井の頭線渋谷駅からスタートします【駅ぶら】06京王電鉄370 井の頭線01
※2024年1月撮影
トップ画像は「京王井の頭線渋谷駅」ホームの「吉祥寺駅」側、現在は「神泉駅」の踏切までトンネルになっていますが、筆者の記憶では、電車は一度トンネルから出て「渋谷駅」ホームに到着していました。「渋谷駅」ホームまでトンネルで覆われるようになったのは「渋谷マークシティ」という駅ビルができた時だったと思います。
改札口の方にむかいます。改修される前のホームはこの3分の2くらいの幅でした。
※2024年1月撮影
私事で恐縮ですが、1963年(昭和38年)筆者の実家が杉並区阿佐ヶ谷から世田谷区烏山町(現・北烏山)に転居しました。しかし実家は、杉並区久我山との境界からほど近く、駅としても「久我山駅」の方が近かったので主にこちらを使って生活したことは「千歳烏山駅」の項で既に書きました。当時は、「京王線(2700系)」も「井の頭線(1900系)」も濃いグリーンの電車が走っていました。
つまり小学2年生から大学4年生(1977年/昭和52年)までの14年間、筆者には「久我山駅」が公共交通機関の出発点でした。子供の頃は親が銀座や日本橋のデパートに行くのに連れられて「渋谷駅」から営団地下鉄(現・東京メトロ)「銀座線」に乗りました。高校・大学は「吉祥寺駅」で「JR線」(当時は国電)に乗り換えて通っていました。また「下北沢駅」で「小田急線」に乗り換える学校にも通っていました。
「井の頭線」は、筆者が初めて一人で切符を買って(子供料金の久我山駅-吉祥寺駅区間は5円でした、昭和40年頃の話です)乗った電車であり、毎日通学に使った電車でした。7歳から21歳まで成長と共に揺られた電車なので思い出がたくさんつまっています。
【駅ぶら】でも過去の記憶が頻繁にでてきます、どうぞよろしくお付き合いください。
駅名標。筆者が子供の頃「井の頭線」の駅名標には隣駅までの距離が表記されていました。それで1km以下の駅間が多く、停車中に運転席の後ろに立っていると次の駅が見えていたことも記憶しています。渋谷の駅番号は“IN 01”。
※2024年1月撮影
「井の頭線」は、1933(昭和8年)帝都電鉄が「渋谷駅~井の頭公園駅」間を開業。翌1934(昭和9年)「吉祥寺駅」まで延伸開業しました。
1940年(昭和15年)「帝都電鉄」は「小田原急行鉄道(現:小田急電鉄)」と合併。戦時下の「陸上交通事業調整法」で1942年(昭和17年)「小田急電鉄」は「京浜電気鉄道」とともに「東京横浜電鉄」と合併し「東京急行電鉄」(通称:大東急)と社名変更。1944年(昭和19年)には「京王電気軌道」も「東京急行電鉄」と合併し「東京急行電鉄京王営業局」になりました。
戦後の1948年(昭和23年)「東京急行電鉄(大東急)」から「京王帝都電鉄」「小田急電鉄」「京浜急行電鉄」が分離設立します。この際に「井の頭線」は「京王帝都電鉄」の経営下になりました。
【駅ぶら】に戻ります。1番ホームに停まる各駅停車吉祥寺行。1996年(平成8年)に登場した1000系電車です。「井の頭線」初の大型20m4扉車両で3000系以来の伝統であるレインボーカラーが採用されています。写真の編成はライトグリーン。
※2024年1月撮影
各駅停車吉祥寺行が出発した後の空舞台です。ホームの「吉祥寺駅」側は右にカーブしています。駅改修前は直線だった様に思います。
※2024年1月撮影
改札口を出ます。自動改札機がたくさんならんでいます。改札口も昔の1.5倍くらい広くなった気がします。
※2024年1月撮影
改札の外から。かつての「渋谷駅」は、改札の外からドーム型のホーム上屋が見えていました。よく知っている東洋現像所(現・イマジカ)の営業さんがTVCMに出演したことがありました。1980年代中頃でしたから「渋谷駅」は改修前です。改札口に立ってカメラにむかって何か言う内容でした。
※2024年1月撮影
きっぷ運賃表。最も頻繁に乗った路線なので今でも「吉祥寺駅」「渋谷駅」間は楽に暗誦できます。
※2024年1月撮影
昔は改札口の外、南側にエレベーターがあって、5階(4階だったかも)にあったレストランで週末デパートに行った帰りに家族でよく食事をしました。筆者の定番はパイナップルの輪切りがのったポークソテー。(笑)今でも時々食べたくなります。
階段があります。駅が改修される前は、地上に下りると「不二家」や「天津甘栗」を売る店舗などがあって、学生時代はよく奥の立喰そばを食べていました。懐かしいなぁ。
※2024年1月撮影
とにかく「井の頭線」の南側は、子供の頃「玉電(東急玉川線)」の駅が地表というか半地下にありました。その後バスターミナルになってバスを方向転換する回転台が見えていました。今は昔、という気分です。
※2024年1月撮影
左に地上に下りるエスカレーターがありますが、営団地下鉄(現・東京メトロ)「銀座線」の駅があった方にむかいます。
※2024年1月撮影
昔話が多くてすみません。「久我山駅」の北にあった中学校に通っていた時代、級友たちとドキドキしながらウロウロした渋谷です。とても懐かしい駅なのです。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)