60代で足を失った父…家族の介護を拒み続けた父の「最期の選択」とは【体験談】
男手ひとつで私を育ててくれた父が、50代で糖尿病と診断され、人工透析を受ける生活になりました。これは、父親をみとるまでの介護体験談です。
足を切断した父
父は、何とか定年まで勤め上げたものの、60歳を過ぎて足に壊疽(えそ:体の一部の組織が血流の不足や感染などにより死んでしまう状態)が見つかり、切断することに。私は実家のある地方都市に戻り、父と同居して介護を始めました。
父の頭はしっかりしていたので、おむつ交換や入浴介助を嫌がりました。でも私は「赤ちゃんのころにお父さんがしてくれたことを、今度は私がする番だよ」と言って、何とか納得してもらっていました。
父らしい最期
しかし、1年も経つと私も疲れがたまり、そろそろ施設の力を借りようと考えるように。車で2時間ほど離れた郊外にある施設の見学予約を入れた矢先のことでした。翌朝、父はベッドの中で静かに息を引き取っていました。身内以外の人と暮らすことに抵抗を見せていた父らしい、穏やかな最期でした。
介護される側の心情は
介護はする側にも負担がありますが、される側の心情もまた複雑だと感じました。ヘルパーさんに裸を見られることや排泄の介助をされることに、強い抵抗を覚える方も多いようです。
わずか1年あまりの介護でしたが、父の「まだ60代なのに年寄り扱いするな」というプライドに、正直イラ立ちを覚えたこともありました。
まとめ
けれど今、自分が親となった立場で振り返ると、「この子に介護される日が来るのか」と想像するだけで、やはりどこか抵抗感を抱いてしまう自分がいます。
※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
著者:田中公男/40代男性・会社員
※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています(回答時期:2025年6月)