【政界インタビュー】自民党・衆議院議員 河野太郎の現在地—— 湘南の未来、多摩川格差、そして新自由クラブの記憶
「国政」という回路から湘南を見る
2025年3月に始まった『湘南人』の首長インタビューシリーズは、湘南エリアの自治体を歩きながら、現場の言葉で「湘南の地図」を描いてきました。鎌倉、逗子、葉山、平塚、藤沢、寒川、横須賀、茅ヶ崎——そして神奈川県。取材を重ねるほど、各自治体の課題は固有のものとして立ち上がる一方で、ある種の問いが何度も繰り返されました。
たとえば、税や財源の仕組み、地方自治と国による関与の線引き、「国が前に出るべき線」はどこにあるのか。首長の言葉の端々に現れながら、市や町の権限だけでは動かしきれず、宙に浮いたまま残り続けてきた問いです。
今回、その問いを国政の側へ持ち込みました。話を伺ったのは、神奈川15区選出の自民党・衆議院議員 河野太郎(こうの たろう)氏です。外務・防衛・デジタルなどの分野で閣僚を歴任し、平塚~茅ヶ崎を起点に湘南に根を張ってきた政治家でもあります。平塚市八重咲町の事務所で行った40分のインタビューは、政策の細部を堀り下げる時間というより、制度の見取り図と、政治家としての姿勢を確かめる対話になりました。
税制のゆがみが生む「多摩川格差」、デジタル行政の現場、選挙後の民意、そして父・河野洋平氏と新自由クラブが湘南に残した記憶——。国政という回路を通すことで、湘南は別の輪郭を持って立ち上がります。当シリーズが積み上げてきた問いに、もう一つの角度から光を当てます。
国政から見た湘南エリアの現状認識
Q1 国政の立場から見て、今の湘南エリアをどういうふうに捉えていらっしゃいますか。強みや課題、この先のビジョンも含めて、平塚ご出身という点も踏まえてお聞かせください。
このエリアは災害が比較的少なく、気候もわりと安定している。そういう意味で恵まれているなと思っています。特に僕の地元の茅ヶ崎、平塚、大磯は海もあるけど山もある。茅ヶ崎の里山公園とか、平塚も山があるし、大磯も高麗山(こまやま)をはじめというふうに、地形にも恵まれている。
それから東京まで1時間で出られるロケーションも非常にいい。だから今、茅ヶ崎も平塚も大磯も、自然減だけど社会増みたいなところで維持できているのは、そういう魅力を感じている人がたくさんいるからじゃないかなと思っています。
一方で、もう少しいろんなことをやらなきゃいけない。例えば電車で1時間で東京に出られる距離で、平塚の駅前なんかも再開発が動いていますが、資産や所得の多い方がリタイアして湘南に移ってきて、駅のそばに少しいいマンションができれば、イベントやコンサートがあれば東京に出かけて、日帰りで戻ってくることができる。そういう方々が駅前に住むようになれば、その顧客層を対象にした小売店もできて、周りからも買い物に来る、という流れができるんじゃないかな。駅周辺の開発のやり方は、これから少し考えていかなきゃいけないところだと思っています。
課題は湘南だけじゃなく神奈川全体の話になりますが、やっぱり「多摩川格差」です。東京都は財源があるからいろんな補助金を出せる。結果として、人件費にせよ子育てコストにせよ、多摩川を挟んで東京側と神奈川側に格差ができてしまう。じゃあ東京で学校の先生をやろう、東京で子育てをしようと、東京に引き付けられてしまう。
これは税制の歪みが原因で、東京に法人絡みの税金が集中している。昔は東京に本社があっても各地に支社を作ったけど、最近は支社を作らない企業が増えた。eコマースになると地方に店舗を構える必要もなく、東京の本社で全部ができてしまう。
税制を変えて、地方にも税が行くようにしていかないと、格差が大きくなってしまう。これは国にとっても害だと思っている。この多摩川格差をなくして、東京とその他地域の税収の差をしっかり埋める方向に動かしていかないといけないと思っています。
湘南エリアの首長との関係性・連携
Q2 湘南エリアの首長の方々と話していると、河野先生の名前が出てくることがあります。かつて河野先生の秘書を務められた茅ヶ崎の佐藤市長はもちろん、平塚の落合市長もそうですし、横須賀の上地市長は「太郎ちゃん」と呼んでおられたりもして。
首長の方々と普段どのようなやり取りをされているのか、その関係性を教えていただけますか。
佐藤市長、落合市長とはほぼ毎週お目にかかっていて、両市長がやろうとしていることを国からバックアップできるものは一生懸命やります。
防災大臣をやっていた頃から、自治体から国に人を出してほしいとお願いしてきました。内閣府防災に人を出してもらうと、日本は1年に1回は大きな災害がある国ですから、大体どこかで水害や地震が起きて、国がどう動くかを実際に体験できる。その経験を持って自治体に戻ると、何か起きた時に「次はこうなるよ、自治体はこう動かないといけない」というのが分かるから、先手を取りやすいしコミュニケーションも取りやすくなる。
デジタル大臣の時にも地元からデジ庁に人を出してもらって、例えば茅ヶ崎は「書かない窓口」をいち早く実現してくれたり、平塚はマイナ保険証で救急搬送の際に病歴や薬の履歴を確認して、かかりつけの病院に「こういう状況で搬送します」と連絡するというのを全国で一番最初にやってもらいました。国がこれからやろうとしていることをいち早く自治体にフィードバックして、トライアルをやってもらうことで先進的にいろんなことを導入できるのかなと思っています。
国が前に出るべき場面と自治体に任せるべき場面、どこに線を引いていらっしゃいますか。
地方交付税の仕組みを直さないとダメだと思っています。例えば平塚は去年、不交付団体になりそうだったんですが、本来なら税収が上がって自分のことは自分でまかなえるから喜ぶべき話なのに、交付団体に戻ってみんな安堵したという。やっぱり仕組みがおかしいよねと。自分のところで税率を下げて企業を呼び込もうとしても、国からの支援がそれに応じて打ち切られる。地方自治と言いながら地方がやれることを枠にはめているから、地方は独創性を出そうとしない。
だからもう少し自治体に自主性を持たせる反面、今までは地方自治という名目でその自治体の書類とか自治体の持っているコンピューターシステムとかに対して、「これは地方自治です」と言って国は何にも手を出さなかったんですね。その結果、保育園の入園書類が自治体ごとに全部違う。地方税の書類もバラバラ。企業は1枚ずつ手書きしなきゃいけない、コンピューターでシステムを組もうにもできない。
だからデジタル大臣の時に「政策判断は地方自治にしましょう。でも書類の書き方や仕事の手順やシステムは統一させてください」とやりました。地方自治と言って全部丸投げするんじゃなくて、国が統一的にやるところと、最後の政策判断は地方自治でという役割分担を、しっかりやらないといけない。
総選挙後の率直な受け止め
2026年2月8日に投開票が行われた第51回衆議院総選挙は、自民党の歴史的大勝に終わりました。湘南エリアの5選挙区でもすべての小選挙区で自民党が議席を獲得しました。選挙後も消費税減税に向けた調整のほか、高市総理の台湾有事をめぐる発言に端を発する中国との緊張や、中東情勢の緊迫が続くなか、国政の論点は一段と前景化してきています。
Q3 自民党の圧勝という結果について、率直にどう受け止めていらっしゃいますか。争点や民意の変化、政治状況の見立てをお聞かせください。
高市総理に対する期待の大きさが結果につながったんだと思います。特に安全保障の面で、「日本が軍事予算を増やすと戦争を仕掛ける」という昔の左翼的な主張が、もう現実味を帯びなくなってきた。21世紀に日本がどこかを攻めるかと言えば、多くの人はそんなことはしないと思っている。
ところが今の世界を見ると、ロシアがウクライナに侵攻し、中国が台湾侵略の準備をしている状況のなかで、尖閣諸島や南西諸島、あるいは日本全体をどう守るかを真剣に考えなきゃいけない時代になった。戦争を避けるためにこそ、国をしっかり守れる体制を作らないといけないよねという声が増えてきた。60年代・70年代のナラティブから離れて、21世紀の状況と、日本のすぐ隣にある現実に目を向けて、現実的に向き合う必要がある——そう考える人が増えてきたのだと思います。
「中国が台湾侵略の準備を」という部分は、断定的におっしゃって大丈夫ですか。
やるかどうかはわからないけど、少なくとも対外的に「台湾は中国の一部」とこれだけ繰り返している以上、何らかのことを考えているのは間違いない。いきなり全面侵略になるのか、経済的封鎖なのか、物理的封鎖なのか、認知戦・情報戦なのか、いつ始まるのかは不確定な要素が大きい。でも台湾に対して何かせざるを得ないと習近平指導部が思っているのは、もう間違いないと思います。
国民の意識の変化を招いた時代背景についてはどう分析されていますか。
一番大きいのはウクライナへのロシア侵略です。僕も直前に軍事衛星の写真を見せてもらって、「国境線にロシアの戦車部隊がこれだけ出ている、これが侵略につながるんだ」という説明をアメリカから受けた際に、正直「そりゃいきなり国境を越えて侵略なんかしねえだろ、このご時世に」と思ったんです。おそらくアメリカは軍事衛星の写真だけではなく、なんらかの情報をつかんでいたから、そういう説明をしてくれたんだと思います。でもあれが日本人にとってかなり大きな意識の転換につながった。
それから、中国によるレアアースをめぐる対応や日本人拘束、自衛隊機へのレーザー照射など、日本への圧力を感じさせる出来事が続いてきました。ニュースに触れるたびに、その現実を実感する人が増えてきたのだと思います。
国民との関係性・SNS発信
Q4 国民との関係性で一番大事にされていることは何ですか。立ち振る舞いや情報発信の軸も含めてお聞かせください。
やっぱり説明をしっかりすることだと思っています。年金の問題は初当選の頃からずっと「この制度は持たない、抜本的に変えないとダメだ」と言い続けてきて、「なぜダメなのか」の説明を30年近く繰り返してきた。なるほどと思ってくださる方はだんだん増えています。
ハンコをやめようという時も同じで、銀行の届出印や実印は本人確認のために存在価値がある。でもコンビニで買える三文判は、誰でも押せるから本人確認に役立たない。それを繰り返し説明して、「よく考えたらその通りだね」となっていった。
よく言われたのは、「河野さん、ハンコをなくすのはいいけど、離婚届にはハンコを残してくれ」と。いやいや、そんなことしたとて、そりゃあ遅かれ早かれダメなときは押されちゃうでしょと。だから、ハンコを残すかどうかじゃなくて、日頃ちゃんと家事・育児を役割分担するのが大事なんだよと(笑)。
特定秘密保護法の時も、一部のメディアが「居酒屋の雑談で捕まる」なんて根も葉もないデマを流したけど、それも大手の新聞がね。「そうじゃないよ。これはこういうために作った法律で、実際の運用はこうなる」と繰り返し説明した結果、今は誰もその話をしなくなりました。通信傍受法の時も「盗聴法だー!」と騒いだ人たちがいたけど、今はこの法律に関して国会でほとんど質問も出ない。物事をちゃんと説明することの大事さを、30年近くやってきて実感しています。
XやInstagramなどSNSをうまく使われている印象があります。河野先生がご自身に課しているSNSの運用ルールのようなものはありますか。
もともとTwitterは暇つぶしで始めたものなんで、それでいいかなと思っています(笑)。
最初は国会報告を紙で刷って配っていましたが、お金もかかるし行き渡らない。メルマガを始めて、ブログをやって、そのうち孫さん(ソフトバンクグループ会長・孫 正義氏)から「Twitterというのがあるよ」と言われてTwitterを始めて、だんだんいろんな手法で説明ができるようになってきた。SNSの良いところでもあり、反面フェイクニュースが拡散されるというネガティブな面もあるので、そこは気をつけないといけない。
東日本大震災の時、あの地域にガソリンの供給が止まった。そのとき、石油連盟をはじめ現場の方から情報が取れたので、「いつ頃どういう形でガソリンが供給されます」とTwitterで出したら、「来週入るなら今週は行列しなくていいや」となった。情報を出すことの大切さがよくわかりました。
熊本地震の時は防災担当大臣だったので積極的に復旧情報を出しました。「内閣府防災より先に河野太郎がツイートしていいのか」という話もありましたが、「いいんだ」と言ってやりました。情報を早く出すことが大事だから。
ワクチン担当大臣の時は厚労省が「決まったものを通知で出します」というスタンスで、決まるまでは出しませんと。通知となると、分厚い役所文言の通知が大量に来る。どこを読めばいいかわからない。だから首長(くびちょう)さんから「読むべきところを赤字にしてくれ、アンダーラインを引いてくれ」と言われた。そんな通知に意味はないよねと。
それで毎日Zoomで何百人もの首長さんに入ってもらって、情報が欲しい人には、「まだ決まってないけど私はこう考えています、この方向で準備を始めてください」という情報をどんどん出した。決まってないものを出していいのかという話もあったけど、「事前に準備ができれば早く動けるから、方向が変わるかもしれないことを承知の上で聞いてくれ」とやりました。今でもその時の首長さんから「あれは良かった、普通の行政もああやってほしい」という声をもらっています。
河野洋平氏と新自由クラブの歴史的役割
首長の方々との対話で何度か登場した「新自由クラブ」は、このシリーズの裏テーマのようになっています。横須賀の上地市長は「新自由クラブに憧れて政治家になった」と明言していましたし、逗子の桐ケ谷市長は1976年の同党結党の年、第34回衆院選で小泉純一郎氏の選挙秘書を務めた際に感じた、同党の勢いについて話していました。
Q5 父である河野洋平氏が中心となって立ち上げた新自由クラブを、河野先生は歴史的な文脈の中でどう捉えていらっしゃいますか。
僕は中学1年生だったと思うんですが、生物の試験前日に分類表をねじり鉢巻きで覚えていたら、マスコミからじゃかじゃか電話がかかってきて。「お父さんはまだ帰っていませんか」「帰っていません」、ガチャン。「勉強できねえよ」みたいな(笑)。夜中過ぎに父が帰ってきて、「何かあったの?」と聞いたら「新党だ」って。
それから父が全国に応援に行くんですが、スケジュールが過密で秘書さんがバタバタ倒れて、「他にいないからお前ついてこい」みたいな感じで、カバン持ちでついて行ったんです。ある団地に宣伝カーが入っていくと、「新自由クラブの河野洋平です」というアナウンスに合わせて団地の窓が次々と開いて、みんな顔を出して手を振ってくれる。「選挙ってこういうものか」と思ったけど、自分がいざ宣伝カーに乗ったら全然そんなことはなかったから、あれはすごいことだったんだなと(笑)。
あの時はロッキード事件がありましたから、政治を清廉潔白にしろという声が強かった。ただ1回目の選挙はものすごいブームだったのに次の選挙ではブームが去っていた。一時的な熱狂はあるけど、ちゃんと根を張らなきゃならないんだなと感じましたね。
富士ゼロックスで仕事をしていた頃に新自由クラブが解散になって、自分は選挙区のポスター張りはやっていたけど、新自由クラブそのものには関わったことはないんです。それでも今でも全国いろんなところに行くと「新自由クラブで」という方が大勢いらっしゃって、やっぱり多くの人の人生を狂わせたというか(笑)、影響力は今でも残っていますね。
神奈川はあの時、中選挙区5つが全部トップ当選。選挙直前に立候補を決めた方もトップ当選でしたから、神奈川の新自由クラブ旋風は全国の中でも相当だったんだと思います。
当時の熱狂を追体験するのはなかなか難しいと思っていますが、それ以降で似たような状況はあったのでしょうか。
小泉純一郎さんの時はそうだったと思いますし、今の高市さんもいわばそういう状況なんだと思います。
どんな政治家でありたいか
Q6 河野先生がどんな政治家でありたいか、国民の目にどんな政治家として映っていたいか、最後にお聞かせください。
明確に主義主張を世の中に伝えることがすごく大事だと思っています。福島の事故が起きる前まで、原発は経済合理性が低いとずっと言い続けて、自民党の中では「あいつは変わり者だ」と言われていた。今でもそうかもしれませんが(笑)。年金についても去年本会議で久しぶりに造反しましたけど、ダメなものはダメと言えることはすごく大事だと思います。
ワクチン担当大臣の時も、6回取りの瓶から4回分取った後、余った2回分のワクチンを捨てていた自治体があった。「そんな貴重なワクチンを捨てるな、65歳以下の若い人でも打っていい、とにかく無駄にするな」と。厚労省はダメと言っていたけど、僕の判断で「いいよ、やっちゃえ。文句が来たら全部俺に回せ」と。
熊本地震の時も国が初めてプッシュ型の支援をやった。最初10万食送ろうと言ったら「多すぎないか」という話があって。あの時菅さんが官房長官で、菅さんと2人で「とにかく10万食出しましょう」と決めて、「最後は俺が責任取るから行け」といって出したら、圧倒的に足りなかった。
いろんな閣僚をやらせてもらったけど、「最後責任取るからやれ」って言うのが閣僚の、大臣の仕事だと思っています。
防衛大臣の時に整備を検討したイージス・アショアも、演習地の周辺住民に「第1段ロケットはコントロールするから大丈夫です」と歴代の防衛大臣が約束していたのが、実はコントロールできないとわかった。約束を違えるわけにいかないからやめようと、安倍さんと2人で決めて、根回しすると話が漏れるから根回しなしで発表して、その後叱られに行きました(笑)。
政治家の仕事というのは、責任をきちっと取るというのが大事なんだと思います。だから、そういうふうに思ってもらえたらと。
責任をしっかりと取る政治家、責任を持って判断する政治家として国民に見られたい。
そうですね。
茅ヶ崎の佐藤市長が河野先生から影響を受けたこととして、「“ひらがなの言葉”で話される方だ」とおっしゃっていて、その点は自分も気を付けるようにしていると。今日お話を伺いながらそれを思い出していました。
子供の頃、「政治家の話はこたつに入って、みかんを剥きながらおばあちゃんに話す——そういうつもりでやらなきゃいけない」、と父がよく言っていたんです。絶叫調で難しいことを言っても伝わらない、こたつでみかんを剥きながらおばあちゃんに話をするくらいの感覚で世の中に話をしなきゃならない、というのが父の言葉でしたね。
昔、俳優の小沢昭一さんが『唐来参和(とうらいさんな)』という一人芝居をやっていて、父がよく「演説の練習」と称して観に行っていたんです。僕も連れて行ってもらっていました。第二部が唐来参和の本編で、第一部がその時代背景の説明なんですが、これがもう抱腹絶倒で。
その第一部を観たところで、父が「いいかお前、政治家の演説はこういうふうにやらなきゃいけないんだ」と。「堅苦しく絶叫調で言っても誰も聞いてくれないけど、こうやったらみんなちゃんと聞いてくれる」と。「第二部はいいから帰ろう」って言うから「いやいや、第二部も観ようよ」と(笑)。
父から演説について聞いたのはその2つかな。ひらがなというのは本当にその通りだなと思います。いいこと言うな、これからそれ使わせてもらおう。「ひらがなでやらなきゃダメだ」って(笑)。
最後に——
「国が前に出るべき線はどこか」という問いへの答えは、制度論以上に、判断を引き受けてきた政治家の来歴として返ってきました。多摩川格差の話も、イージス・アショア撤回の決断も、ワクチンの現場も、どれも「最後は自らが責任を取る」という一点に収斂していました。
首長インタビューシリーズを通じて宙に浮いたままだった問いは、国政という回路を経て、制度の問題である前に「誰が引き受けるのか」という政治家自身の覚悟の問題でもあることが見えてきました。湘南の現場が積み上げてきた問いは、永田町でも同じ形をしていました。
父・洋平氏の「こたつでみかんを剥きながらおばあちゃんに話す」という言葉を、茅ヶ崎の佐藤市長の「ひらがなの言葉」という指摘を通じて改めて受け取り、「これから使わせてもらおう」と笑う。湘南の現場から返ってきた言葉が、国政の側へ渡っていく瞬間でした。
河野太郎プロフィール
氏名: 河野 太郎(こうの たろう)
生年月日: 1963年1月10日
出身地: 神奈川県平塚市
【略歴】
1985年12月 米国ジョージタウン大学卒業
1986年2月 富士ゼロックス株式会社入社
1993年1月 日本端子株式会社入社
1996年10月 第41回衆議院総選挙にて神奈川第15区で初当選
2015年10月 国務大臣・国家公安委員会委員長等に就任
2017年8月 外務大臣に就任
2019年9月 防衛大臣に就任
2021年1月 新型コロナウイルスワクチン接種担当大臣を兼務
2022年8月 デジタル大臣に就任
2026年2月 第51回衆議院総選挙にて神奈川第15区で再選(現在11期目)