次第につらくなる不登校の息子との「母子登校」 1冊のノートが私たち親子を支えてくれた【後編】
半年間不登校だった息子のために始めた「母子登校」によって追い詰められていった私が始めたのは「息子の様子や、そのとき自分が感じたことをノートに書き留めておく」こと。ノートから見えたのは「本当の息子の困りごと」でした。
【画像を見る➡】<学びの多様化学校>「岐阜市立草潤中学校」驚きの取り組みとは?13歳の男の子を子育て中のママ(43歳)です。
半年間、学校を休んでいた息子が、「学校、行ってみようかな」と言い出したのは小学5年生の春。当時、不安感が強かった息子に配慮した結果、学校からの提案で、親が登校に同行する「母子登校」が始まりました。
当初、1週間ほどで終わるのではないかと安易に考えていた母子登校。しかし実際は、そんなにスムーズに進むことはなく、それどころか私は想像以上に母子登校に追い詰められていったのです。
※本記事はママの実体験を取材しプライバシーに配慮し構成したものです。
学校で1日を過ごすために考えついたこと
母子登校を始めて、1ヵ月ほどが過ぎたころのことです。息子は思うように学校に馴染めず、なかなか次の段階へ進みませんでした。私は少しずつ疲れを感じ始めていました。
息子はそのうちひとりで登校できるようになる。どこかで、そう期待していたのだと思います。けれど現実は、思っていたほど簡単ではありませんでした。
とはいえ、ここで母子登校をやめるわけにもいきません。せっかく始めたのだから、何かしら変化が見えるまでは続けるしかない。そんな思いで、毎朝学校へ向かっていました。
相変わらず、息子は教室に入れないまま、教室の外に置かれた机で過ごしていました。私はその隣に立ち、授業中や休み時間の様子を見守るだけ。仕事のことが気になっても、学校にいる子どもたちの手前、スマートフォンを取り出すこともできませんでした。
息子に付き添う1日は、想像以上に長く感じられました。学校で何もせずに過ごすこと自体が、私にとって大きなストレスになっていたのです。
そこで私は、せめてこの時間を無駄にしないために、息子の様子や、そのとき自分が感じたことをノートに書き留めておこうと思いつきました。
観察から見えてきた息子の困りごと
ノートに息子の様子を書き留めるようになって、息子の困りごとに対して違う見方ができるようになっていきました。
息子が「わからない」と言うのが苦手なこと。友だちの輪に入りたくても、素直に「入れて」と言えないこと。困ったときに、先生ではなく私に助けを求めてしまうこと。
そうしたことは、そばで見ていれば何となくわかっていました。
けれど、ただ見ているだけのときは、私の中で苛立ちや焦りが先に立っていました。「どうして言えないの」「先生に聞けばいいのに」「また私に頼るの」と思ってしまうことがあったのです。
しかしノートに書くようになってからは、その場で起きた出来事と、息子の困りごと、そして私自身の感情を少し切り分けて見られるようになっていきました。
息子は何に困っているのか。私はなぜこんなに苛立つのか。学校での息子の姿を記録していくうちに、ぼんやり感じていたことが、少しずつ言葉になっていったのです。
「なんとなく」ではなく事実として見えてきた息子のつまずき
「もう無理かも…」不登校の息子との母子登校 親子を救った1冊のノート【後編】 イラスト:1日1鶏
ノートに書き留めることで、自分の中が整理されていくことに気づいた私は、さらに細かく息子の様子を観察するようになりました。
朝の時間、1時間目、2時間目、中休み、3時間目、4時間目、給食、掃除、昼休み、5時間目、6時間目。時間割に沿って時間帯を区切り、教科とその時間に起きたことを書き込んでいったのです。
すると、息子の様子や行動には、一定の傾向があることが見えてきました。
たとえば、算数の時間。算数はレベル別の少人数クラスでしたが、算数が苦手な息子は、できるだけ後ろの席に座ろうとしていました。とくに担任の先生以外が担当する日は、表情が沈み、塞ぎ込んでしまう様子もありました。
一方で、比較的好きだった国語や社会では、授業中に手を挙げたい気持ちがありながら、自信がなくて踏み出せずにいる様子が見えてきました。
友だち関係にも、少しずつ変化がありました。中休みや昼休みに、自分から声をかけて友だちと遊べる日も出てきたのです。ただ、遊べる日には、ある共通点がありました。
特定の友だちがそのグループにいないときだけ、息子は自分から入っていけていたのです。そこで初めて、息子には苦手に感じている子がいて、その子がいると声をかけられなくなるのだとわかりました。
息子が授業についていけない理由
息子は授業の準備にもつまずきがありました。当時、多くの子がロッカーに教科書やノートを置いて帰る、いわゆる「置き勉」をしていました。けれど息子はロッカーの整理が苦手で、必要な教科書やノートを探すのに時間がかかっていました。
そのため、教科書やノートを取り出して席に戻るころには、すでに授業が始まっていることもありました。逆に、休み時間のうちに次の授業の準備ができている日は、焦ることなく授業に取り組めていたように見えました。
息子の様子を細かく観察し、記録していくことで、「息子が何に困っているのか」「なぜ、うまくいかないのか」が、感覚ではなく事実として見えてくるようになったのです。
母子登校の記録が先生との共有材料になった
母子登校から2ヵ月が経ったころ、担任の先生から面談の打診がありました。
それまでの私は、先生から見た息子の様子を聞くことはあっても、自分の気持ちを伝えたり、何かをお願いしたりすることはできずにいました。
「こんなことを頼んでいいのだろうか」 「モンスターペアレントだと思われないだろうか」
そんな不安が、ずっと頭の中にあったからです。
けれど今回は、これまでとは違いました。手元には、毎日書き溜めてきたノートがありました。そこには、その場の感情だけでなく、「いつ」「どの場面で」「何が起きたのか」が積み重なっています。
私はそのノートを見返しながら、初めて自分の考えや思いを先生に伝えてみようと思いました。
算数は担任の先生のクラスで前の席にしてほしいこと、国語や社会では手を挙げなくても意見を求めてほしいこと、苦手な子とは席やグループを離してほしいこと、そして、朝早く登校して、ロッカーから教科書を机に移す時間をもらいたいこと。
どれも、ただの希望ではありませんでした。「こういう場面で困っている」という具体的な理由と一緒に伝えることができたのです。
先生は、私がノートを見ながら話す内容を、とても興味深そうに聞いてくださいましたが、
「そんな状況だったんですね。気づけていませんでした」
といった返答でした。
毎日30人近い子どもたちを見ている先生にとって、一人ひとりの細かなつまずきまで把握するのは、やはり簡単なことではないのだろうと感じました。
書き溜めてきたノートがあったからこそ、お願いは感情論ではなく、状況に基づいたものとして整理できました。そしてそれは、先生にとっても理解しやすく、私自身にとっても「伝えていいことなんだ」と思える支えになっていたのだと思います。
親が見ていたことを、学校を責める材料としてではなく、先生と共有するための情報として伝えることには意味があるのかもしれない。
この面談で、私は初めてそう思えたのです。
見守られている安心のなかでの息子の変化
どう受け取られるだろうかと緊張していた私でしたが、先生は思った以上に快く受け止めてくださり、できることからすぐに実践へ移してくださいました。
国語や社会の授業では、息子が手を挙げていなくても、答えやすそうな場面で先生が意見を求めてくれるようになりました。みんなの前で発言できた息子を、先生はその場で褒めてくれました。
それが小さな自信になったのだと思います。翌日以降、息子は少しずつ自分から手を挙げるようになっていきました。さらに、「教室の中で授業を受けたい」と、自分から言い出したのです。
席替えでも配慮してもらいました。ホームルームでは、息子の席を廊下側のいちばん後ろにしてもらい、班のメンバーも息子に好意的な子を中心に組んでもらいました。そのおかげで、息子はグループワークにも参加しやすくなりました。
苦手な算数では、先生の目が届きやすい前のほうの席にしてもらいました。「わからない」と声に出せなくても、表情の変化に気づいてもらいやすくなったのです。
そうした積み重ねのなかで、困ったときに私ではなく、先生に助けを求めようとする息子の姿も少しずつ見られるようになりました。
ようやく見えてきた母子登校の終わり
「もう無理かも…」不登校の息子との母子登校 親子を救った1冊のノート【後編】 イラスト:1日1鶏
夏休みが目前に迫り、母子登校を始めてまもなく3ヵ月が経とうとしていたころです。息子の変化を受けて、私も少しずつ、息子の隣から教室の外へ移動するようになりました。
学校から「息子さんが大丈夫そうなときは、お母さんは帰宅したり、空いている応接室で休憩したりしてくださいね」と提案があったのも、そのころです。
私は帰宅して仮眠を取ったり、別室で仕事をしたりしながら、少しずつ息子と距離を取れるようになっていきました。ただ、急にいなくなると息子が不安になるため、離れる前には必ず本人に伝えるようにしていました。
先生から「1学期末で母子登校を終え、2学期からは息子さんだけで通わせてみませんか?」と提案されたのは、それからほどなくしてのことです。
不安はありました。けれど私も、このまま付き添い続けるだけでは、息子が自分で学校に慣れる機会を奪ってしまうのかもしれないと思うようになっていました。
そして1学期の終わりとともに、母子登校はいったん区切りを迎えました。
夏休みを挟み、2学期が始まると、息子は少しずつ自分だけで学校へ向かえるようになっていました。
自分の気持ちを言葉で伝えるのが苦手な息子に対して、先生は意識して声をかけてくれていたようです。宿題の丸つけを頼んだり、配布物や掲示物の手伝いを任せてくれたりすることもあったといいます。
先生が息子を「助けが必要な子」としてだけではなく、「誰かを助けられる子」として見てくれたことを、息子はとてもうれしく感じているようでした。
クラスの中に「自分はいていいんだ」と思える居場所を作ってくれた担任の先生には、今でも感謝しています。
母子登校を振り返って
約3ヵ月におよぶ母子登校が、長かったのか短かったのかは、今でもわかりません。
母子登校には、子どもの学校での様子をそばで見守れるという面があります。一方で、子どもが学校で何に困っているのかを、親が目の前で見続けることにもなります。
周りの子が自然にできていることが、わが子には難しい。
友だちの輪に入りたいのに、うまく入れない。
わからないことがあっても、先生に助けを求められない。
そうした現実を毎日見続けるのは、思っていた以上につらいことでした。
それでも、母子登校の日々があったからこそ、私は息子の学校での姿をきちんと知ることができました。自宅では見えなかった困りごと、うまくいかない場面のパターン、友だち関係の難しさ。そばで見て、記録したからこそ、少しずつ整理できたのです。
とくに、ノートに書き留めたことは大きな助けになりました。感情のままに「つらい」「困っている」と伝えるのではなく、「いつ、どの場面で、何に困っているのか」を具体的に先生と共有することができたからです。
その共有があったからこそ、先生も息子への関わり方を調整してくださり、息子の再登校につながっていったのだと思います。
もちろん、母子登校が誰にとっても正解だとは思いません。仕事の都合や家庭の事情で、したくてもできない方もいるはずです。
ただ、形がどうであれ、子どものそばにいる大人が「この子が学校で過ごしやすくなるためには何が必要か」を具体的に学校へ伝えることには、大きな意味がある。
母子登校を経験した今、私はそう感じています。
文/構成・橘サチ