利発で、正義感が強く、潔癖で、ちょっぴり生意気で、親しみやすいという日活で言えば吉永小百合の役どころで人気者になった昭和30年代後半の大映映画の青春スター 女優・姿 美千子
プロマイドで綴る わが心の昭和アイドル&スター
大スター、名俳優ということで語られることがない人たちかもしれないが、
青春の日々に密かに胸をこがし、心をときめかせた私だけのアイドルやスターたちがいる。
今でも当時の映画を観たり、歌声を聴くと、憧れの俳優や歌手たちの面影が浮かび、懐かしい青春の日々がよみがえる。
プロマイドの中で永遠に輝き続ける昭和の〝わが青春のアイドル〟たちよ、今ひとたび。
企画協力・写真提供:マルベル堂
姿美千子という名前を聞いて、すぐに顔が浮かぶ人は、60代後半の人か、よほど映画の好きな人だろう。姿美千子は、昭和30年代後半から40年代にかけて、スター不足と言われていた当時の大映で、高田美和と人気を2分していた青春スターだった。それ以前の大映の女優と言えば、京マチ子、山本富士子、若尾文子、中村玉緒、藤村志保、叶順子、江波杏子らがいる。橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦、三田明が歌謡界の人気者となり、映画各社でも青春映画や、歌手のヒット曲の映画化がさかんになり、日活では吉永小百合、松原智恵子、和泉雅子、東宝では酒井和歌子、内藤洋子、東映では本間千代子、松竹では倍賞千恵子、鰐淵晴子といった若手の〝青春スター〟たちが脚光を浴び始めていた。
(c)マルベル堂
姿美千子は高校一年だった1961年に、大映映画『すっとび仁義』の主演・橋幸夫の相手役募集に応募し当選、同年に大映に入社して同映画でデビューを果たした。橋幸夫とはその後も『明日を呼ぶ港』、市川雷蔵と橋が兄弟役で共演した時代劇『花の兄弟』、『悲恋の若武者』などで共演を重ねている。ただ、『悲恋の若武者』での橋の相手役は、映画『江梨子』で橋の相手を務めた三条江梨子だった。
そして、63年6月5日に舟木一夫が「高校三年生」でデビューするが、いち早く映画化権を獲得した大映で映画『髙校三年生』が作られることになり、同年11月16日には公開されている。「高校三年生」という曲の勢いにも驚かされるが、大映の早業にも感心させられる。姿美千子は、物語の中心となる女子高生役で、町の古い因習や、家族制度、学校の体制などに向き合いはっきりと意見を言う利発な娘で、石坂洋次郎原作の『青い山脈』での吉永小百合の役柄を思わせるところがあった。原作は富島健夫の『明日への握手』だった。やはり大映の青春スターである高田美和の役どころは、担任の教師に思いを寄せるおとなしいお嬢さんという、対照的なものだった。舟木は高田美和に思いを寄せる正義感の強い同級生役で出演していた。姿美千子の相手役は倉石功が務めた。倉石にキスをされそうになると、頬っぺたを引っ叩くような潔癖さもまた、吉永小百合の役どころを思わせた。倉石功も当時大映一押しの青春スター候補だった。後に、テレビドラマ「サ・ガードマン」でお茶の間の人気者になる。
翌64年公開の『続・髙校三年生』にも、姿美千子は主役といった役どころで出演している。やはり明朗で快活な女子高生である。相手役も同じく倉石功。舟木は高校生でなく、倉石の弟が憧れる兄貴的な存在の工員という役柄だった。その後も、市川雷蔵、勝新太郎、田宮二郎といった男優たちが主演を務める映画に出演しているが、大映がセクシー路線に転じるようになり役に恵まれなくなり68年には大映を退社した。それ以降はテレビドラマに活動の場を移し、井上靖原作「氷壁」、倉本聰脚本「君は海を見たか」、舟木一夫の相手役として出演した単発ドラマ時代の東芝日曜劇場「川止め」などが記憶に残るものの、71年には当時読売ジャイアンツの投手だった倉田誠(2021年死去)と結婚して、あっさりと引退してしまった。姿美千子の妹も日活専属の女優で、橘和子の芸名で映画『嵐を呼ぶ男』、『星よ嘆くな 勝利の男』などに出ていたが、姿美千子より一足先に、やはり読売ジャイアンツの投手だった高橋一三(2015年死去)と結婚し69年に引退していた。
10年くらいの短い女優人生だったが、デビュー翌年の62年には倍賞千恵子、浜美枝、浜田光夫、千葉真一、山本圭らと共に、日本映画テレビプロデューサー協会が選定するエランドール賞新人賞に輝いている。ちなみに2024年度の受賞者は、磯村勇斗、今田美桜、眞栄田郷敦、小芝風花、目黒蓮、堀田真由である。また、雑誌「明星」の「映画スター人気投票・女優部門」では63年から65年まで3年連続でベスト10入りし、雑誌「近代映画」の「オールスター投票・女優部門」でも、63年から67年まで5年連続でベスト10入りしている。64年と65年には3位にランキングされていた。芸能雑誌のグラビアにも毎月のように登場していた。64年のマルベル堂のプロマイド売上女性部門では第10位だった。倉石功が、若手俳優たちが颯爽と活躍している日活に入りたかった、と言っていたと聞くが、もし、姿美千子が日活所属の女優であったなら、また違った女優人生を歩んでいたのかもしれない、などとも想像してみたくなる。高橋惠子(当時関根恵子)も、松坂慶子も、デビュー当時は大映の所属だったことを思い出す。姿美千子もまた、昭和の芸能史に名を残す忘れられない女優の一人である。
文=渋村 徹
※プロマイドの老舗・マルベル堂では、原紙をブロマイド、写真にした製品を「プロマイド」と呼称しています。ここではマルベル堂に準じてプロマイドと呼ぶことにします。
マルベル堂
大正10年(1921)、浅草・新仲見世通りにプロマイド店として開業したマルベル堂。2021年には創業100年を迎えた。ちなみにマルベル堂のプロマイド第一号は、松竹蒲田のスター女優だった栗島すみ子。昭和のプロマイド全盛期には、マルベル堂のプロマイド売上ランキングが、スターの人気度を知る一つの目安になっていた。撮影したスターは、俳優、歌手、噺家、スポーツ選手まで2500名以上。現在保有しているプロマイドの版数は85000版を超えるという。ファンの目線を何よりも大切にし、スターに正面から照明を当て、カメラ目線で撮られた、いわゆる〝マルベルポーズ〟がプロマイドの定番になっている。現在も変わらず新仲見世通りでプロマイドの販売が続けられている。
マルベル堂 スタジオ
家族写真や成人式の写真に遺影撮影など、マルベル堂では一般の方々の専用スタジオでのプロマイド撮影も受けている。特に人気なのが<マルベル80’S>で、70~80年代風のアイドル衣装や懐かしのファッションで、胸キュンもののアイドルポーズでの撮影が体験できるというもの。プロマイドの王道をマルベル堂が演出してくれる。
〔住〕台東区雷門1-14-6黒澤ビル3F
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