怖くて地下鉄に乗れなかった。地下鉄サリン事件、被害者の30年間とリハビリ
ニュースキャスターの長野智子がパーソナリティを務める「長野智子アップデート」(文化放送・月曜日~金曜日15時30分~17時)、2月26日の放送に白鴎大学教授で元TBSアナウンサー、下村健一が出演。地下鉄サリン事件の発生から来月20日で30周年を迎えるのを前に、被害者の心身をサポートしてきた日々を語った。
鈴木敏夫(文化放送解説委員)「オウム真理教が引き起こした世界初の都市部での化学テロ事件ということで。その被害者の皆さんの無料健康診断をずっと続けてきたというNPOリカバリー・サポート・センターが30年を機に活動の幕を閉じることになりました。きのう、総まとめの活動報告書が刊行されました。この理事をされているのが下村健一さんです」
下村健一「長野さんのお手元にも置かせていただきました。『木の根』というタイトルの、検診を受けている人に配られる広報誌です。その最終号を今回、ぶ厚くして。活動報告、ということです」
長野智子「すごい情報量で」
下村「そもそもサリン事件、世界初ということは医者も皆、このあとどうなるかわからない。そこが最大の不安だったわけです。被害者の人たちは、仕方ないんだけど無理解の中に置かれてしまった。国家を狙ったテロの巻き添えを食らったわけだから、国がなんとかするのが道理でしょう、と思う。でも残念ながら国から特にケアはなかった」
鈴木「ああ……」
下村「当日、聖路加国際病院やあちこちが野戦病院のようになりました。そのときがんばったお医者さんや看護師さんや、メディア人、法律関係者などが集まって、このリカバリー・サポート・センターを結成したんですね。私も仲間に入れさせていただいた」
長野「はい」
下村「毎年の無料検診のほか10周年の日からはウォーキング、リハビリを兼ねた日比谷線の上を歩きながら各駅に降りて、犠牲者が出た駅で献花をする、ということをリハビリで実施していたんです。なんのリハビリかというと、皆、怖くて地下鉄に乗れなかった。乗るんじゃなくて、まずは改札口のところまで行って花を手向けることから始めよう、と」
長野「体の健康診断もそうですけど、皆さんの心も支えた、というのがすごく伝わります」
下村「たとえば症例アンケートというのを毎年とっていました。結果が載っているんですね。30年経っても体がだるい、疲れやすい、と答える人がけっこういらっしゃる」
長野「はい」
下村「それから目がかすんで見えにくくなっている、あと心の症状。集中力がなくてミスが多くなった、というのがずっとコンスタントにある。しかも悩ましいのが、だんだんそれが『加齢のせいじゃないか』と。本人にも見分けがつかなくなってきている。これって医者も加齢が原因の何%でサリンが何%、というのがわからない。そうなると当然、周りは『トシのせいだよ』『いつまで気にしているんだ』と。励ましているつもりで」
長野「よかれと思って言っているんでしょうけどね。被害を受けた方はそうもいかない」
下村「ますます追い込まれて。何年か経って苦しみが薄らぐかと思ったら、周りからの孤立によって苦しみが募っていってしまう、という状態に。リカバリー・サポート・センターもそれに気がついて、毎年検診のときに、検診と関係ない談話室というのをつくって。来ている人たちがおしゃべりし合える場をつくった。そうしたらこれが皆さんの支えになって。よそでは言えないけど、ここでは被害者同士だから言えるんですよ」
長野「そうですねえ……」
下村「誰にも『忘れろ』なんて言われない。20年を過ぎたころからは談話室に来たくてやってくる、というような方もいらっしゃいました」