『明智光秀の意外な一面』田中城籠城で光秀が伝えた「秘伝の薬」とは?
滋賀県高島市に、田中城という山城がある。
台地から舌状に延びる支丘の先端部に築かれ、現在も上寺区西側の山中にその遺構を残している。
山城といえども主郭の標高は220メートル、平地との比高差はわずか60メートルで、1時間もあれば城跡全体を巡れるほどの城だ。
しかし同城の歴史的価値はすこぶる高い。
その理由は、この城に籠城した明智光秀の姿が、初期の動向を知るうえで非常に重要な同時代史料に残されているからである。
そして、そこに描かれた光秀像は、武人としての印象と少し異なるのだ。
初期の光秀を伝える「田中城籠城」
1566年(永禄9年)8月から10月20日までの間、明智光秀は琵琶湖西岸の田中城に籠城していた。
この当時の光秀は、足利義昭を将軍位につけるために奔走する陣営に属し、細川藤孝らとともに行動していたようだ。
そして、義昭を追って湖西を北上してきた三好勢を、田中城で食い止めたとみられる。
この籠城戦を伝える史料が、細川家家老米田家に伝わった医学書『針薬方(しんやくほう)』だ。
その奥書には「明智十兵衛光秀が高島田中城に籠城したときに口伝で伝えた」と記されている。
そしてこの記載こそ、光秀の初期動向を知るうえで極めて重要な記録なのである。
光秀が口伝した「生蘇散」という漢方薬
では『針薬方』には何が書かれていたのか。
それは合戦で負傷した際の治療法と、そのための薬の調合法であった。
その薬は「セイソ(生蘇)散」という漢方薬だ。
光秀の口伝で「外傷の塗り薬で、越前朝倉家に伝わる薬である。材料は芭蕉の葉、スイカズラ、黄檗の葉、山桃の実で季節により配分が異なる」とある。
漢方ではそれぞれ、芭蕉の葉は解熱・解毒、スイカズラは解熱・消炎、黄檗は消炎・解毒、山桃の樹皮である楊梅皮は打ち身に効能があるといわれる。
この薬は越前朝倉家に伝わるものとされることから、光秀が朝倉義景のもとに身を寄せていたときに習得したのであろうと推測できる。
その城下町である一乗谷からは、医師の診療所も発掘されている。
光秀は朝倉家のもとで約10年間過ごしており、称念寺の門前で寺子屋を開いていたという伝承も残っている。
このことからも「博学多才で知性に富んだ人物」という光秀像もうなずける。
後年、織田信長に仕えた光秀は、戦いで怪我を負った家臣に対し、十分な療養と医者による治療を勧めた書状が残っている。
しかし光秀は、医師であったわけではない。
戦国時代の武将のなかには、徳川家康など医学や薬学に高い関心をもった者がいて、光秀もその一人であったのだろう。
若い頃から諸国を巡り、多様な知識や経験を身につけたと考えられる光秀。
その蓄積が軍略だけでなく医薬や文化にも及んでいたからこそ、やがて歴史を大きく動かす存在になったのかもしれない。
※参考文献
早島大祐著 『明智光秀 牢人医師はなぜ謀反人となったか』NHK出版新書 他
文/高野晃彰 校正/草の実堂編集部