真夏の畑仕事では、精霊たちにご用心――【連載】奈倉有里「猫が導く妖しい世界」#4
この連載では、スラヴの昔話からやって来た物知り猫“バユーン”が、ロシア文学研究者・奈倉有里さんとともに皆さんを民間伝承の世界へとご案内します。
今回はどんな不思議に出会えるでしょうか?
※2025年度『まいにちロシア語』テキスト7月号より抜粋
(スラヴ:ロシアやウクライナ、ポーランド、ブルガリアなど、ヨーロッパ東部から北アジアに広く分布する、スラヴ系諸語を話す人々の暮らす文化圏)
第四回 畑を守る者たち
汚れたって平気だよ
寒い地方に、貴重な夏がやってくる。たとえ天気予報で「これまでにない猛暑」になるといわれていても、気温が上がっていくのは嬉しい。
朝だ。外に出てみよう。土と草の匂いがする。目の前には畑が広がっている。次第に高く昇っていく陽の光に、麦の穂が輝いている。
突然、辺りにざあっと風が吹きつけて、砂埃が巻き起こった。砂が入らないように目をとじ、目をあけると、おや、畑のなかに人影のようなものがみえるぞ。カカシかな、と思ったけど、動いているみたいだ。そうっと近づいていくと、麦の穂にそっくりな髪をした奇妙なおじいさんがいる。おじいさんはこちらを振り向くと、おもむろに、
「悪いが、鼻を拭いてくれんかね?」
と言って、鼻水をたらして汚れた顔をつきだしてきた。
もしこんなことが起こっても、「わあ、ばっちい」なんて逃げちゃいけない。これは畑の精、ポレヴィクだ。畑=ポーレ(поле)に住むからポレヴィク(полевик)、つまりは「畑吉(はたきち)」みたいな、そのまんまの名前である。
さてこのおじいさん、土まみれで小汚くみえるけれど、怖がらなくていい。鼻水を拭いてほしいと頼まれたら、言われたとおりに拭いてあげよう。すると再びざあっと風が吹き、あなたはいつのまにか金貨を握りしめていて、おじいさんはどろんと消えている。
おそらくこの言い伝えには、汚れることを恐れていては畑仕事はできないという教えや、泥だらけになって働く人々を敬う気持ちが表れているのだろう。土にまみれて働く者にだけ、金の穂が実るのだ。
ポレヴィクは風とともに現れて風とともに去る。畑仕事をしているときに爽やかな風が吹くと、畑に出ている人々は「おや、ポレヴィクが現れるかな」と期待して辺りを見回す。手入れが行き届いていれば、ひとつの畑にひとりずつポレヴィクがいて、荒天や虫害から畑を守ってくれる。
ポレヴィクにはメジェヴィクという弟分もいる。名前のもとになっているメジャ(межа)は畔道や畝のあいだの道を指すので、仮に訳してみるなら畝助(うねすけ)とでもいおうか。畝助は畑の合間をちょこまかと走り回るのが好きで、走りながら見回りをしている。だが困ったことに、ちいさな子供が畑にやってくると、楽しげな声で巧みに追いかけっこに誘って背の高い作物のなかに呼び込んでは、迷子にさせてしまうらしい。畑をうろちょろしている幼い子供に、「あんまりはしゃいでいると、畝助にさらわれて迷子になってしまうよ」と注意する大人の姿が目に浮かぶ。
太陽のいたずら
午前の畑仕事を済ませ、昼になったら休憩の時間だ。すみやかに涼しい木陰に移動するか、いったん家に戻ってお昼ごはんを食べよう。うかうかしているとこの時間帯の畑には、白いワンピースを着て金色の長い髪をなびかせた、背の高い美しい女が現れることがある。
古今東西、妖(あやかし)の世界で綺麗な女の人が出てきたら要注意である。その美しさは人を惑わす。この女はよく晴れた暑い日に舞い降りて、休憩をとらずに働いている人を襲う、いわば日射病の妖怪で、名をポルードニツァ(полудница)という。その語源の示す通り、真昼間=ポールヂェニ(полдень)に現れて陽の光と戯れ踊る姿はたいそう美しく、白い服に白い肌、陽の光そのもののように煌めく髪は見る者の目をくらませて、夢中で見惚れているうちにふらりと倒れてしまう者があとをたたない。ときには一糸まとわぬ姿で畑に現れて「一緒に踊りましょう」とか「勝負をして、私に勝ったら宝物をあげる」とかそそのかしてくることもあるが、そんな誘いにのってはいけない。もしも真昼の麦畑で突然のストリップショーがはじまったら、太陽のいたずらだと悟って逃げたほうがいい。
それでも彼女の機嫌が良いときは、踊り疲れてふらついたり首が痛くなったりする程度の被害で済むが、日光の力をあなどってはいけない。ロシア北方やシベリアのほか、ポーランドやチェコなど西スラヴにも広く伝わるこのポルードニツァは、地域によっては老婆の姿をしていたり手に鎌を持っていたりと、死神に近い姿で伝えられている場合もあり(美しい女の姿に化けて現れ、のちに本来の恐ろしい姿に戻るというバージョンもある)、油断をすれば命とりになる存在として恐れられていたのがわかる。
そんなポルードニツァが手に持っているとされるもののなかでも風変わりなのが、熱々のフライパンである。照りつける太陽の熱を身近な生活用品に喩えて示すために考えられた小物だと思われるが、フライパンを持って追いかけてくる美女なんてなんだかちぐはぐだし、畑というより台所に住む妖怪か食堂の怪談話みたいで、想像すると笑ってしまう。「好き嫌いしちゃだめよー」とか、「冷めないうちに食べなさーい」とか言いだしそうだ。
日暮れの畑をあとにして
食物の恵みをもたらす畑に、人々は願いをかける。強い願いのあるところには決まって、不思議な力が集まってくる。精霊や妖怪もいれば、なにか根拠のありそうな言い伝えも、真偽のわからない迷信もある。
19世紀の民俗学者ウラジーミル・ダーリは、農民たちの伝承のなかにはためになるものも多いとして、いくつかの例を記している。たとえば、麦の穂が花ひらくとき、下のほうからひらくほど豊作になり、上のほうからひらくと不作になる、というものがある。これは、最初にひらいた花よりも下は実りが悪くなってしまうためだというから、迷信というよりは豆知識に近そうだ。「ナッツ類は二年続けて豊作にはならない」というのも、連作障害について語り継がれたものだろう。そのほか、「ナナカマドが咲き誇るとカラスムギが豊作になる」というのは、両者に適した気候条件が似ていることを示すものなのかもしれない。
しかし、「種まきの時期に甲虫の腹にダニの卵がたくさんついていると豊作」となると、ちょっとどうなのかわからなくなってくる。仮にダニの卵の多寡によって気候などの諸条件が整っていることがわかるとしても、収穫までの時期に起こりうる気候の変化や災害の予知は難しそうだ。さらに「卵が前足についている場合は早めに種まきをし、中央についている場合は例年通りで、後ろ足についている場合は遅めに種まきをすべし」となると、「いやいや、そんなばかな」と、もはやまったく信用できない。ダーリもこれについては、農民たちの冗談だろうと記している。
日が沈めば、畑には誰もいなくなる。まだ明るいうちに、そろそろ家に帰らなきゃ。あれ、畔道の向こうから三人の人影が歩いてくる。逆光でよく見えなかったけれど、畑ふたつぶんくらいのところまで近づいてきて、ようやく姿がはっきりした。
ひとりは、農家風のおじいさん。もうひとりは若い女の人みたいだけど、おじいさんよりずっと背が高い。後ろからひょこひょこついてくるのは、子供かな。いや、背は低いけれど、幼くはないようだ。
え、これってまさか、まさか……。困ったな。三人が一緒に現れたら、どうしたらいいのかなんて知らないぞ。私がぼうっと突っ立って眺めているうちに三人はどんどん近づいて、私のことなんて見えないみたいにすれ違っていく。すれ違いざまにすうっと、涼しい風が吹いた気がした。
奈倉 有里
1982年生。ロシア文学研究者。著書に『夕暮れに夜明けの歌を』『アレクサンドル・ブローク詩学と生涯』『ことばの白地図を歩く』『ロシア文学の教室』『文化の脱走兵』、訳書にミハイル・シーシキン『手紙』、サーシャ・フィリペンコ『赤い十字』など。
イラスト 山田 緑
公式HP:http://midoriyamada.net/