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【Street Guide】夷川通-宮崎安里さん(宮崎家具8代目当主)

京都観光Naviぷらす

エリアごとに独特の文化や歴史が色づく街、京都。たくさんのガイドブックがこの地の魅力を語っていますが、それが全てではありません。旅を忘れられないものにする、驚きや発見。その地を自分の足で巡り歩いた人だけが見つけられる、知られざるスポットがまだまだあります。
※Street Guideシリーズは、外国人観光客向け京都観光オフィシャルサイト「Kyoto Citty Official Travel Guide」にも掲載しています。

https://kyoto.travel/en/street/index.html



宮崎家具がつくるのは、京指物の桐タンスや畳椅子などの高級家具。京指物とは釘を使わずに家具を組み立てる伝統技術で、その起こりは平安時代にまで遡るといいます。
この会社の8代目が宮崎安里さん。安里さんは「一回も京都を出たことがない」という京都生まれの京都育ち。一度は家業以外の世界を見てみようと外の会社に就職をしたこともありましたが、現在は子育てをしながら宮崎家具の8代目として、忙しい毎日を送っています。にこっと笑ったときの目元と、やわらかな京都弁の奥から感じられるエネルギッシュさが印象的な女性です。
「昔はほんとに個性豊かな家具屋さんがいっぱいありましたね。子どもの頃には、ここは隔絶されたよくわからない家具屋さんの街というイメージがありました」。
家具屋街というと聞き慣れない人も多いかもしれませんが、家具や内装に関するお店が集まった商店街のこと。かつては全国にありましたが、お店の移転や再開発により、家具屋街は少なくなっています。そんななか、ここ夷川通には現在に至るまで商いを続けているお店が多くあり、家具屋街のたたずまいがよく残っています。
家具、ガラス、畳、絨毯、建具、食器と家具や内装に特化した専門店が集まっており、ここに来れば家のものはなんでも揃います。「専門性がお互い深められているから、商売としては相互扶助みたいなところがあると思います」と安里さんが言うように、自分の店よりも他のお店に行った方がいい場合はそちらをおすすめすることもあるのだとか。


夷川通りが家具屋街となったのは、幕末にまで遡ります。1864年(元治元年)の蛤御門の変で京都の町が焼けて再建する際に、夷川通りを中心に生活雑貨の店が集まったのがきっかけでした。やがて、火鉢、金物、建具など家具や内装の専門店街として発展していきます。京都の人は「家具の夷川」といえばピンときたものでした。
ところが、昭和40〜50年代のピークを境に、廃業するお店や転出する人が増えて住民が減っていきます。都市部から郊外へ人が流出するドーナツ化現象が起こり、一時は火が消えたようになりました。
しかし、最近ではふたたび、変化が。「家具屋さんは敷地面積が広いから、廃業した跡地に大きいマンションが建って住宅街になって、ここ5年くらいで様変わりしたなと思いますね」と安里さん。朝には子どもを乗せた自転車が行き交い、近隣の御所南小学校からは元気な子どもの声が響き、町に活気が戻ってきました。バームクーヘンやコーヒーやチョコレートといった専門に特化したお店が増えてきたのも同じ頃でした。お店ができるにつれて観光客や若い人が増えてきて、街を訪れる人にも変化があるそうです。


2020年には「夷川サローネ」が始まり、夷川通りの店舗を使って展覧会やイベントを通じて街に新たな居場所を作る試みが始まりました。木と情報テクノロジーを組み合わせた家具のようなIoT機器を開発しているスタートアップ企業mui Labによるものです。「(muiの廣部さんは)町全体の復興みたいなことを考えてくださっているのが伝わるから、こちらも何かしらご協力できることがあればなという感じですね」。
かつて高い専門性をもって成り立っていた家具街は、時代に合わせて衣食住の専門店が集まる街として変わり始めたのでした。そんな現在進行で変化している街の姿を宮崎安里さんに案内していただきました。

家具屋さんが軒を連ね、にぎわった通り


「昔はもっと家具屋さんが多かったんですよ。秋になったら家具まつりがあって、もっと活気があったんです」。たしかに、通りを歩いてみると現在はマンションが目につき、なかなか当時の家具屋さんと町家が並ぶ姿を思い浮かべるのは難しいのですが、それでも注意深く見てみると、家具屋さんやガラス屋さんや畳屋さんといった家具屋街の名残があります。
また、「もっと町家がありました」と言うように、街並みも違っていたのだとか。安里さんも子どもの頃は町家で生まれ育ったそうです。ところが、実際に住んでいると「むっちゃ寒いしむっちゃ暑いんです。家を建て替えて便利になったんですけど、その恩恵を受けているくせに町家がなくなるのはちょっと寂しいですね」と、名残惜しそうでした。


時代とともに変わる商いの形


 宮崎家具は1856年(安政3年)に火鉢の製造販売から創業しました。現在は桐のタンスや畳椅子のセミオーダーのほかに、最近では桐のタンスの洗いや家具の修理の仕事も増えてきているそうです。桐のタンスは3代以上長持ちするため、なかなか新しいものが売れませんが、汚れを落とすことで新品同様になります。また、伝統技術を生かし、使い勝手の悪い家具の脚を切ったり、古くなった椅子を張り替えたりも行っています。安里さんは家業ながらも「こんなニッチな商売が成り立っているなんて」とまだまだ驚くことが多いそうです。
宮崎家具では「本業からあまりに離れすぎた拡大路線をやるっていうのはよくない」という思いから、本業を大切にしています。地道にコツコツと本業を続けるうちに、「うち以外で買われた家具の修理も引き受けるようになりました」。こうして自然と修理や桐タンスの洗いのお客様が4割を占めるようになったといいます。


今はInstagramのような新しいツールも取り入れながら、家具を受け継いでいくことの魅力を伝えています。その結果、「おばあさまから受け継いだとかいう若い方もいれば、お年寄りの方、高さが合わないから脚を切ってほしいというご依頼までいろいろですね」と客層の広がりを感じています。インターネット やInstagramで見て連絡してこられるご新規のお客さんも増えているそうです。

職人さんあっての街


ヨーロッパでは家具を修理して何世代も引き継ぐ文化が根づいていますが、高度経済成長以降の日本では大量生産の安価な家具を使い捨てるということが当たり前になってしまいました。そういった家具に囲まれて育った若い世代にとっては、逆に家具を何代も受け継いで使ったり、修理して使い続けていくことに新鮮さを感じるようです。そして今、エシカルやエコといった価値観が重視される時代になったことで、改めてこれまで宮崎家具が培ってきた技術が注目されるようになってきました。それを支えているのが長年しっかりとした技術で家具を扱ってきた職人さんたちです。「リペアって難しいみたいなんです。自己流で修理して逆に悪くなってしまうこともあるし、いろんな方法があるので、今までの経験値がないとできないことも多くて」。かつてこの街にたくさんあった町家の多くは、職人さんの工房と住居を兼ねた職住一体の場でした。夷川通はそのような職人さんの技術を生かし、守りながらともに発展してきたのでした。


そして現在、この街に集うのは、コーヒーやバームクーヘンといったライフスタイルをつくる職人さんたち。「決してにぎやかな街ではないのに、なぜか専門店が集まっているところが魅力」というように、一つ一つの質が高く個性的なお店が集まる通りとなりました。だからこそ、それほど長いわけではない通りなのに、何度も歩いてみたくなり、一つ一つのお店で立ち止まってみたくなります。ここにしかない逸品を探しに、夷川通りへ足を伸ばしてみませんか。


安里さんの目線で切り取られた夷川通

企画編集:ANTENNA


ライター:太田 明日香
写真撮影:岡安 いつ美

記事を書いた人:ANTENNA

ANTENNA



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