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田中泯「死ぬ瞬間まで踊り続ける」76歳の世界的ダンサーが明かした決意

フジテレビュー!!

ダンサーとして世界で活躍する田中泯が、主演映画の舞台挨拶で「踊り」への思いを明かした。

田中の踊る姿と生き様を追った映画「名付けようのない踊り」が1月28日より公開となり、翌29日に、田中と犬童一心監督が公開記念舞台挨拶に登壇した。

©2021「名付けようのない踊り」製作委員会

田中は、1978年にパリでデビューを果たし、世界中のアーティストと数々のコラボレーションを実現。ダンスの公演歴は、現在までに3000回を超えるという。

映画「たそがれ清兵衛」(2002年)から始まった映像作品への出演も、ハリウッドからアジアまでと幅広い。

本作は、そんな田中のダンスを「メゾン・ド・ヒミコ」(05年)への出演オファーをきっかけに親交を重ねてきた犬童一が、ポルトガル、パリ、東京、福島、広島、愛媛などを巡りながら撮影した。

©2021「名付けようのない踊り」製作委員会

映画上映後、ステージに登壇した田中は観客に向かい、「映画を観た後ですよね。なんだかもう話さなくてもいいような気もしますが。ただこの時期にこういう映画ができて、大勢の人に観ていただくのは非常に不思議な気持ちでいます」

「犬童監督がこういう映画を作ってくれたんですが、これは田中泯というやつの話ではなくて、映画全部が語っているように、踊りというものが僕にもたらしてくれたたくさんのものに、全身で感謝するものになっていると思うんです。ですから、これからも踊りを死ぬ瞬間まで踊り続けるというか。僕の師匠もそうでしたから。僕もそれだけは継承したいなと思っています」とあいさつ。

犬童も「最初は、映画にしようと思って撮っていたわけではなく。ひとつの興味として撮っておこうなかというところから始まりました。それがこうやって時間を経て、皆さんに観ていただける映画になっているというのは、必然だったかもしれないですが、不思議な気持ちです。今日は皆さんに観ていただけてしあわせです」と続けた。

「田中泯という人の圧倒な居方に興味を持ったことから始まった作品」

©2021「名付けようのない踊り」製作委員会

2人の出会いは2005年の映画「メゾン・ド・ヒミコ」にさかのぼる。オファーの際に田中から「自分は演技はできないけど、その場面に居ることは一生懸命できるけどいいか?」と言われたそうだ。

「その言い方が、僕がほしいものを言葉として言ってくれたな、という思いがあって。僕が映画の中で求めているものも、実はそれだったんじゃないかということに気付かされました。それで撮影をしたんですが、最初はただ歩いて部屋に入ってくるだけのカットだったのに、それが圧倒的なカットになっていて。『このカットは何だろう』ということが大きかった」と、田中泯という存在に迫りたいと思った理由を明かす。

さらに、撮影を通じて「泯さんの踊りの面白さとか素晴らしさを簡単に説明はできなくて。ただ、言語化しにくいけど、間違いなくいいものを観たと思えるのがいいんですよね」と感じたという。

「映画を作っていると、『わかりにくい』『伝わらない』などと言われて。それで直したりするわけですけど、泯さんと映画を作ると、もしかしたらそういうことから離れられるんじゃないか。長い時間かけて積み上げないと分からないなら、長い時間をかけようぜ、ということでいい。そういう作り方ができると思った」と続けた。

2年にわたり、田中の踊りを撮り続けてきた犬童は「田中泯という人の圧倒な居方に興味を持ったことから始まった作品。いろいろなことを考えるきっかけとして、自分の言葉で伝えたり考えたりして欲しいです」と訴えた。

映画「名付けようのない踊り」は、公開中。
©2021「名付けようのない踊り」製作委員会
配給・宣伝:ハピネットファントム・スタジオ 

最新情報は、映画「名付けようのない踊り」公式サイトまで。

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