常識を疑え④ 経営は「将来を予測すること」?「三体問題」の英知
先日、日本経済新聞を読んでいたところ、ある識者が「経営とは未来を予想することだ」と書いておられました。思い起こしてみると、未来予想、将来予想といった記述をよく見ます。「人類の英知」シリーズをもう一度先送りし、この常識?について書きます。下記は、物理学的、数学的に厳密な議論ではないこと、ご容赦ください。
本論に入る前に。五輪はいつもいつも素晴らしく、少しの間喪失の日々となりそうです。男子100m決勝では1位と2位の差はわずか5/1000秒。オメガ社の1秒に4万枚撮影できるカメラが投入されていたそうです。手に汗握る接戦をみて改めて思いをはせたのは、「時間は無限分割できるのか?」です。 過去の連載「人類の英知」シリーズ――③「300億年に1秒しかずれない時計 ~0.000000000000000001再び」、④「300億年で誤差1秒の時計と時計産業」、⑤「語りえぬものについて語る。無限とは何か 1/2」、⑥「語りえぬものについて語る。無限とは何か 2/2」をご一読いただけたら幸せです。
三体問題
三体問題とは、相互作用をする三つの質点の動きを定式化しようとするものです。天文学において、惑星の動きを研究するなかで生まれた問題です(惑星は重力によって相互作用しています)。
惑星が二つの場合、その挙動を定式化できます。しかし、そこにもう一つの惑星を加えただけで、この問題は一気に難しくなり、アインシュタインと並び称される天才アンリ・ポアンカレによって、一般解がないことが証明されています。
わずか三つの物質、言い換えればわずか三つの変数でも予想できないのです。経営、さらにはこの世の中の変数は三つどころではないことは明らかです。
本論とは関係ありませんが、三体問題は、1889年にスウェーデン国王兼ノルウェー国王オスカー2世が世に問い(同国王の60歳を祝うコンテスト)、ポアンカレが受賞したものです。ノーベル賞は1900年、同国王によって設立されました。選考については、「物理学賞」「化学賞」はスウェーデン王立科学アカデミーが、「生理学・医学賞」はカロリンスカ研究所(スウェーデン)が、「平和賞」はノルウェー・ノーベル委員会が、「文学賞」はスウェーデン・アカデミーがそれぞれ行います。
カオス理論とバタフライ効果
この三体問題から発展したのがカオス理論です(ただし、「カオス」は専門語ではありません)。表計算ソフトで何かしらの式の初期値を、例えば0.100000とするか0.100000000001とするかで、その答えが全く違うことがあります。当然ですが、計算において無限に連なる数値を使うことはできません。そのため、表計算ソフトでは、ある桁数で区切って処理を行います。しかしながら、いわゆるバタフライ効果で、初期値がわずかに異なるだけでその答えが劇的に変わることがあるのです。
カオス理論の解説でよく使われる面白い事例を一つ。ロジスティック写像です。
ロジスティック写像:Xn+1=a×Xn(1-Xn)
生物の個体数の将来予想のモデルとしても知られ、その場合、Xn はn世代での生物の個体数、aはその繁殖率を表します。極めて単純な数式ですが、とても興味深く神秘的なのです。図表が示すように、初期値0によって結果が大きく異なること、そして、繁殖率aが3.56995を超えると規則性がなくなるのです。図表についてはWikipedia等にございますのでそちらをご参照ください。
参照:ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典『カオス理論』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%AA%E3%82%B9%E7%90%86%E8%AB%96
未来は原理的に予測できない
そもそも、原理的に未来予想はできません。
アインシュタインの相対性理論は人類史上に燦然と輝く美しい理論ですが、アインシュタインの理論までは古典物理学と言われています。古典物理学においては、例えば、ある時点での質点の位置、速度、外部から加わる力など十分な情報が与えられれば、その粒子の将来を正確に予想できるとされていました。したがって、一時期は、「物理学ではもうやることがない」と認識されていたほどなのです。
それを覆したのが、驚異の理論である量子力学です。エルウィン・シュレーディンガー、ウェルナー・ハイゼンベルク、マックス・ボルン、パスクアル・ヨルダン、ポール・ディラックなど多くの天才によって、粒子の挙動(すなわちこの宇宙の挙動)は確率的にしか認識できないことが判明しました。
古典物理学と量子力学以降の現代物理学の決定的な違いは、この世界が決定論的ではないということなのです。
未来予想の不可能性は、宇宙の、森羅万象の原理です。したがって、「経営は未来を予想する」は不可能なことを言っているのに等しいのです。
また、これも本論とは関係がありませんが、最近話題の半導体産業はこの量子力学によっています。
未来の予測不可能性を実践したのがナシーム・ニコラス・タレブ氏
未来予想の不可能性を認識し(「世界はガウス的ではない」)、その原理を実践的に応用しようとしたのがナシーム・ニコラス・タレブ氏です。資産のほとんどを考えうる最も安全な資産におき、少しだけ「想定外のことが起きた場合に利益を得られることができるもの」におけと主張しています。例えば、著作の一つである「ブラック・スワン」は、金融資産運用を専門とするタレブ氏であるため、金融資産の本とも受け取られがちですが、そのような狭いものではなく、金融資産運用に限定されない普遍的な思考であり、経営や人生にも大変示唆に富む良書です(例えば、人生において「良いほうの」ブラック・スワンが来たら、何が何でも食らいつけ、見逃す人が多すぎると書いています)。
確実に予想できることもある
もちろん、企業経営に極めて大きな影響をもたらす変数ながら、ほとんど正確に予想できるものもあります。人口動態です。現在の年齢別人口がわかっていれば、20年後の(少なくとも20歳以上の)年齢別人口はほぼ正確にわかります。しかしながら、このような変数は稀有で、膨大な数の変数に影響される経営全体としての予想は非現実的でしょう。
「不透明」「不確実」と言うなかれ
先行き不透明、不確実な時代といった言葉をよく見ます。これまでの議論でわかるように、これは1+1=2と言っているようなもの、すなわち何も言っていないに等しいのです。透明な時代、確実な時代など原理的にないのです。
過去を振り返って、「結果的に透明だった」はありえます。もし、新聞で使用される言葉の数を調べたとすれば、2020年春、「不透明」「不確実」の頻度が増えたことはほぼ確実でしょう。しかし、むしろ2020年春は透明でした……どころか、最も透明な1年であったのではないでしょうか。世界の活動を強制的に止めていたのですから。もし不透明、不確実と言いたいのであれば、2019年12月に言わなくてはいけません。
また、1900年に生まれた人は、14歳で世界大戦、29歳で世界恐慌、39歳で世界大戦。まさに激動の人生で、これに比べたら過去数十年は不透明、不確実どころか、はるかに透明であったと言えるでしょう。
ただ、アナリストや記者からの不勉強な「今後の見通しはどうですか?」に対して、真面目に答えるのも面倒なので「不透明ですね」と答えるのはありです(!)。
経営とは「予測」ではなく「適応」
未来は予測できない。この原理をもとにすれば、「経営とは認知と適応」ではないでしょうか。予測しえない未来が「今」になったときに素早く認知し、新しい「今」に適応し続けること。これが経営だと私は考えます。
原理的に不可能な予想に使う時間より、認知と適応のできる組織の構築に時間を使うほうが合理的です(が、もちろんそれは簡単なことではありません)。
ドラッカーも言っています――変化を制御することはできない。できるのは先頭に立つことだけだ。
追伸:筆者はいわゆるアナリストとして働いておりました。アナリストとは将来を予想することが仕事ではないのか?との質問を頂戴するかもしれません。筆者も当初はそのように思っていました。しかし、「それは間違いだ、未来予想などできない、では何をしたらよいのか、そうか、どんな未来が来ても適応できる経営者を探すことがアナリストの本質である」と考え直しました。
執筆者:フロンティア・マネジメント株式会社 村田 朋博