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男はつらいよ全50作さんぽ~朝日印刷所とタコ社長が歩んだ波乱万丈の60年

さんたつ

国民的映画『男はつらいよ』シリーズ。その魅力は言うまでもなく主人公・車寅次郎の巻き起こすエピソードだけど、それがすべてと思っちゃあいけねえよ。言い替えれば主人公以外の設定に、同シリーズの隠れた魅力があるってもんだ。その1ピースが 「とらや」裏手に構える町工場「朝日印刷所」。今回は、そんな『男はつらいよ』シリーズの名脇役、朝日印刷所にスポットを当てその軌跡を辿ってみたい。 イラスト=オギリマサホ

創業は終戦直後、弁護士の野望も

朝日印刷所(第4作までの社名は「共栄印刷」)の創業は意外に早い。創業社長のタコ社長こと桂梅太郎(第6作ではなぜか一時的に「堤梅太郎」)が、終戦後間もない昭和21年に立ち上げている。タコ、弱冠20歳(推定)のときである。

創業当初は戦後の混乱期であったものの、1950年に朝鮮戦争が勃発すると、国内の景気が好転するのと歩調を合わせて同社の業績も堅調に推移したものと思われる。そんな中、タコ社長は終業後に夜学に通い、密かに弁護士を目指していたという(第21作)

彼のそうした向上心が社のささやかな発展に大きな貢献があったであろうことは想像に難くない。人は見かけによらないねえ。見上げたもんだよ屋根屋のふんどし、たいしたもんだよタコ社長~!

「葛飾柴又寅さん記念館」、ここには愛しき朝日印刷所のセットが再現。本物の活版印刷機も展示。

葛飾柴又寅さん記念館
住所:東京都葛飾区柴又6-22-19/営業時間:9:00~17:00/定休日:第3火(祝の場合は翌日、12月第3火~木)

高度経済成長と「労働者諸君!」

やがて日本経済は高度経済成長期を迎え、労働市場では地方から中学・高校を卒業した若者が東京など都市部に集団で就職する、いわゆる集団就職という社会現象が起きる(第7作)。朝日印刷所もそうした若者を5~6人雇用し、工場の2階に彼ら用の寮を設けるなど、時代と共に発展していったことだろう。

集団就職とは一線を画すが、諏訪博も高校中退後、新宿でグレていた時に終生の恩人・タコ社長に拾われた。昭和41年のことだ。ちなみに博はその後、技術主任に抜擢され昭和44年にはさくらと結婚することとなる(第1作)

朝日印刷所は帝釈天界隈どこを探しても見つからないが、「とらや」のモデルの1つとされる「高木屋」さん脇の路地は、その奥に朝日印刷所があるのでは…と錯覚させられる。

また、高度経済成長期は労働運動が隆盛した時期でもあった。職工たちの「異議なーし」(第11作)といったセリフからも、流行りの労働運動に傾倒していた様子が垣間見られる。

この点に関して最も象徴的なものは、寅さんが職工たちに「労働者諸君!」と呼びかけるシーンだ(第1~28作)。寅さんは労働運動の演説でよく使われていたこのフレーズや「聞け万国の労働者~」のメーデー歌(第5作、第14作)で、「労働」「労働者」「労働運動」を揶揄し、自らのフーテン感を際立たせるのである。余談だが、このシーンがあってこそ寅さんだ、『男はつらいよ』だと筆者は強く思う。

ともあれ、途中、博の独立騒動などがあったものの、好景気や職工たちに支えられ、社長自身「もう手がなくて、手がなくて」(第6作)と嘆くほど、朝日印刷所は順調に業績を伸ばしていった。

社長失踪騒動~朝日印刷所 暗黒の時代

そんな朝日印刷所の快進撃は長くは続かない。昭和48年の第一次オイルショックを境に徐々に陰りを見せる。そして、その惨状はタコ社長の2度に渡る失踪自殺騒動で極まる(第22作、第27作)。まあ、周囲のカン違いも少なからずあるが、「青色吐息」(第22作)「だいぶ深刻」「毎晩、首くくる夢」(ともに第27作)といった社長の言葉の通り、相当な経営苦であったことは疑う余地は無い。

この頃には、労働運動も下火になり、寅さんが「労働者諸君!」と職工をからかう「労働運動揶揄」シーンも見られなくなる(第29作以降)。職工たちも雇用情勢が悪化し、賃上げ闘争よりも生活を守ることに必死にならざるを得なかったのだろう。

さらに社内では変革を望む声が上がる。とくに技術主任の博は「(社長は)技術革新の時代についていけない」(第29作)と手厳しい。タコ社長、まさに四面楚歌。「中小企業経営者の苦労がわかってたまるか!」と、悲痛な叫びが聞こえてきそうだ。

技術革新でV字回復!

でも大丈夫。朝日印刷所は不屈だ。この苦境をオフセット印刷機の導入で乗り切る(第31作)。どうやら博の父親の遺産を借用し投資したらしい(第32作)

オフセット印刷…これは我らが朝日印刷のみならず世界の印刷業界にとって、産業革命に匹敵するほどの技術革新と言えるだろう。

従来の印刷工が活字を並べて製版していた活版印刷から、そういった作業が不要のフィルムによって製版するオフセット印刷に移行することで、大幅な効率化、省力化を実現した。オフセット印刷の導入は業績回復に効を奏する一方、雇用にも少なからず影響を及ぼす。職工が余剰になったり(第35作)、退職金の捻出に頭を痛めたりするなど、新たな経営課題に直面するのであった。

さらに世はバブル経済全盛期に移ると、地上げ屋の執拗なコンタクト(第40作)、若者の3K労働離れから来る人手不足(第44作)、外国人労働者の雇用(第45作)、などなど時代の波に翻弄されながらも、どっこい生き抜く朝日印刷所の姿が見える。

戦後経済を写し出す鏡

時は流れて令和2年。朝日印刷所はどうなっているのだろうか。

「とらや」(現在はカフェ)の裏口から社長の娘・あけみが頻繁に出入りしていることから、併設の自宅は健在っぽい。が、しかし工場の存在は確められない(第50作)。タコ社長はすでに鬼籍に入られたか。もちろん2階の寮から職工たちの楽しげな歌声も聞こえて来ない。

戦後の経済とともに歩んできた朝日印刷所は、静かにその使命を終えていた。

『男はつらいよ』、このシリーズは寅さんというフーテンの物語というだけのものではない。その対極にある中小企業の労働者・経営者が生きた時代を写し出す鏡でもあったのだ。

朝日印刷所一同が社内リクリエーションで舟遊び(第6作)。場所は日本ラインでも天竜川でも長瀞でもなく(御前様談)、江戸川です。

【番外史】タコ聖地巡礼~葛飾税務署をゆく

朝日印刷所社長・桂梅太郎最大にして最強の敵、それは葛飾税務署だ。たびたび呼び出しを受けたり(第20作ほか)、追徴課税を請求されたり(第25作)、外国人にも「ダメダメ、ノーマネー、メニータックス」とか言って愚痴ったり(第24作)など、税務署にまつわる数々の悲哀も描かれている。

そんな葛飾税務署が所在するのは葛飾区立石。中川沿いから少し入った住宅地のなかを行くと、まず目に飛び込んでくるのは、白地に大きく「葛飾税務署」と書かれた大きな看板だ。うっ、い、威圧的だ。タコ社長でなくてもつい身構えてしまう。

葛飾税務署。看板の圧倒的な存在感に気圧されました。
江戸川もいいけど、中川もまた葛飾的風情がgoodです。

この税務署、『男はつらいよ』シリーズ中には登場しないが、実はその近辺には柴又とは縁が深いスポットがある。中川の側道脇の草むらの中に佇む、「帝釈天王」と刻まれた古い石柱がそれだ。通称「立石 帝釈天の道標」と言うらしい。

「立石 帝釈天の道標」。葛飾税務署と朝日印刷所を結ぶ因縁の旧道の証しか。

これは浅草から曳舟、四つ木を経由し柴又へ向かう古道の道標のようだ。柴又在住在勤のタコ社長と因縁の税務署がかつて1本の道で繋がっていたとはなんとロマンチックではないか!

立石駅周辺の飲み屋街。タコ社長の愚痴が聞こえてきそう。「中小企業経営者の苦労がわかってたまるか~」

また最寄りの立石駅周辺には、中小企業経営者の悲哀が似合いそうな昭和の飲み屋も点在。つい、この町の片隅に愛しきタコ社長の面影を求めたくなる。

文・写真=瀬戸信保

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