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今は草木に覆われた北条一族最期の地・鎌倉東勝寺へ<逃げ上手な幼き北条家惣領と鎌倉・弐>

さんたつ

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長い間、歴史の表舞台に登場することがほとんどなかった北条時行を、少年漫画の主人公(ヒーロー)として蘇らせた『逃げ上手の若君』。歴史は勝者によって語られるのは世の必然なので、その足跡を辿ることはなかなか難しい。しかし鎌倉には、源頼朝が幕府を開いて以来、連綿と続いた歴史的な見所が数多く遺されている。今回の「逃げ若散歩」は、そんな鎌倉の史跡を巡りながら、北条氏が最期を迎えた地へと向かうことにしたい。まずは“超”が付くほどメジャーで人気のスポット、銭洗弁財天(宇賀福神社)へと向かった。

頼朝の夢に現れた霊験あらたかなスポット

鎌倉を拠点とすることにした源頼朝は、ある日「仙境に湧く水で神仏を供養すれば、天下は泰平に治まる」と夢で宇賀神から告げられた。そこで霊水の湧く地を探し、お告げの主であった宇賀神を祀る。すると天下は次第に治っていき、人々は安楽な日々を送れるようになったというのだ。

ここの泉でお金を洗い清めると、それが福銭となり一家が栄えると伝えられるようになったのは、第5代執権北条時頼の時代以降とされる。時頼もこの神を敬い、自ら持っていた銭を洗い清めた。そして人々に参拝することを勧めていたのである。

源氏山へと向かう途中、大きな岩肌に口が開いたような洞窟が見えてくる。その前に鳥居が立っていて、神秘的な雰囲気を醸し出している。鳥居をくぐり、岩に穿たれた15mほどの暗い隧道を抜けて境内へ。

境内の右手に社務所があり、その奥に本宮、さらに岩肌にある洞窟が、銭を洗うことができる奥宮だ。本宮を参拝した後、洞窟内へ足を踏み入れる。そこには鎌倉五名水のひとつ、銭洗水が湧き出していて、ザルにお金を入れ、柄杓で洗い清める人の姿が絶えなかった。

銭洗水でお金と心身を清めれば福銭を呼ぶ銭洗弁財天(宇賀福神社)。

今も険しい山道が遺る切通しの道

銭洗弁財天の背後には標高93m山の源氏山が聳(そび)えている。その昔、麓に源氏が屋敷を構えていたことから、この名が付けられたと伝えられたという。現在は山頂一帯が公園となっている。公園の山上広場北西には、有事の際、坂東武者が鎌倉へ馳せ参じ、後に「鎌倉街道」と呼ばれるようになった街道のひとつ、「上ツ道」の出口に当たる「化粧坂」が遺る。

これは「鎌倉七口」のひとつに数えられる切通しで、当時を偲ばせる急な山道が、わずかだが残されている。元弘3年(1333)、鎌倉に攻め入った新田義貞の軍勢は、化粧坂付近で北条軍と激しく交戦。だが新田軍は攻め上がれず、稲村ケ崎へと迂回する。化粧坂は防御施設の機能を果たしたのであった。

源氏山公園から続く化粧坂は、鎌倉時代の風景を彷彿させる。
急坂ではあったが、5分ほどで住宅地の端に到達した化粧坂。

化粧坂を下ると、山道は突然住宅地へと姿を変える。そして海蔵寺や英勝寺、浄光明寺がある扇ガ谷へと続く。扇ガ谷には北条氏の邸宅もあったようで、時行は鎌倉幕府滅亡の際、この辺りに潜んで脱出の機会をうかがっていたとも伝えられている。

坂を下り切ると鎌倉駅へと続く道にぶつかる。一旦、駅方面に向かい少し進めば、左手にJR横須賀線の線路をくぐる道がある。線路をくぐるとすぐ、道が左右に分かれるが、ここは右へ。20mほど行く左手に岩船地蔵堂が立っている角を左折。そのまま住宅が並ぶ路地を登っていく。すると車止めが出てきて、急に両側から山の斜面が迫る。

この道も鎌倉七口のひとつである、「亀ケ谷坂切通し」だ。仁治元年(1240)に北条泰時が造ったと伝えられていて、昼でも薄暗く観光客の姿をほとんど見ない雰囲気は、当時の面影を色濃く残している。

亀ケ谷坂切通しへの入り口に立つ岩船地蔵堂。源頼朝の娘、大姫の守本尊を祀っている。
亀ケ谷坂切通しへ続く道。今は閑静な住宅地だが、北条時行は身を隠した頃は樹木に覆われていたと思われる。

坂の途中には、かつて建長寺の僧のための療養所であった延寿堂があった。今は墓地になっているが、その手前の岩屋にはお地蔵様が鎮座していた。切通しを越えると、横浜方面から鎌倉へと続く自動車道に出る。右へと進めば建長寺、さらには巨福呂坂(こぶくろざか)切通しに出る。今ではトンネルでつながれているが、かつては山越の道であった。そちらは現在、行き止まりとなっている。

道の脇の岩屋に鎮座する「延寿堂地蔵尊手前の地蔵」。
地元の人の生活道路になっている亀ケ谷坂切通し。自動車の通り抜けはできない。
巨福呂坂切通しは現在、鎌倉に向かうメイン道路となり、トンネルで抜ける。

北条高時は本当に暗愚だったのか

北条一族が舵取りをしていた鎌倉幕府は、一体なぜ滅びたのか。従来の歴史教科書には、次の3つの理由が挙げられている。

1.  蒙古来襲の際に多大な犠牲を払って奮闘したにもかかわらず、御家人たちには十分な恩賞が与えられなかった
2. 御家人は分割相続を繰り返したことで、所領が細分化し過ぎてしまったうえ、貨幣経済の発展が困窮に拍車をかけた
3. 畿内やその周辺に「悪党」と呼ばれた新興武士団が荘園を侵略。北条氏主導でそれを鎮めようと、専制政治が強化されたことで、ますます御家人の不満を増長した

とくに3の北条得宗家による専制強化が、多くの不満分子を生んだようだ。だが最近の研究では、北条氏による治世は大きな問題はなかったと言われている。たまたまそのような状況下で、皇位継承に関する不満を抱えていた後醍醐天皇が、討幕運動を開始。これが引き金になり、鎌倉幕府と北条氏が滅亡に追い込まれてしまったようだ。

北条高時はわずか9歳で北条得宗家(北条一族の嫡流の家門)を継承した。高時が執権に就任したのは正和5年(1316)、14歳の時だった。この頃に幕府の実権を握っていたのは内管領(北条得宗の執事)、長崎高綱(円喜)であった。そのため高時は、実際の政治に携わっていない。

そんな本当に高時は無能であったのか。

「頗る(すこぶる)亡気の躰にて、将軍家の執権も叶い難かりけり(非常に無気力で、将軍の補佐役は務まらない)」

これは南北朝時代に記された歴史書『保暦間記』に描かれている、高時の人物を評した一文である。

また『太平記』でも、「高時は田楽や闘犬にばかり興味を示し、政治にはまったく関わらない無能な人」と評されている。

だが禅僧と語ることを好む、文人としての評価も見られる。生まれてきた時代と身分が違えば、文化人として名を成したかも知れない。それに太平記などは足利側から記した歴史書なので、勝者は善、敗者は悪というスタンスで描かれている。当然、それを差し引いて考える必要はあるだろう。

鬱蒼(うっそう)とした樹木が茂る北条一族最期の地

北条一族を弔う目的で、かつて北条氏の邸宅があった地に建立された宝戒寺。
宝戒寺脇の小径を入り裏手に回ると、門には北条氏の家門の三つ鱗があった。

高時は病を理由に24歳で執権職を退き、出家する。高時が出家すると、幕府内ではさまざまな騒動が勃発した。長崎氏と安達氏が後継を巡り「嘉暦の騒動」を引き起こした。さらに得宗家の権力を再構築しようと、高時が側近の長崎高頼に長崎高綱・高資父子の討伐を命じた。だが事前に計画が発覚し、高頼らは捕まり、高時も追求された。しかし自分は無関係と言い逃れ、責任は逃れたが得宗家の権威は地に落ちてしまったのである。

幕府の求心力が落ちてきた時、後醍醐天皇が挙兵する。その呼びかけに応じた新田義貞が、元弘3年(1333)に鎌倉を攻めた。北条軍は各地で奮戦するも、勢いに乗る新田軍の鎌倉侵入を許してしまう。

敗北を悟った北条一門と、長崎高綱を含む御内人らは、ほとんど投降者を出すことなく葛西ケ谷の東勝寺に集まり高時とともに自害して果てた。その数は870余名という。

宝戒寺脇の小径をそのまま進み、宝戒寺橋で滑川を渡った少し先にある紅葉山やぐら。これも北条氏を弔うやぐらと伝わるが、樹木が伸び、見つけにくい。
東勝寺跡に向かう前にも滑川を渡る。こちらは東勝寺橋。

北条高時をはじめとする北条一族が自害した東勝寺跡へは、鎌倉駅から徒歩15分ほど。鶴岡八幡宮の近くで、北条氏の霊を弔うために建立された宝戒寺の先の小径を辿る。途中の東勝寺橋の上では、鎌倉の街中を流れる小川の一つ、滑川の美しい流れが望める。

そのまま山に入れば、祇園山ハイキングコースに至る。現在は草原が広がっているだけで、建物などは何も遺されていない。この寺は3代執権北条泰時が、得宗家の氏寺として建立。周辺の地形を利用した、城郭的な性格を持つ寺だったようだ。

また、同じく北条一族を弔ったとされる「紅葉山やぐら」も近い。宝戒寺裏の滑川に架かる宝戒寺橋を渡ったすぐ先の山の斜面にある。今は樹木に覆われていて、注意して探さないと見逃すかもしれない。

滑川は街中を流れているが、上から眺めた限りは水が澄んでいた。野鳥の姿も見られる。
東勝寺があった場所は背後に山が続き、前面には滑川が流れる。要害の地だとわかる。
東勝寺跡はフェンスで囲まれ、内側には入ることができない。

そして東勝寺跡背後の山の斜面には、高時らを祀った「腹切やぐら」がある。そのまま真っ直ぐ山に入れば、祇園山ハイキングコースに続く。山道からそれて左に入るとやぐらに至る。かつてはお参り目的なら入れたが、今は落石の危険があるのでロープが張られ立入禁止となっている。

ということで、ロープの外から北条一族の冥福を祈り、鎌倉駅方面へと戻る。『逃げ上手の若君』主人公の北条時行は、この寺には足を向けず、一生をかけ鎌倉奪還の戦いへと身を挺していった。次回はそんな時行が挑んだ、鎌倉奪還の戦いの地を訪ねたい。

落石の危険があり、2024年9月現在は腹切やぐらの前までは行けない。写真は過去に撮影したもの。

取材・文・撮影=野田伊豆守

野田伊豆守(のだいずのかみ)
フリーライター・編集者
1960年生まれ、東京都出身。日本大学藝術学部卒業後、出版社勤務を経てフリーライター・フリー編集者に。歴史、旅行、鉄道、アウトドアなどの分野を中心に雑誌、書籍で活躍。主な著書に、『語り継ぎたい戦争の真実 太平洋戦争のすべて』(サンエイ新書)、『旧街道を歩く』(交通新聞社)、『各駅停車の旅』(交通タイムス社)など多数。

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