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今は亡き西城秀樹が初主演の映画『愛と誠』で4万人の応募者からヒロインの座を射止めた清楚な美少女、早乙女 愛15歳のオーラ

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今は亡き西城秀樹が初主演の映画『愛と誠』で4万人の応募者からヒロインの座を射止めた清楚な美少女、早乙女 愛15歳のオーラ

プロマイドで綴る わが心の昭和アイドル&スター

大スター、名俳優ということで語られることがない人たちかもしれないが、
青春の日々に密かに胸をこがし、心をときめかせた私だけのアイドルやスターたちがいる。
今でも当時の映画を観たり、歌声を聴くと、憧れの俳優や歌手たちの面影が浮かび、懐かしい青春の日々がよみがえる。
プロマイドの中で永遠に輝き続ける昭和の〝わが青春のアイドル〟たちよ、今ひとたび。

企画協力・写真提供:マルベル堂

 西城秀樹の命日が近い(2018年5月16日)。ふと思い出すのが映画初主演作『愛と誠』である。

 1972年3月、「恋する季節」でデビューした西城は、瞬く間に俳優としても活躍するようになった。74年には、TBSのホームドラマ「寺内貫太郎一家」で寺内家の長男・周平役でレギュラー出演、『愛と誠』(1974年7月13日公開・配給・松竹 監督:山根成之)では映画初出演を果たした。

「愛と誠」は、原作:梶原一騎、作画:ながやす巧により、「週刊少年マガジン」の1973年~76年に連載され、累計発行部数500万部を突破、原作の梶原にとってはそれまでの「巨人の星」、「あしたのジョー」、「タイガーマスク」などスポ根作家のイメージを払拭した作品である。財閥の令嬢・早乙女愛と彼女の命の恩人である不良少年・太賀誠の純愛物語は、中高生の憧れの漫画だった。

 映画化の話が持ち上がると、この漫画のファンだった西城は主役の太賀誠役を梶原に直訴したという。西城が主役に決まるとヒロインの人選が難しい。世の熱狂的なヒデキファンたちの恋敵になってしまうわけだ。そこで、配給元の松竹は「満15歳から19歳の未婚女性 賞金100万円」と新聞と松竹の劇場のポスターでオーディションを公表すると、4万人近い応募が集まった。決勝大会は宣伝もかねて公開決戦審査会形式になり、鹿児島県の高校一年生になったばかりの15歳の瀬戸口さとみさんが選ばれた。「東京に行くことができて、西城秀樹さんに会える」という興味本位で出場した少女がシンデレラの座を射止め、映画の役名と同じ「早乙女愛」の名前でデビューが決まり、松竹と専属契約をした。

©マルベル堂

 デビュー以来ワイルドでセクシーな魅力でトップアイドルに昇りつめた西城だったが、激しい喧嘩シーンやボクシングの決闘シーンにも果敢に挑み、泥にまみれ、傷だらけの体当たりの演技を魅せた。さらに鋭い眼差しで相手を威圧する表情は、漫画の「太賀誠」そのもので、はまり役だった。
 粗削りな不良少年役の西城に対し、ヒロイン早乙女愛は純真でひたすら誠のために自己犠牲を強いる芯の強い女学生を演じた。クライマックスの大乱闘シーンの後、怪我をした愛を抱き上げ誠が夕日に向かって歩いていくエンディングは、ヒデキファンの垂涎の的だったに違いない。西城は、後年のインタビューで早乙女のことを、「演技がうまい、下手という次元ではなく、そこに立っているだけでヒロインとしての説得力があった」というコメントを残している。きっと手探り状態の中で、必死に西城についていったのだと思うが、西城は早乙女の女優としての資質を感じたのだろう。

 予想通りヒデキファンが大挙して劇場に押し寄せ、映画は大ヒット。翌年は『続・愛と誠』が続編として製作された。今度は太賀誠役がオーディションになり、南条弘二が演じた。南条はそれ以前、小林弘二の名前でドラマに出演したこともあったが、西城に対抗し南条に芸名を変えた。物語が第1作よりさらに暴力的な要素が強くなったが、早乙女の演技は、誠を受け止める母性的な強さが増していた。

 1976年9月23日公開の『愛と誠・完結編』の誠役は、加納竜になり、監督も南部秀夫に変わった。アクション要素に加え、政界黒幕と財閥の陰謀事件を絡ませるなど、ベテラン俳優の根上淳や大滝秀治なども出演し、学園物語だけではない内容の濃いものなった。撮影は、早乙女の夏・冬休みの長期休暇しか撮影ができず、早乙女主体でスケジュールが組まれた。『愛と誠』3作は、女優・早乙女愛の成長物語ともいえる。3作品とも、不良少年・誠をひたむきに愛し続ける姿が、当時の観客の強烈な印象を与えたのは間違いない。

『愛と誠』と同時期に、浅丘ルリ子がマドンナ、リリーを演じた『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』(75年、監督:山田洋次)、落合恵子のベストセラーを映画化した桜田淳子初主演の『スプーン一杯の幸せ』(75年、監督:広瀬襄)などに出演した。またテレビでも必殺シリーズや水戸黄門のなどの時代劇のゲスト出演、「土曜ワイド劇場」の江戸川乱歩の美女シリーズでは、天知茂が明智小五郎を演じた人気シリーズなどにも出演している。

 世間を驚かせたのは、山城新伍監督の日活初主演作『女猫』(1983)だろう。清純なイメージで売っていた早乙女が、夫の暴力から逃れ、裏社会に足を踏み入れたヒロインを演じ、妖艶な大人の女性を演じた。五社英雄監督の『北の蛍』(1985)では、明治初期の北海道の集落を舞台にし、男たちの間で揺れ動く、情熱的で悲しい運命を背負った女性を官能的で激しい演技を披露した。これらの作品は「早乙女愛」という美しく清純な芸名を担うことになった運命に抗おうとした、女優生命を賭けた挑戦だったのだろう。

 『北の蛍』公開の1985年、実業家と結婚した。当時のカラー映画やテレビの撮影で、非常に強い照明が使われ、されに長時間の撮影のため、肌への負担が大きく、早乙女自身がひどい肌荒れに悩まされていたことから、「女優たちの肌荒れを救いたい」という思いが募り、麻布十番に開いた小さなサロンからスタートし、実業家の夫とともに独自のブランド「江原道(Koh Gen Do)」設立したのである。現在も、映画のクレジットなどで目にする。経営者は変ったが「江原道(Koh Gen Do)」は、日本のみならず、アジアや北米までグローバルに展開する独立した化粧品メーカーとして存在している。

 96年、妊娠により出演中のドラマを降板すると2000年の映画『新・仁義なき戦い。』への出演を最後に表舞台から退き、アメリカのシアトルに移住した。

 訃報が届いたのは、2010年7月20日。多臓器不全のためシアトルのワシントン大学病院で死去した。まだ51歳という若さである。訃報に接し西城は、「オーディションで出会った頃の彼女の瞳の輝きを、今でも鮮明に覚えています。清純さと強さを兼ね備えた素晴らし女優さんでした。まだ若く、これからという時に突然の悲報に接し、本当に残念でなりません。心より冥福をお祈りします」と、コメントを寄せている。女優として約60本の映画やドラマに出演し、76年3月21日には荒井由実作詞・作曲の「魔法の鏡」、76年10月21日には、『愛と誠・完結編』で主役をつとめた加納竜と「愛と誠」のシングル2枚を出していたことも記しておこう
 女優・歌手・そして実業の世界にも足跡を残した早乙女愛には、4万人から選ばれる、確かなオーラがあったのだ。

文=黒澤百々子

 ※プロマイドの老舗・マルベル堂では、原紙をブロマイド、写真にした製品を「プロマイド」と呼称しています。ここではマルベル堂に準じてプロマイドと呼ぶことにします。

マルベル堂
大正10年(1921)、浅草・新仲見世通りにプロマイド店として開業したマルベル堂。2021年には創業100年を迎えた。ちなみにマルベル堂のプロマイド第一号は、松竹蒲田のスター女優だった栗島すみ子。昭和のプロマイド全盛期には、マルベル堂のプロマイド売上ランキングが、スターの人気度を知る一つの目安になっていた。撮影したスターは、俳優、歌手、噺家、スポーツ選手まで2,500名以上。現在保有しているプロマイドの版数は85,000版を超えるという。ファンの目線を何よりも大切にし、スターに正面から照明を当て、カメラ目線で撮られた、いわゆる〝マルベルポーズ〟がプロマイドの定番になっている。現在も変わらず新仲見世通りでプロマイドの販売が続けられている。

マルベル堂 スタジオ
家族写真や成人式の写真に遺影撮影など、マルベル堂では一般の方々の専用スタジオでのプロマイド撮影も受けている。特に人気なのが<マルベル80’S>で、70~80年代風のアイドル衣装や懐かしのファッションで、胸キュンもののアイドルポーズでの撮影が体験できるというもの。プロマイドの王道をマルベル堂が演出してくれる。
〔住〕台東区雷門1-14-6黒澤ビル3F

読者の皆様へ
あなたが心をときめかせ、夢中になった、プロマイドを買うほどに熱中した昭和の俳優や歌手を教えてください。コメントを添えていただけますと嬉しいです。もちろん、ここでご紹介するスターたちに対するコメントも大歓迎です。

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