70歳・ゲイとしての自分/男としての自分…「老い」を考える【前編】
皆さんこんにちは。満島てる子です。
普段はこのSitakkeで、お悩み相談コラムを連載させていただいています。
2024年の幕開けを迎え、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。
「なぁに?辛気臭いこと考えるのね」と思う方もいるかもしれませんが(笑)、あたしは毎年新年がくるたびに、今年もがんばろう!というフレッシュな気持ちのみならず、「この先、歳を取っていったら、自分ってどうなっていくのかしらね……老いとどう向き合ったらいいんだろう……」と、ぼんやりではありますが、将来のことをそれなりに真剣に考えさせられたりしています。
実は昨年の夏、この「老い」問題をより身近に感じる機会がありました。
2023年7月28日(金)、狸小路のシアターキノで、とある映画の特別上映会が。
東海林毅監督作品、『老ナルキソス』。
同性愛者でSM好きの老絵本作家•山崎と、売り専として働く若者•レオ……2人の邂逅と交流、逡巡を中心としながら、ときに激しい衝突までをも描き出すこの1本は、ゲイの当事者であるあたしのこころに少なからぬ衝撃を与えました。
この特別上映会のゲストスピーカーとして登壇させていただいたのをきっかけに、今回東海林監督にインタビューをする機会が。
「老い」のみならず、「家族」や「パートナーシップ」といった話題や、誰もが抱える「自己承認欲求」の問題に鋭く切り込んだこの作品について、ゲイ当事者というあたしなりの目線から、お話を伺っていきます。## 監督の思い 〜短編から長編にしていくにあたって
武蔵野美術大学時代から、ゲイの青年を主人公にした短編映画を自主制作していたという東海林監督。
近年では、キャスティングや脚本、表象文化における「当事者性」にひとつのフォーカスを当てながら、作品発表はもちろん、講演会への登壇など様々な活動をしていらっしゃいます。
他の作品はもちろんのこと、今回の『老ナルキソス』でも、多数の映画祭で様々な賞を受賞。
ご自身もバイセクシャルの当事者であることを公言しながら活躍していらっしゃる、そんな監督とあたしが初めてお会いしたのは、2022年のことでした。
2023年5月、ワールドプレミアとなったロサンゼルス・アジアン・パシフィック映画祭での東海林監督と主演の田村泰二郎さん。こちらの映画祭では、最優秀長編作品賞と審査員特別賞をW受賞。 映画祭での受賞は10以上に上っています。
さっぽろレインボープライドの関連イベントとして、監督の短編作品『片袖の魚』にフォーカスを当てた映画上映会を当時企画。
トークゲストとしてお越しいただき、たくさん貴重なお話をしていただいたのですが、その上映作品4作の中には今回の長編の元となった『老ナルキソス』の短編版(2017年)もありました。
この短編版、配信サイトでも観ることができるのですが、こちらは実は学生時代以来、23年ぶりにLGBTQをテーマとして撮った作品だったんだとか。
東海林監督は当時のことを振り返って、こう語ります。
「20代の頃は、当事者性とは違うところで勝負したいと思っていたんです。当事者が当事者性のあることをやってしまうと、もう逃げ場所が無いんじゃないかって気がしていたから。ですが40を超えたあたりで、やっぱり自分にとって大切なテーマで作品を作りたいと考えたし、そのテーマはやっぱりセクシュアリティに関するところだったんですよ。周囲を見渡した時にも、LGBTQブームとでも言うべき状況ではありながら、たくさん出てくるBL映画やLGBTQに関する映画を見ても、なんだかしっくりこなかった。それもあって、自分の見たいゲイムービー、クィアムービーを自分でちゃんと作ってみたいって思ったんです」
この短編は大きな反響を呼び、周囲から「長編化しないのか」という言葉をたくさんもらったそう。
その声をきっかけに「もし再編するとしたら?」とふと考えた時に、監督の想像は予想以上に膨らんだと言います。
「せっかく70歳と20歳、50年の歳の差があるゲイカップルというのを主人公にして撮るのであれば、自分自身はもちろん、ゲイバーで出会う先輩方や、おそらく20代の子も感じているであろう世代間のギャップというか、そんな今自分が直面しているリアルを何かそこに反映できるんじゃないかなって気がしたんですよね。現代日本の同性愛者像について、何か総合的なものを描けるんじゃないかって。それで、これは俄然面白くなってきたぞと思って、例えば『老ゲイの持ち寄り会のシーンを入れたい」とか、『既婚のゲイの存在って、あまり映画に描かれないから登場させたいな」とか。パートナーシップ制度についてのシーンも、これだけ話題になってるのに滅多にスクリーンに登場することはないので、これは盛り込んでいこうって思ったりしたんです」
短編にはなかった様々なシーンが盛り込まれた今回の長編版。LGBTQにとってシンボリックな存在であるレインボーカラーも、日常の一コマとして登場します。
ゲイやレズビアンをテーマにした映像作品は増えてきていますが、あたし個人としても感じるのは、では登場する人物はというと、「BL」「百合」といった言葉で想像できるような「見た目の麗しさ」、もっと言えば「若さ」を極端に保持した、ちょっとばかし創作風味の強いフィクショナルなキャラクターが多数。しかも、実際の当事者の「リアルな」生活のあり方であったり、性的マイノリティが生きていて感じ、考え、あるいは悩むような事柄であったりは、サラッと捨象されていることがままあるように思います。
東海林監督は「老い」をはじめとした、LGBTQのリアルにも目を向けるべきだと語ってくれました。
「どうして若い(同性愛者同士の)表象ばかりが取り上げられるかっって、そこに性的な価値があったりとか、商品的な価値がどうしても生まれてしまうからだと思うんですよ。そればっかりがすごい持ち上げられて、そこにのみ着目されている気がする。だからこそ、そうじゃないところを見せたいというか。そういう人(LGBTQの当事者たち)が年老いて、どう生活していくのか、どう自分と向き合っていくのかっていうことの方が、結局当事者にとっては大事になってくるんですよね」
ゲイやレズビアン、バイセクシャルやトランスジェンダーも、当たり前のことですがひとりの人間です。
人間として生まれ、成長し、そして当然のことながら老いていきます。
また、老いたとしても当事者は当事者です。年齢に関係なく、ひとりの人間として恋をし、病いに悩み、なんなら総合的な意味で「生活」をしています。
その「生活」をどう描き出すか、そこにたくさんの光を当てている、今回の長編化。
短編版からは想像もしなかった広がりを感じた一視聴者としては、この監督のこだわりには、一種納得せざるをえないところがあったのでした。
山崎の強烈さ、映画の「痛さ」について
今回の『老ナルキソス』長編版は、コミカルともシリアスとも言い切れない独特の雰囲気をまとっています。
あたしは最初この作品を観た時に、正直に言って「痛い!!痛々しい!!」という感想を抱きました(勘違いされないように伝えておくと、映画としての素晴らしさは折り紙付きです笑)。
ゲイ風俗で働くキャストのレオにベタ惚れしてしまう老絵本作家、山崎。
こう表現するだけでもすでに痛々しいわけですが、彼の危なっかしさはそこにとどまりません。
自身のアイデンティティを保つための手段というか、ほぼ「さが」としてSMに興じる主人公、山崎。あまりの偏屈っぷりに目をつぶってしまいそうにもなりました。
飲み屋であれ交流会であれ、場所や環境を問わずやってしまう、同世代の老ゲイたちに対する強めのマウント取り。
医者や編集担当といった、自分の人生を支える人たちに吐きまくってしまう、甘えの裏返しのような毒。
そして、ゲイとしての自分/男としての自分を保っていくために、ずっと大きな自己愛を人生の軸にしていたからこそ、老いさらばえてからのおのれの姿を見るたび感じざるをえなくなってしまった、ナルシシズムの延長としての失望と絶望。
あまりにところどころ痛々しいために、思わずスクリーンから「ひいっ」と目を逸らしたくなってしまうシーンもあったりしたのですが、にも関わらずあたしは「自分の中にも山崎がいるかもしれない」と異常な生々しさを感じ、そのキャラクター性やふるまいに引き込まれてしまいました。
東海林監督は、山崎という人物について、以下のように語ります。
「山崎というキャラクターは、特定の誰かではないのですが、実際会ったことある何人かの方を混ぜ合わせてモデルにしたりはしました。映画に出てくるご年配の人って、良いおじいちゃんおばあちゃんとして描かれがちですけれど、老け専(高齢層がタイプであることを言い表すゲイ用語)の僕としては『いや実際そんなことないじゃん』って思うんですよ。みんなやらしいし、すけべだし、人によってはろくでもない。時に『なんでこうなっちゃったかな』って思うぐらい困った方だっている。そういうところも、ゲイ映画として描きたいなと思ったんです。『それでいいじゃないか』って」
主演の田村さんと東海林監督。全国で上映会が行われ、トークイベントには多くの人が足を運びました。
山崎の役を演じた田村泰二郎さんは、今回が映画初主演。
もともと踊り手として活動していたという田村さんの演技は、その所作だけでなく、老人としての身体性という意味でも、非常に説得力があるものでした。
東海林監督にとっても、田村さんという人物のキャスティングは、『老ナルキソス』という作品にとって欠かせないものであったそう。
「田村さんはずっと舞踏をやられていた方で、ご自身の肉体でずっと勝負されてきた。なのでやっぱり、実際のご年齢も70を超えてらっしゃるんですけれど、裸になってもやっぱりその身体に漂う緊張感というか、そういうものがやっぱりあるんです。あと、レオ役の水石亜飛夢くんともなんだか雰囲気が似ている。何考えてるかわからない感というか、周りに流されそう感というか(笑)。そこも含め、なんかいいコンビだなぁと思っていたんですよね」
他にも、山崎の元恋人役の村井國夫さん、山崎の友人でバーの店長役の日出郎さんはじめ、素晴らしい演じ手たちが続々と登場。
彼らが織りなす銀幕上のいろどりが、そこにひとつのストーリーを超えた「リアル」までをも構成しているように思います。
INFORMATION
今回紹介している東海林毅監督の作品、映画『老ナルキソス』長編版は、現在DVD & バリアフリー版制作のためのクラウドファンディングに挑戦中。
※期限は1月31日(水)まで。
リターンですが、DVDはもちろん、非売品のステッカーや、貴重な台本が手に入るコースなども。出演者からのメッセージムービーも、クラファン特設サイト内にて見ることができます。ちなみに、短編版は各種動画サイトで現在配信中。こちらもぜひ!
⇒50歳差のゲイカップル。二人の“交流”から浮かびあがるものとは…「老い」を考える【後編】
続く後編では、映画の具体的なシーンにもフォーカスを当てながら、引き続き東海林監督に「老い」や「LGBTQ」といったテーマについてお聞きしていきます。
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文:満島てる子
編集:Sitakke編集部 ナベ子
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満島てる子:オープンリーゲイの女装子。北海道大学文学研究科修了後、「7丁目のパウダールーム」の店長に。LGBTパレードを主催する「 さっぽろレインボープライド」の実行委員を兼任。 2021年7月よりWEBマガジン「Sitakke」にて読者参加型のお悩み相談コラム【てる子のお悩み相談ルーム】を連載中。お悩みは随時募集しています。