八千代の歴史探索に!「祭祀関連墨書土器」ってどんなもの?【八千代市】
夏休みもあっという間に後半戦。自由研究は進んでいますか?
八千代市は多数の遺跡があるので、土器にまつわるこんなエピソードを調べてみては。
取材協力/八千代市立郷土博物館
古代八千代には多くの集落がありました
市内の代表的な奈良・平安時代の集落として、保品の上谷(かみや)遺跡、神野(かの)の向境(むかいさかい)遺跡、村上の村上込(むらかみこめ)の内(うち)遺跡、萱田の白幡前(しらはたまえ)遺跡、権現後(ごんげんうしろ)遺跡、北海道遺跡などがあります。
各遺跡で当時の一般的な住居である竪穴住居や掘立柱建物が多数発掘され、当時の人たちが使用していた大量の土器も出土しています。
出土した土器の中には多くの墨書(ぼくしょ)土器も含まれていました。
墨書土器とは、8世紀末から9世紀前半を中心に出土し、土器に墨で文字、記号、絵画などが書かれたもの。
八千代市内では3900点ほどの墨書土器が出土しています。
墨書土器はまさかの閻魔大王への賄賂!?
萱田の北海道遺跡出土の坏(つき)の墨書「丈部乙刀自女形代(はせつかべおととじめかたしろ)」は「丈部の乙という女性が召される代わりに(これを)進上します」という意味だそう。
八千代市内で出土した文字数の多い墨書土器は「誰々が召される代わりに(これを)進上します」という文言が特徴的であり、冥界(めいかい)の主である閻魔大王の使者へ器に盛ったごちそうなどの賄賂を贈り、その代わりとして延命・長寿を祈る際の祭祀用土器だったという説があります。
では古代の人にとって、閻魔大王が統治する「冥界」とはどんな世界だったのでしょうか。
8世紀末、当時の八千代市の地域には、既に仏教が伝来していた様子がうかがえます。
そして「中国の民間信仰」と「仏教」と「道教」が混然一体となった「冥界への信仰」も日本に伝わっていました。
さらに日本古来の「民間信仰」や「陰陽道」などとも混合し、より複雑になった「冥界への信仰」が当時の八千代市にも伝わっていた可能性があります。
まじないを信じていた古代の人たちにとって、冥界への賄賂は延命を祈る行為だったのでしょう。
現代の私たちが医療に病気治癒や延命を求める姿と重なるかもしれませんね。(取材・執筆/福)
※墨書土器に関する言い伝えは諸説あります。
参考文献・資料
『古代人の死と墨書土器』 平川 南 1996
八千代市デジタルアーカイブ