籍初年度に自身6年ぶりとなる16本塁打を記録した。翌年も2年連続となる2桁本塁打を放ったが、2001年はわずか1本塁打と低迷し、同年に退団した。3年の在籍に終わったが、十分な戦力となった。
一方の松元は移籍初年度にキャリアハイとなる90試合に出場するも、翌年からは出番が減り2001年に現役を引退している。
2016年シーズン途中には八木亮祐(ヤクルト→オリックス)と近藤一樹(オリックス→ヤクルト)のトレードが成立した。
近藤は2008年に先発ローテーションの一員として2桁勝利を挙げるも、その後は低迷していた。しかし移籍後は中継ぎに転向し復活。2018年には74試合の登板で35ホールドをマークし最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得している。一方の八木はオリックスでわずか1試合の登板にとどまり、戦力とはなれなかった。
オリックスでは鈴木と小倉が開花
オリックスに移籍してから開花した選手もいる。1995年に、鈴木平(ヤクルト→オリックス)と山内嘉弘(オリックス→ヤクルト)がトレードされた。
鈴木はヤクルトで7年間プレーしたが、29試合の登板でわずか3勝と結果が出ていなかった。しかしオリックスに移籍した1995年に50試合に登板し、防御率1.83とブレイクする。翌年も55試合の登板で7勝2敗19セーブ、防御率2.43と2年連続で活躍。2年連続のリーグ優勝に大きく貢献したひとりだ。その後1999年まで40試合以上に登板しブルペンを支えた。
一方の山内はヤクルトで3年間プレーするも26試合の登板で2勝1敗、防御率7.68と振るわなかった。
1997年シーズン途中には小倉恒と広永益隆がヤクルトからオリックスへ、岩崎久則と馬場敏史がオリックスからヤクルトへと移籍した。
ヤクルト時代に目立った活躍はなくプロ未勝利だった小倉だが、オリックスに移籍すると中継ぎとして開花。同年22試合に登板し、プロ初勝利をマークする。1999年からは2年連続48試合の登板で、防御率は2点台と中継ぎ陣の柱となった。それだけではない。先発に転向した2001年には自身初の2桁勝利をマーク。今度は先発としてもチームに貢献したのだった。
2005年からは分配ドラフトによって楽天に移籍。その初年度は15試合で防御率7.79と不振に陥った。しかし2006年からヤクルト時代の指揮官でもあった野村克也監督になると、58試合の登板で防御率2.18と再び輝きを取り戻している。
守備の名手として知られていた馬場はヤクルトでレギュラーにはなれなかったものの、控えとして2000年までプレー。その後は両球団を含む複数の球団でコーチを務めた。広永と岩崎は目立った成績を残していない。
ヤクルトとオリックスの主な交換トレードを振り返ってみると、移籍前の低迷がうそのように移籍後に活躍するケースが目立った。今後も両チームのトレードからあっと驚く再生劇が生まれるかもしれない。
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記事:勝田聡