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「実はバリバリの武闘派だった?」自由民権運動の祖・板垣退助

草の実堂

画像:板垣退助 44歳 アイキャッチ

板垣退助が主導した自由民権運動

画像:板垣退助(1906年頃) public domain

1889年(明治22年)2月11日、大日本帝国憲法が発布され、日本はアジアで初めての立憲君主国となった。

そして翌1890年(明治23年)11月25日、第1次山縣内閣のもとで第1回帝国議会が召集され、日本初の国会が開かれた。

しかし、この流れはすべて明治政府が主導して生まれたものではない。

その原点は、征韓論に敗れて下野した板垣退助や後藤象二郎らが、1874年(明治7年)1月17日に政府・左院へ提出した「民撰議院設立建白書」にあった。

板垣らはこの建白書の中で、官選ではなく民選の議員による立法議事機関、すなわち「国会の開設と憲法の制定こそが、国家の維持と発展に不可欠である」と主張した。

これが、いわゆる「自由民権運動」の始まりである。

画像:後藤象二郎 public domain

しかし、これに対して大久保利通ら明治政府首脳は応じず、事実上これを無視した。

だが、この出来事を契機として薩長藩閥による政権運営への批判が噴出し、自由民権運動はますます勢いを増していった。

やがて全国各地で政治結社が次々と名乗りを上げ、民衆による政治参加の機運が高まっていく。

そして1881年(明治14年)10月12日、明治天皇は「国会開設の詔」を発し、1890年(明治23年)を期して議員を召集し、国会(議会)を開設すること、さらに欽定憲法を制定することを表明したのである。

板垣の素顔はバリバリの軍人だった

画像:板垣退助 44歳 public domain

このように板垣退助は、民主主義や自由主義の実現を目指した「自由民権運動のリーダー」として教科書などにも登場し、いわゆるリベラル派の人物として知られている。

ところが、実際の板垣の人物像は、リベラルどころか、むしろ好戦的で武闘派の一面を持っていたようだ。

そもそも板垣の考える「民権」とは、庶民階級の国民が自ら行動し、ときには戦って国家を守るというものであり、いわばアメリカ独立戦争やフランス革命を意識した思想であった。

1878年(明治11年)、国家主義団体・玄洋社の頭山満と会談した際、板垣は「いやしくも日本国民たるものは、市民ことごとくが武士でなければならぬ」と語っている。

つまり、板垣にとって理想の日本人とは、国民すべてが兵士として国家を支える存在であるべきだ、というのである。

こうした板垣の考え方は、彼の前半生からもうかがい知ることができる。

板垣は土佐藩の上士の家に生まれ、尊王攘夷運動に心血を注いだ。

画像:板垣退助が倒幕のために組織した「迅衝隊」。中央が板垣 public domain

やがて薩摩藩の西郷隆盛とともに「薩土同盟」を結び、倒幕に向けて活動を開始する。

これは、大政奉還によって平和的に徳川から朝廷への政権移譲を目指していた、土佐藩主・山内容堂の方針に真っ向から反するものであった。

板垣は「徳川三百年の政治体制は、そもそも戦によって築かれた秩序である。であれば、それを覆すにも戦によるほかない。話し合いで将軍職を退かせようとするような生易しい策では通じない」と再三主張し、藩の要職を退けられている。

その後、王政復古の大号令の後に戊辰戦争が起こると、板垣は東山道先鋒総督府参謀として、近藤勇率いる甲陽鎮撫隊を撃破。

さらに会津戦争でも最前線で官軍を指揮するなど、その素顔はまさにバリバリの軍人であった。

自由民権運動の本質は藩閥に対する反抗

画像:征韓議論図 public domain

明治政府の始動とともに、板垣退助は参議という要職に就いた。

そして1873年(明治6年)、西郷隆盛とともに、不平士族を動員して朝鮮を武力で開国させようとする「征韓論」を主張した。

しかし、岩倉遣欧使節団が帰国すると大久保利通らと対立し、ついに下野する。
以後、板垣は自由民権運動に邁進することとなった。

確かに、板垣は「自由民権運動の祖」と呼ぶにふさわしい人物であり、その最大の目的は国会・議会の開設と立憲政治の実現であった。

だが、その根底には、薩長藩閥に対する強い反発心という側面もあった。

すなわち、土佐藩が官軍として戊辰戦争で徳川幕府を倒したにもかかわらず、明治政府の実権を薩長が独占したことへの反発。

いわば、倒幕を成し遂げた武士同士の意地と遺恨の延長でもあったのである。

画像:板垣退助(1883年頃) public domain

とはいえ、最後に板垣退助の名誉のために記しておかねばならないことがある。

それは「板垣死すとも自由は死せず」と伝えられる言葉が示す通り、板垣退助という人物の存在なくしては、日本に民主主義の芽が育つことはなかったということである。

晩年の板垣は、自由民権運動の資金を調達するために自宅を売却するなど、清貧そのものであったという。

そう考えると、自由民権運動とは、ひとたび決めた信念を貫き通した板垣の不屈の行動力の賜物であったといえよう。

※参考文献
中元崇智著 『板垣退助-自由民権指導者の実像』中公新書刊
文 / 高野晃彰 校正 / 草の実堂編集部

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