日野美歌「氷雨」冬がはじまる夜に聴きたい、心温まるラブバラード(第二夜)
リレー連載【冬がはじまる夜に聴きたい、心温まるラブバラード】第二夜
氷雨 / 日野美歌
作詞:とまりれん
作曲:とまりれん
編曲:高田弘
発売:1982年12月5日
雨の風景と寂しさを想像することができる歌詞とメロディー
飲ませて下さい もう少し
今夜は帰らない 帰りたくない
私がこの歌、「氷雨」を知ったのは確か『ザ・ベストテン』(TBS系)である。佳山明生、日野美歌という2人が歌うこの曲に、当時中学生だった私は驚いた。“なにこれ、沁みる!” と。演歌なようで違うようで、歌謡曲と言い切ってしまうのも違うようで…。いい歌はジャンルも何も関係ない、自然と心に入ってくるものなのだ。「氷雨」はそう教えてくれた。
まだお酒も飲めない、失恋の痛手もピンとこない。そんな未成年の私でさえ、冬直前のひんやりした雨の風景と寂しさを想像することができる歌詞とメロディー。そしてなにより “ひさめ” という言葉。改めて調べると、夏の季語でもあるそうだが、冬に降る冷たい雨にも使うらしい。すごく風情がある表現ではないか。
歌は、時折こういった素晴らしい単語を教えてくれる。沢田研二の「LOVE(抱きしめたい)」では “風花" という言葉が出てきたっけ。こちらは晴天時、風に舞うようにちらちらと降る雪のことらしい。嗚呼、日本には様々な種類の雨や雪があり、人は別れの時、それらに涙を重ねるのだ。
佳山明生は “あたし”、日野美歌は “私”
「氷雨」がヒットしたのは1983年だが、初リリースはもっと前。1977年12月に佳山明生のデビューシングルとして発売されている。その後1981年12月に再発売。さらに1982年7月の再々発売でようやく有線で火がつき、1983年2月からオリコン11週連続チャートインする大ヒットになったのだった。3度にわたるリリースに、佳山さんのこの曲への思い入れの強さがうかがえる。いやもう1977年のときに佳山さんが諦めていたら、私は「氷雨」と出会うことはなかった。粘ってくれて、ありがとう、ありがとう!
ヒットの兆しが見え始めた1982年10月には箱崎晋一郎、12月には日野美歌もリリース。そして1983年2月17日に佳山バージョンが『ザ・ベストテン』に9位で初登場し、それを追うように日野バージョンが3月3日、10位で初ランクインした。佳山と日野の「氷雨」は、歌詞が1か所だけ違う。佳山バージョンは「♪こんなあたし許して下さい」、日野バージョンは「♪こんな私 許して下さい」。
“あたし” と “私” ――。歌詞を手掛けたとまりれん氏の狙いはわからないけれど、ふっと聴き逃しそうな違いに、主人公の立ち直りの時間の差が出てドキッとする。佳山の歌う主人公は未練を一生引きずりそう。日野の歌う主人公は、雨がやめば前を向く気がする。一文字違うだけで、こんなに変わるのか、と震えるほど感動してしまう。
冷たい雨が降る冬の日”に思いを馳せてしまう日野美歌の「氷雨」
日野美歌は当時20歳。なんと「氷雨」はセカンドシングルだ。デビューしてわずか1年しか経っていないのに競作とは、相当プレッシャーを感じたのではないだろうか。当時のマネジャーが新宿のピアノバーのママさんが歌う「氷雨」を聴き、“この曲は女性が歌った方が伝わる" と考え、周囲の反対を押し切り日野に歌わせることになったという。英断!
私は「氷雨」をはじめ、日野さんが歌う片恋の主人公が大好きなようだ。“ようだ” と書いたのは、どの曲も、あとから彼女が歌っていると気づくからである。つまり、個性より先に物語の主人公が見えるのだ。「氷雨」のあとは、葵司朗とのデュエット「男と女のラブゲーム」で軽やかでいたずらな恋の駆け引きを妄想した。そして忘れかけたころ、ラジオから流れてきたオフコースの「秋の気配」カバーで、風の匂いまで感じる歌声に感激し、収録アルバム「横浜フォール・イン・ラブ」(2009年)を買いに走ることになるのである。
なんというか、歌の世界に丸ごと飛び込める安定した低音。「氷雨」の日野バージョンも、佳山さんの後追いながら、彼の歌唱と比較する気にならず、ただただ “冷たい雨が降る冬の日” に思いを馳せてしまう。まさに、”歌うストーリーテラー” なのだ。
2人の歌う「氷雨」が呼応する
佳山明生の「氷雨」も日野美歌の「氷雨」も大ヒットしたが、なぜか1983年末の紅白には日野だけが出場。おかげで当時は犬猿の仲のようにも言われたそうだ。そんな風の噂を聞きながらも、私はなぜか2人の歌う「氷雨」は寄り添っているイメージがあるのだ。もっと言えば、佳山と日野の歌唱で同時期ヒットしたのは運命にさえ思える。
佳山の静かな歌唱のなかに、悲しみが溶け込んだ「氷雨」は、しとしとと降り続ける冬の雨の音が強く感じてくるようで、日野の情感あふれる「氷雨」は、降り注ぐ雨を見て、あの人を忘れようとしている女のため息が聴こえてくるようで。そんな風に、違う視点を感じる「氷雨」のおかげで、心の中に、奥行きのある「♪外は冬の雨」な風景と哀愁が広がっていったのだと思う。だから私にとって2人の「氷雨」は、競作というより、呼応している世界。どちらかを聴けば、すぐもう片方の「氷雨」が恋しくなるのだ。
もうすぐ冬。あまりにも駆け足で去ろうとする秋を惜しみながら、佳山、日野が追いかけっこのように響かせる、冷たい雨の景色を聴きたい。