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【声優道】岩田光央さん「表現者に必要な二つの柱」

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アニメや吹き替えといった枠にとどまらず、アーティスト活動やテレビ出演など活躍の場を広げ、今や人気の職業となっている「声優」。そんな声優文化・アニメ文化の礎を築き、次世代の声優たちを導いてきたレジェンド声優たちの貴重なアフレコ秘話、共演者とのエピソードなど、ここでしか聞けない貴重なお話が満載。

それぞれが“声優”という仕事を始めたキッカケとは……。

声優ファン・声優志望者だけでなく、社会に出る前の若者、また社会人として日々奮闘するすべての人へのメッセージとなるインタビューは必見です。

表現者に必要な二つの柱

▼小学校4年で気づいた「演じることが楽しい」という気持ち
▼志した役者と美術の道は今思うと父の影響が大きかった
▼ドラマの仕事と声優の仕事 どちらを選ぶかジレンマを感じていた
▼やるからには本職の人と対等に 自分のもてるものすべてを使って発信する
▼僕は神経質かと思えば大胆なところもある そうやって自分自身を観察することが重要
▼表現者にいちばん必要なのは「好き」という気持ち

【プロフィール】
岩田光央(いわたみつお)
7月31日生まれ。青二プロダクション所属。主な出演作はTV『斉木楠雄のΨ難』斉木國春、『ドラゴンボール超』シャンパ、『ONE PIECE』イワンコフ、『頭文字D』武内樹、『動物戦隊ジュウオウジャー』クバル、映画『AKIRA』金田正太郎、ゲーム『アンジェリークシリーズ』ゼフェル、ラジオ『スウィートイグニッション』ほか多数。

小学校4年で気づいた「演じることが楽しい」という気持ち

僕は埼玉県所沢市出身なんですが、小学4年のときに「よい映画を見る会」という団体が企画した、埼玉県在住の小学生をメインキャストにした教育映画『あすも夕やけ』という作品に出ることになったんです。僕は小学校の代表としてオーディションに参加したんですが、運良く準主役で受かって、夏休みいっぱいロケに参加しました。先生役で風間杜夫さんが参加していらっしゃったり、お母さん役で樹木希林さんがいらっしゃったりと、教育映画とはいってもかなり本格的な作品なんです。雨の中で泥んこになるシーンがあったり、ケンカをするシーンがあったりと、ロケはけっこう大変だったんですが、子供心にすごく楽しかったんです。

『あすも夕やけ』には小学生が十数人出演していたんですが、その中に劇団こまどりに所属していた熊谷誠二くんという男の子がいたんです。僕がロケの間中、熊谷くんに「面白いね、面白いね」と言っていたら、「じゃあ、うちの劇団に来れば?」と勧められました。それで、親に半年くらい「劇団に通わせてくれ」と言い続けたんです。最初は反対されたんですが、とうとう根負けしたんでしょうね。「そんなにやりたいなら、レッスンにも、仮に仕事が決まったとしても、親はいっさいついていかない」という条件を出されて、許可してくれました。今でも覚えていますが、劇団こまどりに入団した日が小学5年の5月14日のことです。それが僕が表現の道に入ったきっかけですね。それ以前は、映画に興味があるとか、演技をしてみたいなんていうことはまったく考えていなかったのに、それから今までこういう世界にいさせてもらっているというのは不思議な感じがしますね。

劇団こまどりのレッスンもすごく楽しくて、鏡の前で喜怒哀楽の表現をするというレッスンなど、一つひとつが新鮮で今でも印象に残っています。しかも、入団して1週間で仕事のオーディションに受かるという劇団最短記録を打ち立てたんです。小学生が水道施設に行ってレポートするという企画だったんですが、実は返事をするときに元気が良かったから選ばれただけだったんですけどね。その後も、樋口可南子さんのデビュー作となったドラマ『こおろぎ橋』に出演させていただいたり、『がしんたれ』というドラマに出演させていただいたりしました。『がしんたれ』は東京・目黒のスタジオで撮影していたんですが、ときには撮影が深夜2時まで続くこともありました。そのときはさすがに劇団から親に電話がいったらしくて、父がしぶしぶ迎えに来てくれましたね。でも最初の約束どおり、電車があるうちは絶対に迎えに来ないんです。レッスンや仕事帰りに電車の中で寝てしまい、終点まで行ってしまうこともありましたが、家に電話をすると「まだ電車もあるし、帰って来られる時間だよね」って言われちゃうんです。

志した役者と美術の道は
今思うと父の影響が大きかった

今から思うと、親はすごく勇気があったなと思います。僕の息子が10歳になったとき、同じことをしてあげられるのか考えたら、その場になってみないとわからないとしか言いようがありません。ただ、僕は4人兄弟の3番目なんですが、かなり小さいうちから兄弟だけで長野の祖父の家に行かされたりもしていましたから、自立心を養うということに重点を置いていたんでしょうか。僕が出演したドラマについても、観ているのか観ていないのか、いっさい何も言いませんでした。よく言われたのは「ただでさえ目立つ仕事をしているんだから、普段の生活をきちんとしなさい」ということですね。中学のときにドラマ『1年B組新八先生』に出演したんですが、『3年B組金八先生』の姉妹作ということもあってとても人気が高く、『月刊明星』『月刊平凡』といったアイドル誌に毎号のように出させていただいていたんです。そうしたら、学校で先輩に呼び出されたりと怖い経験もしましたね。そんな経験もあって、親に言われたように日常生活を大切にしようと、クラスの委員を引き受けたり、学校行事にも積極的に参加するようになりました。

そんな学校生活を送りながら成長したんですが、職業としての役者を意識したのは高校3年のときですね。許されるのであれば役者を続けたいと思ったんですが、当時自分でも役者で食べていくことは相当難しいことだとはわかっていました。それで、役者を続けていくために手に職をつけようと、東洋美術学校に進学したんです。父が休日のたびにどこかに出かけていっては、油絵で風景画を描いているような環境で育ったので、僕自身も絵を描くことが好きだったし、中高と6年間美術部にいて、役者の次に自分のやりたいこと、興味のあることを考えたときに「だったら絵はどうだろう」と思ったんです。それで高校の先生に「美大に進学したい」と言ったら、「無理だ。もう1年早く言え」と怒られました(笑)。でも、油絵では役者以上に食べていけないこともわかっていたので、東洋美術学校ではグラフィックデザインを学んで、デザイン事務所に就職しました。デザイナーの仕事は25歳くらいまで続けていましたが、何とか役者のほうだけで食べていけるという手応えがあったので、表現の道一本に絞ったんです。

自分では、好きな道を自分で選んで歩いてきたつもりですが、今から考えると父の影響が大きかったのかな。僕の父は東映に勤めていたので、夏休みや冬休みに公開される「東映まんがまつり」は必ず観せられていたんです。そのほかにも、父自身が映画好きというのもあって、まだ発売されたばかりのビデオデッキを買って、テレビ放映される映画を録画しては観るというのを繰り返していました。初めての映画に出演して、演技の勉強をしたいと思うようになる以前から、無意識のうちにそういう環境に置かれていたことが、現在の僕を作っているのかもしれません。今になって、初めてそう思います。

ドラマの仕事と声優の仕事
どちらを選ぶかジレンマを感じていた

僕の転機になった役といえば、やはり『AKIRA』の金田役でしょうね。良くも悪くも、顔出しの俳優から声優にシフトするきっかけを作ってくれた作品だと思います。僕が所属していたのは劇団こまどりでは、「アニメの大ヒット作に出演したから、今後はアニメの仕事を増やしていこう」というような営業を行っていなかったんです。月曜はドラマ出演、火曜はCM出演、水曜はアニメのアフレコといった感じで、声優も数ある仕事のうちの一つという位置付けでした。だから僕の声優デビュー作は『AKIRA』じゃないんです。小学生のときに『大草原の小さな家』に少年Aみたいな役で出演したのが最初ですし、高校生の頃に『キャプテン』や角川アニメ映画『時空の旅人』にも出演しています。あと、高校のときで印象に残っているのはディズニー映画『ピーターパン』の吹き替えですね。まさか自分がピーターパンを演じるとは思っていなかったので、オーディションに受かったときにはびっくりしました。最終オーディションはアメリカからディズニー社の方が来日して行われたんですが、どうして僕に決まったのかわかりません。

今では仕事のジャンルが完全に声優オンリーになっていますが、顔出しのドラマに出たくないわけじゃないんです。ドラマの仕事に縁がなくなったというのが最大の理由でしょうか。劇団こまどりを辞めてからも、酒井法子さん主演のドラマ新銀河『帰ってきちゃった』で新聞記者の役を演じましたし、その後、テレビ時代劇『宝引の辰捕者帳』で下っ引きの役を演じましたが、そこまでで縁が切れたという感じですね。

また、ドラマの仕事と声優の両立は、すごく難しいんです。ドラマ出演が一つ決まると、たとえば『1年B組金八先生』の場合は、1週間のうち4日は完全にスケジュールを空けておかなくちゃいけない。ところが声優の仕事は、生臭い話ですけど単価が低いので、とにかく数をこなさないと食べていけない。僕自身、声優として積み上げてきたものをいったん保留にしてドラマを選ぶのか、声優としての仕事だけに本気で向き合っていくのかというジレンマを感じた時期があります。それで声優という仕事を選んだんですが、心のどこかで「もう僕はドラマの世界では生きられない」という意識があったんでしょうね。

やるからには本職の人と対等に
自分のもてるものすべてを使って発信する

ラジオの仕事も長く続いていますが、初めてラジオ番組のパーソナリティをすることが決まったとき、ディレクターさんが「岩田さんは声優として人気があるみたいですが、僕は岩田さんのことを知らない。いちパーソナリティとして接しますが、それでもいいですか」と言ってくださったんです。それがすごくうれしかったですね。パーソナリティにしろ何にしろ、その仕事だけを本気でやっている人がたくさんいるじゃないですか。僕は自分がパーソナリティをする以上、そういう本職の人たちと対等にやっていきたいんです。アニラジというくくりはあくまで制作者側の都合であって、ラジオを聴く人にとってはまったく関係ないことじゃないですか。僕を知らない一般の人が、たまたまチューニングをしていて僕のラジオを聴いて、「面白いな、また聴いてみたいな」と思ってもらえたら最高ですね。さまざまなイベントでステージに立たせていただくこともありますが、初めて『ネオロマンス』シリーズのイベントに出演したときはびっくりしました。5000人もの観客の前に出るなんていう経験は人生でも一度か二度だろうと思いましたね。

こんな簡単にステージに立っちゃっていいんだろうかという思いはありましたが、だからこそ最初から精いっぱいの力で出演していました。結果としてそのイベントが何度も続くことになるんですけれど、何度も続くなんてそれこそあり得ないじゃないですか。回数を重ねるごとに、もっと楽しませることができるんじゃないか、もっと力を出せるんじゃないかという想いが強くなります。

バンドやユニットで歌を歌わせていただくこともあります。歌を歌う以上、本職の歌手の人たちと同じ土俵でやっていきたい。でも僕には歌手の人ほどの歌唱力はない。だったらパフォーマンスで補うしかない。そういう感じで、とにかく自分のもてるものすべてを使って、僕を知らない一般の人にも楽しんでもらえるようなものを発信していきたいんです。

どうしていつも全力でいられるのか、そのパワーはどこから出るのか、と聞かれることもあります。それはもう、好きだからとしか言いようがありません。グラフィックデザイナー時代もそうなんですが、何かを作り上げていくというクリエイティブな作業が好きなんでしょうね。子役時代からいろいろな現場でもまれてきて、下積みみたいな時代もありましたし、デザイナーをしているときは時間に追われながら作業をして、朝になってから「もうこんな時間か」みたいに疲れ果てて帰ることもありました。やっている最中は大変な思いをしていたんでしょうけれど、今振り返ると楽しかったなぁという印象しか残ってないんです。

もっとぶっちゃけた話をすると、声優の仕事ってある意味、ゆとりがあるんですよ。どんなに朝早くても収録は10時からだし、夜も深夜になることなんてめったにありません。ドラマは朝5時集合で、終わりが朝の4時なんてこともよくありましたからね。それだけ拘束時間が短いんだから、だったらもっとやりたい、もっとやれると思うんです。とにかく貪欲なんですよ。でも、やるからにはどんなことにも本気で向き合うという気持ちは、これからもおろそかにしたくないですね。

僕は神経質かと思えば大胆なところもある
そうやって自分自身を観察することが重要

声優を目指す人や後輩から、さまざまな役を演じ分けるコツを聞かれることがあります。でも、演じ分けなんて一足飛びにできることじゃないんです。もしコツがあるとしたら、役者の目でものを見続けることですね。おかげ様で僕は子役時代からそういう目を養うという経験を積ませてもらえましたが、日常生活は役者にとって題材の宝庫なんです。さまざまな人と接した経験、今までに見てきたもの、それが役を演じるときの素材になるんです。何か役をいただいたときに、自分の中にため込んできた引き出しの中から、「これはあのときに会ったあの人に似ている」「あのときに経験した感情だ」というような要素を引っ張り出して、すり合わせをすることで演技が出来上がっていくんですね。役者の目で物事を観察して、引き出しの中に素材をたくさん積み上げていく、それが大切なんじゃないかと僕は思います。

あと、同じ役者の目で自分自身を観察することも必要です。誰でも、仕事中に見せる表情とプライベートでの表情は違います。また、親に対してだったり、友達に対してだったり、接する相手によっても変わってきます。それにプラスして、そのときの機嫌によってもさまざまに変化します。

人間の表情って、いろいろな要素が絡み合って、無限に変化していくじゃないですか。みんなそういうさまざまな面をもっていますけど、他人のすべての面を観察することはできません。でも、自分自身なら常に観察できますからね(笑)。
僕はちまちまとした細かい作業が好きな神経質なところがありますが、舞台で体を張って笑わせるような大胆な一面もありますし、涙もろいくせに冷徹な一面もあるんです。そういう、一見相反するような感情も、人間の中にはちゃんと同居しているんです。自分にとって嫌な一面だから見たくないと目を伏せるのではなく、役の中に落とし込んでいく。
役者というのは、私生活をどう生きているのか、どういう目でものを見ているのかを、常に問われている職業だと思います。

表現者にいちばん必要なのは「好き」という気持ち

役者にとっていちばん大切なのは、演じることが好きかどうかですね。役者を目指している人と接したときには必ず、「演じることが本当に好き? 好きといっても、いちばん好きじゃないと続けられないからね」と聞きますね。「好き」だったら、その「好き」をもっと育ててほしい。「好き」がどんどん大きく育っていくと、それがエンジンを動かしてくれる燃料になるんです。その循環ができてないと、何を言っても何も積み上がっていかないんです。

たとえば滑舌なんて、訓練すれば誰でもできるようになるんです。100回やってできる人もいれば、1万回やらなくちゃできない人もいますが、最終的には誰でも必ずできます。でも、好きじゃなければ訓練なんて努力をしたいとも思わないでしょう。そして、できるようになれば、もっと頑張ろうと思えるようになる。だからこそ、好きでいることがいちばん大切なんです。もちろん僕だって、忙しすぎて「もうしゃべりたくない」「もう声なんか出ねぇよ」と思うことはあります。でも、しばらくぼーっとして落ち着いてから、また改めて考えると「やっぱり演技が好きだ」というところに戻っちゃうんです。本気で追求しているからこそ、向上心があるからこそ嫌になる。僕はそう思っています。小学4年から「好き」というだけでここまで歩いてきましたが、今のほうが1000倍以上好きだと胸を張って言えます。

あと表現者には、二つの柱があるんです。一つの柱が発声や滑舌といったスキルだとすると、もう一つの柱は感受性です。その2本の柱を等しく育てていかないと、表現者にはなれないと思っています。スキルはやればやっただけ結果がついてきますが、感受性というのはその人の生き様なんです。どうやったら育てられるというものでもないし、結果が出るものでもありません。役者としての目を意識して、積み上げていくしかないんです。役者をしていると、犯罪者の役を演じることもあれば、宇宙人や神様を演じることもある。日常生活で積み上げたものだけでは演じられない役が来ることもあるんです。日常生活だけでなく、映画、小説、本、マンガなど、すべてのものを役者としての目で経験することですね。でも、逆に言うとこの2本の柱が育っていけば、個性のある素晴らしい役者になれるんです。

僕も長いことこの業界にいますが、年齢を重ねれば重ねるほど、その先で表現したいものが出てくるんです。見た目や声質など、この年齢だからこそできることっていうのもあります。今でも新しいことにいろいろ挑戦し続けていますが、まだやりたいことが全部できているわけではないんです。頭の中にはすでに2~3年先のビジョンがあるんですが、「そこまで考えたらこういうこともやっておきたい」「こんなことにも挑戦したい」と考えちゃうんですよ。本当にこの仕事には終わりがないと思いますね。

(2011年インタビュー)

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