「北九州昭和夏まつり2025」10日間連続で参加してみた チームワークに感動【北九州市小倉北区】
この夏、北九州市小倉北区の勝山公園で行われた「北九州昭和夏まつり」。
昭和歌謡に合わせて「3世代で盆踊り」をテーマに、2024年に初めて開催されたこの夏まつりは、期間9日間で14万人の来場者があったといいます(主催者発表)。
2回目である今年は、1日多い10日間の開催。8月15日から8月24日までの期間、筆者は連日行ってみました。その時の様子を紹介します。
“巨大やぐら”は愛情のかたまり
まず、会場となった勝山公園へ行って驚いたのが、やぐらの大きさでした。
2024年の四角形のやぐらから、今年は八角形のやぐらに。高さ約10m、幅約12mで、その大きさは昨年のおよそ倍です。
また、このやぐらは、地元企業が夏まつりへの想いに賛同して作成したものだそうで、巨大やぐらへの想いが、街や人、地域への愛情としてひしひしと感じられました。
その賜物でしょうか、夏まつりには熱くて温かな空気が漂っていました。遠くから見る巨大やぐらは、美しく映えてみる人を魅了しますが、近くに歩み寄ってみると、ガラリと違う印象になるところが面白いと感じました。
木造の建築そのものだけでなく、照明や提灯の飾りつけのひとつひとつに目を向けると、職人の息づかいや心を込めて作成する様子が伝わってくるようでした。
そういえば、この巨大やぐらは「迷子のお知らせ」や「落とし物の主への呼びかけ」でも目印となって大活躍。解決した際には、会場から拍手が上がるという温かな空気が漂っていたのも心に残りました。
提灯ストリートで北九州への想いを知る
夏まつりの協賛は、会場を彩る「提灯」という粋なアイテムで行われていました。
協賛された提灯の数は、2024年が500個ほどだったのが、今年は約2000個。地元をはじめとする多くの企業や団体、店、個人の協賛があったそうです。
小倉井筒屋から北九州市庁舎付近へ続く「鷗外橋」や複合商業施設・リバーウォーク北九州から勝山公園まで続く道、そして勝山公園内に提灯がたくさん連なっていました。
提灯は遠くから見てもとても明るいうえ、訪れる人たちにも、どこが協賛しているのか一目で分かるので、分かりやすいと感じました。
提灯に書かれた地元の企業や団体、店、個人の名前を眺めながら、知っているところがあれば嬉しくなったりしながら歩くのも楽しかったです。
そして後に、その店を訪問した際は、提灯の話題をきっかけに街の人と仲良くなれそうな気付きもありました。この提灯には照明の明るさだけでなく、北九州への願いや愛情が込められていると感じ、心まで明るく照らしてくれます。
地域を盛り上げる人々との出会いの場
やぐらの周囲に集まった人々が、世代も国境も超えて一緒に踊り、笑顔でつながる光景。そこにはただの祭りを超えた「出会い」と「交流」が広がっていました。
笑顔でつながる盆踊り<やぐらダンサーズ>
巨大やぐらの下で繰り広げられる、昭和歌謡曲にあわせて踊る盆踊り。昭和歌謡曲がDJブースから流れるという時代のギャップを感じる面白い光景でした。
筆者は、昭和・平成・令和という世代の垣根を越え、また国境を越え、さまざまな属性を問わず、人々が一同に集い一緒になって踊る光景に平和の原点を感じました。
開催中は、毎日10人前後の「やぐらダンサーズ」と呼ばれる人たちが登場。初めて参加する人にも楽しく踊れるように、丁寧に踊りを教えてくれてる様子に感心しました。
10日間連日参加した筆者は、毎日異なる人と一緒に参加。はじめは踊るつもりがなかった人も「踊ってみようかな」と思わせてくれる、優しく頼もしく引っ張ってくれる声掛けのおかげで、うまい具合に巻き込まれていました。
また、ダンスとは縁遠い生活をしている筆者も貴重な体験となりました。今日出会った名前も知らない人たちと一緒に踊る、コンサートにも似た歓びや楽しさが盆踊りにある発見しました。
3世代が笑顔で集い踊れるように!
選曲は、「学園天国(1974年)」や「銀河鉄道999(1979年)」、「青い珊瑚礁(1980年)」、「2億4千万の瞳(1980年)」、「DESIRE-情熱-(1986年)」、「パラダイス銀河(1988年)」など盛り上がること間違いなしの楽曲ぞろい。
歌謡曲と盆踊りがこんなにもフィットするなんて驚きの世界です。そして、昭和歌謡の間には、福岡県に伝わる民謡で盆踊りの定番曲「炭坑節」をはさみました。世代を繋げようという心意気や地域文化への気配り、優しさを感じて嬉しくなります。
歌謡曲の選曲やオリジナル振り付けを担当したのは、日頃は小中学校や支援学校のダンス指導をしている先生とのこと。どの踊りの動きもとても分かりやすく、その歌謡曲を全く知らなくても、楽しく踊れるようになっていました。小さな子どもたちも見よう見まねで踊れていて、微笑ましく幸せな気持ちになります。
踊りの先導はリズムに合わせてオノマトペの声掛けが絶妙で「トン、トトン、フー!」「ガオ、ガオ」「ポイポイポイ」観衆を飽きさせない振付と掛け声。思い切りの良さの中にも思いやりが感じられ、とても心地よい空間でした。
太鼓が響かせる街の力<太鼓ステージ>
さらに盆踊りの際には、音楽に合わせて音頭をとっていた小倉太鼓の「扇祇會(おうぎかい)」の太鼓との出会いがありました。
扇祇會は北九州を中心に活動する男女混合の太鼓チームだそうで、盆踊りとは別に、演武の披露もあり、たくさんのエネルギーをもらいました。
また別の日には、「飛龍八幡太鼓」の演武もあり、つくづく太鼓の文化が息づく街にいることは幸せだと感じました。
北九州ゆかりの出演者と地域がつながる多彩なステージ
日替わりで展開されるステージもバラエティーに富んだプログラム。総合司会者の優しく響く声は、聞き取りやすいものでした。
初日はテレビでおなじみのお笑い芸人やコンビが登場する一方、北九州市立高校のダンス部やキッズダンスなど、地域ならではの若い世代のステージはつい応援したくなりました。
北九州出身のバンドボーカルの凱旋ステージがちょうど中日にあり、会場のボルテージを引き上げてくれます。そして、会場である勝山公園でのメジャーデビュー前の思い出話は、より一層ステージを灌漑深いものにしてくれました。
北九州出身で初登場のソロシンガーは、若いながらも昭和の名曲をしっぽりと歌い上げました。他にもシンガーによる夏の暑さをふきとばすような名曲が熱唱されるなど、地域でも活躍する人たちの魅力再発見のステージでもありました。
人を笑顔にしたいと願う人々
会場のいたる場面で、おもてなしの心も感じました。例えば、公園の大芝生広場にたくさん設置されたテーブルとベンチ。
やぐらを中心とした踊るスペースを適度に確保したうえで、園内をぐるりと一周、2列~4列のレイアウトで席が用意されていました。
回遊や移動がしやすい適度な距離で配置されていたテーブルセット
テーブルの上にはウェットティッシュやアルコールスプレーまで備えられていました。
そして各所にゴミ箱が設けられており、あとから「日本一クリーンなまつりに」 というスローガンがあったと知りました。これには、感心とともに感謝を覚えました。
また、90ほどある店のほとんどは飲食店や縁日。その中で、祭りでは珍しい店にも出会えました。
中には、子どものおやつなどを販売する傍らで、おむつ交換や授乳ができる場所を提供する出店者も。子育て中でも楽しんでほしいと心から願っていると笑顔で話してくれました。
協賛も含めて2回目の参加となる、門司区の写真館は無料撮影をしていました。
ほかにも、夏まつり公式インスタグラムを見て、筆者も購入した夏まつりオリジナルシャツの店。サラサラした生地で素晴らしい着心地のシャツは、なんと米国テキサス州でデザインされたそうで、国境を越えた参加に驚きました。
小さな子どもたちが飽きずに楽しめるように、ふわふわ遊具コーナーもあり、小さな子どもがいる家族がストレスなく楽しめるような工夫されていると感じました。
10日間参加して気づいた<まつりとチームワーク>
10日間を通して、“まつりはチームワークでできている”と改めて感じました。主催者側のチームワークはもちろんのこと、私たち来場者も、同じ場所に集った一員であり、楽しさをともに味わうには、一人ひとりの力が必要でした。
例えば、たくさん用意されていた席が多くの来場者で埋まっていく中、お互いに譲り合う場面にしばしば出会いました。「こちら、どうぞ」、「お先に失礼します」、「ありがとうございます」と思いやりの一言を添えるだけで、とても心地よく過ごせるものでした。
北九州はものづくりの街と言われています。人が力を合わせて作り上げていく、その工程は、祭りにも通じているものがありました。
また、提灯を見ていると、夏まつりへの想いに共感するたくさんの人たちの支えと愛情の詰まった祭りだと感じました。
この祭りは、人を笑顔にしたい!と企画した実行委員会の青年2人が始まりといいます。
それに賛同したり協力したりして仲間たちが増えていく様子を想像すると、「共鳴」という言葉が浮かびました。さらに、「きょうめい」という言葉は、私たち一人ひとり、命を響かせる「響命」とも表現できるかもしれません。
盆踊りには先祖への供養の意味がありますが、言い替えてみると、それは命について向き合うことでもあります。私たちはつながり合いながら、ともに生き合う仲間なのだと思いに至った10日間でした。
詳しくは「北九州昭和夏まつり」インスタグラムにて見ることができます。
※2025年10月1日現在の情報です
(ライター・しまだじゅんこ)