【風土をめぐる旅】小さく始めて、大きく咲かせる 五ヶ瀬町
気候や地形、人の暮らしや風習を見つめ直すと、その土地ならではの風土が見えてきます。土地の個性、魅力はどこにあって、何が宝物なのか。ライターの甲斐かおりさんが、地域で出会った人びとの言葉や営みから、土地の良さをひもときます。過去から受け継がれるもの、新しく更新されるもの。風土って何だ?を一緒に考える旅に出てみませんか。
宮崎と熊本の県境に、五ヶ瀬町というまちがある。
宮崎大学で農村研究をしている井上果子先生が編集する、農村学会の冊子に掲載するレポートのお手伝いをすることになって、五ヶ瀬へ出向いた。
五ヶ瀬へは、私の住む南阿蘇から車で1時間ほど。11月初旬で、山はところどころ赤や黄に色づいてはっとするほど美しく、何度も車を停めては写真を撮ったりしていたら、待ち合わせ時間ぎりぎりの到着になってしまった。
待ち合わせの「五ヶ瀬ワイナリー」の会議室に駆けつけると、コーディネートしてくださった甲斐郁生さんと、「夕日の里づくり推進会議」の元会長の後藤福光さんはすでに来られていた。ちなみにこの界隈には「甲斐さん」が多い。私の義父も近くの日の影町出身なのでうちも甲斐姓。事前にメールでやり取りした際、送り主も送付先も取材先も甲斐さんで、ややこしかった。
日本でグリーンツーリズムというものが出始めた頃に、「農家民泊」をいちはやく導入した自治体の一つが、五ヶ瀬町だった。グリーンツーリズムでは大分県の安心院(あじむ)が有名なのだが、五ヶ瀬でも同時期に検討が始まっていたのだそうだ。
当時の町長が視察団の団長となり、全国から集まった有志で、ヨーロッパへ視察に行ったという話が興味深かった。牛小屋の2階に泊まったとか、ふつうの農家の内装が素敵だったことなどを、後藤さんは克明に覚えていらした。農家に他人(ひと)様を泊めるなんて、当時の人たちからすると画期的な概念だったに違いない。
身の回りのものをもちよって
その後、五ヶ瀬町では35軒の農家が集まって、「夕日の里づくり」というグリーンツーリズムを土台にした地域づくりが始まっていく。一人の主婦の「阿蘇の山に沈む夕日が美しい」という発言にみなが賛同。夕日の美しい時間帯に郷土芸能を楽しむ「夕陽の里フェスタ」が開催され、今も人気のイベントとしてすっかり定着している。数年後には農家民泊も始まり、福岡などから多くの人たちが訪れるようになった。
そこで初めて、五ヶ瀬の人たちは自分たちの暮らす場所の豊かさを教えられたのである。
五ヶ瀬町の風景
集落の人たちの話を聞くほど、自分たちで地域の環境をよくしようとする心持ちや実行力に感心する。イベントも大きな予算がつくものでもないし、いずれも派手な取り組みではない。
草刈りを総出で行い、資金集めも自分たちで。一度はJAから一緒にやろうと声をかけられたこともあったが、“手づくりの、自分たちの”イベントであることを大事にしたいからと断ったそうだ。なかなかできる判断ではない気がする。
イベントをきっかけに始まった女性の加工グループは、その後何年も弁当や惣菜をつくるチームになった。新鮮な食材で美味しいものをつくろうと精一杯される気持ちが伝わるのか、今では人が集まる際には必ず、弁当やパーティー惣菜などの依頼を受ける、まちになくてはならない存在になっている。
はじめは身の回りのものをもちよって…というスタイルが少しずつ定着していく。何でもまずは自分たちでやろうというのが、気持ちがしゃんとしているなと思う。
おばあちゃんたちが活躍する「バーバクラブ」
五ヶ瀬町は、お茶の産地だ。宮﨑茶房はその代表的な製茶会社の一つ。宮﨑麗子さんと、息子で現・代表の亮さんが話を聞かせてくれた。
麗子さんはよく笑う、年上の方にこう書くと失礼かもしれないが、にこっと笑った顔が愛嬌のあるたいへん愛らしい方だった。その時79歳だと仰っていたから、今頃は傘寿の年だ。加工の好きな仕事をしながら、本業の製茶の会社は息子さんがしっかり継がれていて、幸せそうだった。
宮﨑茶房の宮﨑麗子さん(左)と、息子で現・代表の亮さん(右)
麗子さんが30年以上前に始めたのが「バーバクラブ」。近くに暮らす姉妹と農家の女性仲間とで惣菜やお菓子、弁当などをつくる加工グループだ。専用の加工場を建てたこともあって、子育てをしながらよく働いたらしい。
「忙しい頃は朝方まで作業して、加工場で仮眠をとってすぐに売りに出かけたりしていました。でも仲のいいメンバーでやっているから夜遅くても楽しくてね。今も楽しいんですけど」(麗子さん)
バーバクラブも町で始まった「特産部会」がきっかけではあるが、麗子さんは自分の暮らす「馬場地区」という小さなエリア内であれば、普段仲良くしているメンバーとクラブを始められると思ったのだそうだ。町の単位になると、話が大きすぎて。ご近所同士ならみんな気心も知れてますからと。
バーバクラブの看板品になったのが、かりんとう。いただくと、素朴で、でも素材の良さからかしみじみとやさしい味わいで美味しく、手がとまらなくなる。ほかにも椎茸の佃煮などヒット商品も生まれて、今やバーバクラブのかりんとうや佃煮は県の各地で売られている。
バーバクラブの看板商品、かりんとう
つくっているものは素朴な品々だが、麗子さんはかなりの仕事人で、やり手とみえる。任意組織で始まったバーバクラブは、今では株式会社になり売上も上がり、しっかり最低賃金を支払える事業体に成長している。今風にいえば、ローカル起業の走りである。
小さく始めて、コツコツ日々のことをしているうちに大きな花が咲く。そんな積み重ねができる人たちなのだろう。
自由な働き方で若い人が出入りするように
宮﨑茶房で聞いて面白かったのは、最近の若い人たちの働き方の話だ。お茶の仕事は季節によって繁忙期がある。忙しい時だけ全国のあちこちから人が集まってきて数ヶ月だけ居て、またどこかへ行ってしまう。そんなつかずはなれずの働き方をしている人たちが何人もいるのだという。
いわば季節労働みたいなものだが、「うちとしては長く居てほしいんです。仕事はいくらでもあるので。でも正社員として縛られたくない若い方も多くて自由な方がいいみたいで」と亮さんは笑って話していた。
出入りする人たちを受け入れるための環境もしっかり整えてある。短期にお試し滞在する部屋が社屋の一部にあり、もう少し長期間滞在する人向けには空き家を活かした寮も。最近は海外から実習生も訪れるので、お昼時にみなで料理をして食べると、メニューが国際的なのだと麗子さんが嬉しそうに話していた。
あちこちから訪れる人同士がここで恋に落ちたり、結婚することもあって、結果的に定住することになった人が10人もいるのだそうだ。まずは、とまり木のように「自由に来て泊まっていいよ」と場所を用意する。そこの居心地がよければ自然と人は増えていくのかもしれない。
小さな田舎の集落で、そんな働き方が許されるのかと思ったが、亮さんも麗子さんもおおらかで、からりとした口調だった。みんな工場で缶詰になって働くだけは嫌だけれど、茶葉という植物、お茶文化や精神性などには関心が高い。彼らをゆるやかに受け入れながらも、展示会の出展は担当者にすべて任せるなど、自由にのびやかに働ける点が、気に入られているのではないかなと思う。
周囲の椎葉村椎原村や高千穂、阿蘇、南阿蘇などに比べれば、五ヶ瀬は、とくべつ何かあるというまちではないけれど、そんな風に、素朴で自由にのびやかに、地区内外の人たちとつながって、あるものを生かして暮らそうとする知恵と技術がある人が多い。
その晩は、果子先生と宿でそんな話をした。五ヶ瀬の人たちのあたたかさが心に残って、いつまでも話し止まらなかった。