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中嶋聡がオリックスから西武に移籍した1997年FA戦線の答え合わせ

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オリックスの中嶋聡監督ⒸSPAIA

野村ヤクルトが日本一に輝いた1997年

野村克也監督率いるヤクルトが日本シリーズで西武を破って2年ぶり日本一に輝いた1997年。オフに導入から5年目となったFA権を行使したのはヤクルト・吉井理人、横浜・谷繁元信、巨人・桑田真澄、槙原寛己、村田真一、吉村禎章、西武、伊東勤、オリックス・中嶋聡、野田浩司、近鉄・山崎慎太郎、日本ハム・田中幸雄の11人だった。

そのうち8人は残留したため、新天地に移籍したのは吉井理人、中嶋聡、山崎慎太郎の3人。移籍先での成績を振り返る。

巨人の高額オファー蹴ってメジャー挑戦した吉井理人

箕島高から1983年ドラフト2位で近鉄に入団した吉井理人は、1988年に最優秀救援投手に輝くなど主にリリーフとして活躍したが、西村龍次とのトレードでヤクルトに移籍した1995年から先発として3年連続2桁を勝利をマークした。

1997年オフ、13勝(6敗)と日本シリーズ優勝を手土産にFA宣言すると、巨人、阪神、中日、横浜、西武の5球団がオファーを出す争奪戦が勃発。しかし、吉井は4年13億円とも言われた巨人・長嶋茂雄監督の誘いも断り、推定20万ドルのメッツと契約した。

メジャー1年目の1998年は6勝8敗、翌1999年は12勝8敗の成績を残し、その後もロッキーズ、エクスポズと移籍してMLB通算32勝47敗1ホールド。2003年にオリックス、2007年シーズン中に平下晃司との交換トレードでロッテに移籍した。

同年限りで引退するまでに日米通算121勝129敗62セーブ1ホールド。現在はロッテの一軍投手コーチを務めている。

西武時代は松坂大輔の専任捕手を務めた中嶋聡

鷹巣農林高(秋田)から強肩捕手として1986年ドラフト3位で阪急に入団した中嶋聡は、オリックスとなった1989年に初めて100試合以上に出場。1995年のリーグ優勝、1996年の日本一に貢献した。

1997年にFA宣言してメジャー挑戦を目指したものの、断念して西武に移籍。新天地では生え抜きのベテラン・伊東勤がいたためレギュラーは奪えなかったが、1998年ドラフト1位で横浜高から入団した松坂大輔の専任捕手として起用された時期もあった。西武には5年在籍し、通算打率.211、6本塁打、65打点。2002年オフにトレードで横浜に移籍した。

その後、日本ハムで46歳となった2015年までプレー。工藤公康と並んでNPB最長タイの一軍実働29年の記録を樹立した。通算1550試合出場で804安打、55本塁打、349打点。昨季途中からオリックスの監督代行、今季から監督を務め、首位争いを展開している。

所属球団の身売りに始まり、29年で4球団を渡り歩いた様々な経験は、監督になった今、間違いなく活きているだろう。

通算80勝の山崎慎太郎はダイエーで2勝どまり

新宮高(和歌山)から1984年ドラフト3位で近鉄入団した山崎慎太郎は、1988年(13勝)、1994年(12勝)、1995年(10勝)の3度、2桁勝利をマークするなど通算80勝。1997年オフにFAでダイエーに移籍した。

しかし、1年目の1998年が5試合登板で2勝3敗。翌1999年はわずか1試合の登板で0勝1敗だった。チームは工藤公康、若田部健一、永井智浩、星野順治、篠原貴行と2桁勝利投手5人を擁して福岡移転後初優勝を飾り王貞治監督を胴上げしたのの、山崎は無念の戦力外となった。

その後、テスト入団した広島とオリックスで2002年までプレー。通算339試合で87勝92敗9セーブの成績を残している。

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記事:SPAIA編集部

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