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岸辺露伴は刑事でも探偵でもなく、ただの“漫画家”である――『岸辺露伴は動かない 懺悔室』脚本・小林靖子さんの言葉を通して、シリーズの“特異性”を紐解く【インタビュー】

アニメイトタイムズ

写真:アニメイトタイムズ編集部

実写映画『岸辺露伴は動かない 懺悔室』が、2025年5月23日(金)より全国公開されます。

舞台はヴェネツィア。取材旅行に訪れた漫画家・岸辺露伴が、教会内の「懺悔室」で耳にする“告白”をめぐって、物語は静かに、しかし確実に動き出していきます。

原作は、荒木飛呂彦による『岸辺露伴は動かない』シリーズのルーツ『エピソード#16 懺悔室』。シリーズ5年目にして、ついにこの原点ともいえる物語が映像化されました。これまでの実写版も手がけてきた脚本家・小林靖子さんは、今作について「今だからこそ描けた」と語ります。

なぜ今、「懺悔室」なのか。脚本の制作過程や、露伴と泉京香の関係性、そして今作の鍵を握るマリア(演:玉城ティナ)について――。長年『ジョジョ』と向き合ってきた小林さんの言葉を通して、『岸辺露伴は動かない』シリーズが持つ独自の性質を紐解いていきます。

 

 

【写真】小林靖子が紐解く『岸辺露伴は動かない 懺悔室』の特異性【インタビュー】

「懺悔室」は五年という歳月に値するエピソード

──ドラマシリーズの初回から拝見していますが、ここまでシリーズが広がっていくとは思いませんでした。

脚本・小林靖子さん(以下、小林):そうですね。まさか5年もやっているというのは……。最初から3話構成のパッケージとして成立していたので、それで終わってもおかしくなかったはずです。ただ、スタッフ間でも「続きをやりたい」という声がありまして、「もしかしたら続くのかも」とは思っていました。

 

 

──やはりファンからの反響も大きかったのでは?

小林:あまり直接耳にすることはありませんでしたが、身近な人たちがわざわざメールをくれたりして、「ああ、ちゃんと観てもらえているんだな」と感じることはありました。

──これまで小林さんが脚本を担当された実写シリーズの中で、特に思い出深いエピソードはありますか?

小林:やっぱり最初の年(第1期)ですね。まだシリーズの方向性も固まっていなくて、手探りでやっていたところがありました。小説(『岸辺露伴は叫ばない 短編小説集』)からエピソードを持ってきたり、結構バラエティに富んだシリーズだったと思います。

振り返ってみると、「普通のドラマとして成立させよう」という意識もどこかにありましたね。もちろん“普通”のドラマではないのですが(笑)。例えば、京香と婚約者のストーリーとか、少し綺麗にまとめようとしていた気がします。そういう手探り感も含めて、思い出深いです。キャスティングも完全には決まっていない段階だったので、書いては「これでいいのか?」の繰り返し。皆さんと話し合いながら進めていました。

 

 

──その1年後には、人気エピソード「六壁坂」を中心とした第2期が放送されました。

小林:最初から「六壁坂」は「実写向きの題材だな」と思っていました。サスペンス性もありますし、動きも多い。もちろん、露伴自身はあまり動かないですけど(笑)。

横溝正史的な世界観で、因習のある村や古い家柄とか。完成した映像も雰囲気のあるものになっていたので、やれて良かったと思っています。

──その後もシリーズは続いていき、このたび『岸辺露伴は動かない』シリーズのルーツである「懺悔室」が遂に映像化されます。スタッフコメントでは、「ドラマはもう五年目ですが、このファーストエピソードに辿り着くには必要な時間だったと思います」と綴られていましたが、何故そのように感じられたのでしょうか?

小林:ロケ地の問題もありますし、内容的には露伴が“聞き役に徹する”エピソードなので、初見の方に観せるものとしてはハードルが高いです。

視聴者の皆さんにご支持をいただき、2年、3年……と続けてこられたからこそ、2作目の映画に手が届いた。「ああ、これがついにできる環境になったんだな」と。やはり「懺悔室」は、これだけの年月がかかるに値するエピソードなのだと思います。

 

原作の“先”を描いた理由

──「懺悔室」の物語については、どのような印象をお持ちですか?

小林:やはり「露伴が“聞き役に徹する”」というのは一つのキモと言いますか。この物語が“ファーストエピソード”として成り立っている由縁なのかなと。「事件そのものを完全に解決しない」というスタイルも、「懺悔室」の時点で既に確立されています。

──このシリーズは、最後に謎や神秘的な部分を必ず残していきますよね。

小林:露伴が刑事でも探偵でもなく、ただの“漫画家”だからこそ、成り立っていると感じます。自分の興味が満たされると「あ、分かりました」という感じで、バタンと扉を閉めてしまう。それはシリーズの持ち味でもあるので、大事にしているところです。

──映画化にあたっては、原作の要素を膨らませる必要があったと思います。

小林:皆さんとの話し合いの中では、「同じくイタリアが舞台の『岸辺露伴 グッチへ行く』と合体させる」という案がありました。『背中の正面(2021年放送)』のような形式ですね。

ただ、今回はちょっと無理があるというか……全く違う現象なので、少し厳しいのではないかと思いました。加えて、原作の完成されたコンパクトなエピソードは、変にいじらない方がいいかなと。そういう流れで、今回は他の部分を膨らませつつ、「懺悔室」だけでやりきる形にしたんです。

 

 

──そのうえで、原作の“先”を描くような内容でもあるなと。

小林:やっぱり「ポップコーン対決」が盛り上がるんですよね。ただ、それをクライマックスに据えると、もっと露伴を関わらせる必要が出てきます。そういう展開も考えてみましたが、やはり原作の雰囲気が壊れてしまって。我々としても「原作をそのまま描きたい」という意識が強くあったので、その“先”を描くという構成に落ち着きました。

──実写版ならではの要素として、「仮面」や「ペスト(黒死病)」など、ヴェネツィアのロケーションを活かしたモチーフが複数登場しています。これらを取り入れた意図についても、お聞かせください。

小林:『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』には、ルーヴル美術館という「パリにしかない場所」が頑として存在していました。一方、今回は教会というステージさえあれば、成立してしまうんですよね。

例えば「日本の教会に懺悔室があって〜」みたいな。無理やりですけど、やろうと思えばできてしまいます。そうではなくて、イタリアに行く“意味”をどうしても付けたかったんです。ただ「映画だから海外に行きました」にはしたくない。監督やスタッフの皆さんと相談しつつ、現地の文化を取り入れて、物語全体にヴェネツィアらしさを反映させました。

 

 

──実写版の鍵を握る「マリア(演:玉城ティナ)」のキャラクターは、どのように構築されたのでしょうか?

小林:原作にも少女時代は登場していましたが、「その少女が“呪い”の中で育ったら、どうなってしまうのかな」と。そこから少し陰のある感じと言いますか。「毒親」とまでは言いませんが、そういった背景を持つキャラクターとして作っていきました。

──仮面職人であるマリアに、露伴が共感を示す場面も印象的でした。

小林:露伴はシリーズを通して、「人助けのためには動かない」キャラクターです。だからこそ、京香がいない限りは、何かしらの“共感”がないと関わっていかないんですよね。ですので、彼女が“ものづくり”をしている人間であり、自分のベストを追求しているという部分に、露伴が共感するという流れにしました。

 

 

常に“そこにいる露伴”の芯を大切にしたい

──小林さん自身は、露伴という人物の在り方について、どのように捉えていらっしゃいますか?

小林:基本的には初登場時の露伴がベースになっていると思います。

──『ジョジョの奇妙な冒険』第4部の「漫画家のうちへ遊びに行こう」ですね。

小林:あの頃から「漫画のためなら何でもする」という信念を持ったキャラクターでした。あの頃は、場合によっては人殺しまでしそうでしたが……(笑)。例えば、昔の人には「漫画よりも絵画や芸術の方が格上」という意識があって、褒めるつもりで「この漫画は芸術だ」と言うことがあると思います。ただ、露伴にとってはそれが侮辱になり得る。誇りを持って漫画を描いているし、「漫画」という媒体そのものに意義を見出して、突き進んでいる人物。常に“そこにいる露伴”と言いますか、そういう芯は、シリーズ全体でも意識しています。

 

 

──実写シリーズでは、原作以上に泉京香の存在も際立っていると感じます。彼女のセリフや露伴との掛け合いを描くにあたって、大切にしていることはありますか?

小林:京香がいないと、実写ドラマとしては成立しないんですよ。露伴の色々な表情を引き出してくれたり、状況を分かりやすく視聴者に説明したり……。古くはホームズとワトソン。あとはテレビドラマ/映画の『トリック』もそうですけど、視聴者目線のキャラクターがすごく重要なんです。

それと同時に、彼女のおかげで重い題材でも少し笑えて、息抜きができる。そういう意味でも、露伴と京香の掛け合いは欠かせません。そういうところが作品の“顔”にもなってくるので、「面白くなってほしいなあ」という気持ちで書いています。

──あれだけ追い出されても、何度も家にやってくる京香は本当にすごいです。

小林:全然くじけないですよね(笑)。ものすごくポジティブな人だからこそ、露伴の側にいられるんだと思います。

 

  

実際の懺悔室はイメージと違う?

──今回のタイトルでもある「懺悔室」という場所について、小林さんご自身はどのようなイメージをお持ちでしょうか?

小林:私自身、教会にはあまり行ったことがなくて……ほとんどドラマや映画の世界で見るだけでした。日本人って、神社に行って無言でお祈りすることはあっても、自分の罪を“告白”するという文化はあまりないですよね。だから「懺悔室」という場所自体、イメージが湧きづらい部分があって。

『ゴッドファーザー PART III』でも、神父に告白するシーンがありましたけど、ああいうのを観ると「どんな人でも神の前では告白するんだ」と思わされます。やはり宗教観の違いがすごく現れる場所だなと。

──確かに。仕切られた空間で、ただ“罪を告白する”ための場所というのは不思議ですよね。

小林:監督がロケハンに行った際、教会や懺悔室の写真をいくつか見せてくださったんですけど、想像していたものとは全然違っていました。私はてっきり“告白する人”がボックスの中に入るのかと思っていたんです。でも実際は、“神父さん”がボックスの中に入っていて、告白する人は外から見えるような構造になっている。「全然イメージと違う」と思って、個人的には新しい発見でした。

原作を読み直しても、そのあたりの構造は明確には描かれていないんですよね。露伴はボックスの中に入っていましたけど、告白する人がどうなのかはハッキリ分からない。“告白する人”が入っていると思っていたけど、意外とそうじゃないのかなとか。脚本を書くにあたって、改めて考え直す必要がありました。

 

 

──また、先ほどもお話に挙がっていましたが、やはり「ポップコーン対決」のシーンを楽しみにしている方は多いと思います。

小林:ポップコーンを口でキャッチするだけなのに、本当に鬼気迫るというか。あんなにも投げている人を応援したくなるシーンって、なかなか珍しいですよね。原作を知らない方ほど驚くシーンだと思います。

──今作が「ヴェネツィアでのオールロケ」と伺った際、真っ先に「ポップコーン対決を現地で……!?」と思いました(笑)。

小林:やったみたいです(笑)。本当にすごいですし、普通はやらないと思います。

 

“死に方”に宿る荒木先生の美学

──アニメ・実写問わず、小林さんが手掛ける『ジョジョ』の脚本では、オリジナルシーンや脚色が加えられていても、“荒木先生らしさ”が全く損なわれないですよね。

小林:保てていたなら良かったです。荒木先生が描かれる世界観って、ハッキリしているんですよね。制作陣には『ジョジョ』好きな人たちが集まっていますし、その中で作っていきますから、自然と世界観に沿ったものになるんじゃないでしょうか。オリジナルシーンに関しては、必ず先生の許可をいただくようにしているので、それによって、大きく逸脱せずに済んでいるのかなと。

 

 

──逆に、荒木先生とやり取りされる中で、驚いたことはありましたか?

小林:よくありますね。「ここは重要だろう」と思っていた部分が意外と変更OKだったり、逆に「ここにこだわっているんだ!?」と思うことも。

今回の「懺悔室」で言うと、印象的だったのは水尾の“死に方”です。原作と実写で少し変わっているんですよ。やっぱり実写で「首を持って現れる」のは、ギャグっぽく見えてしまう可能性があって……ちょっと『アダムス・ファミリー』っぽいというか(笑)。断面が見えてしまうのもよくないですし、R指定がつくようなことも避けたい。

そこで「首は切りたくない」という話になったときに、荒木先生は“死に方”に物凄くこだわっていて、実際に絵を描いてくださったんです。これまで一度もなかったことなので、驚きました。意外と言っていいのか分かりませんが、ものすごく細かいところまで見ていらっしゃいます。

──最後に、今作の公開を楽しみしているファンへのメッセージをお聞かせください。

小林:ファンの皆さんにとっては待望の映像化ですよね。それが現地ロケで実現している。美しい街で“ポップコーンを投げている”だけで最高だと思います。ドラマからのファンの方には、今回も露伴と京香がしっかり活躍しますので、楽しみにしていただけると嬉しいです。

 
[インタビュー/小川いなり]

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