坂本弁護士一家遺体発見から30年 上越市名立区で関係者黙祷 慰霊碑の維持管理は日弁連へ
オウム真理教幹部に坂本堤弁護士(当時33)一家3人が殺害され、坂本弁護士の遺体が新潟県上越市名立区の山中で発見されてから、2025年9月6日で30年が経過した。同地に立つ慰霊碑には関係者が集まり、献花や黙祷を捧げた。今年から慰霊碑の維持管理を日本弁護士連合会(日弁連)が主体的に行うこととなり、慰霊碑前で「坂本弁護士一家メモリアルに関する合意書調印式」も行われた。
《画像:三つの円環をモチーフにした名立区の山中にある慰霊碑》
オウム真理教信者の脱会を支援していた坂本弁護士は1989年11月、横浜市の自宅で教団幹部によって妻の都子さん(当時29)、長男の龍彦ちゃん(当時1)と共に殺害された。遺体は坂本弁護士が名立区、都子さんが富山県、龍彦ちゃんが長野県のそれぞれ山中に遺棄され、約6年後の1995年9月に発見された。
《画像:関係者が慰霊碑に献花した》
名立区にある慰霊碑は国道8号から車で約1時間の山中に位置する。坂本弁護士一家をイメージした三つの円環をモチーフとしており、遺体発見の2年後、土地を所有する不動生産森林組合の了承を得て、日弁連や、坂本弁護士の同期・同僚らが中心となって組織する「坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会(救う会)」らにより建立された。デザインと制作は新潟市の彫刻家、村木薫さん(71)が担当した。これまで、周辺整備などは救う会が地元と連携して行い、慰霊碑を守ってきたほか、地元仏教会(後に解散)が慰霊祭を毎年営んできた。このほど、事件の風化を防ごうと日弁連が維持管理を担うこととなった。
《画像:あいさつする日弁連の渕上会長》
調印式で、日弁連の渕上玲子会長(71)は「坂本弁護士は困っている依頼者のため、弁護士として当然の仕事をしていた。弁護士が妨害に屈したら依頼者、市民の人権、社会正義が失われる。発見から30年の節目を迎え、一家3人を追悼し、弁護士業務妨害対策の象徴として後世に語り継ぐため、メモリアル(慰霊碑)を維持管理することを決めた。今後は日弁連が責任を持ってメモリアルの維持管理を行う」と述べ、関係機関にも引き続き協力を求めた。
《画像:調印の様子》
救う会事務局次長で坂本弁護士と親交があった小島周一弁護士(69)は遺体発見時について「坂本はとても人が好きだった。みんなで集まること、家族が大好きだった男が、『(殺害されてから)6年近く1人ぼっちで自分たちを待っていたのかよ』という思いだった」と当時を振り返った。また、「救う会で毎年慰霊に訪れているが、不動森林組合、地元の仏教会の皆さんからも花を手向けてもらい、愛されているのだと実感した。事件の本質をきちんと伝えていくこと、日弁連の力を借りられるのがとてもうれしく思う。坂本も喜んでいるはず。仲間にも報告したい」と話した。
《画像:慰霊碑よりも奥に立つ慰霊塔で当時の様子を語る小島弁護士(右から3人目)》