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『俺が変えてやる』27歳で脱サラUターンするも苦難の連続。乗り越えた先に見つけた価値観とは?

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香川県東かがわ市のレザーバッグメーカー「アーバン工芸」。1953年、地場産業である革手袋製造で創業し、時代の変化とともに主力製品を変え、OEMでのバッグ製造で成長してきました。常務取締役の内海公翔さんは、東かがわ市出身。大学進学とともに上京し、27歳のときUターンして実家であるアーバン工芸の三代目として入社します。これまでOEM中心だったアーバン工芸で、「TIDE(タイド)」や「SOEL(ソエル)」という新ブランドを立ち上げてきました。Uターンを経験した内海さんに、これまでの苦悩や紆余曲折、継業してから続けている挑戦を追います。

内海公翔さん:1986年香川県東かがわ市生まれ。高校生まで東かがわ市で過ごし、東京の大学へ進学。その後、東京のインターネット広告代理店に入社し、5年間営業に従事する。27歳のとき、東かがわ市へUターンし家業であるアーバン工芸に入社。現在はUターンして9年目。常務取締役を務める。写真奥は、自社ブランド「TIDE」のトートバッグ。

大反対を押し切って継業を決意

東京の大学を卒業後、インターネット広告代理店に就職した内海さん。5年間、営業として仕事一筋の生活を送ります。

内海さん「もともと夢や希望なんてなかったんですよね。でも、働くなら、若いうちから経験を積めそうなインターネット広告の業界がいいな、と思ったんです。仕事内容も充実していて、一緒に仕事をしている仲間は驚くほど優秀でおもしろい人ばかりでした」

3年目、上司から昇進の話をもらい、今後のキャリアを考えるようになります。しかし、なぜかそれほど嬉しく感じられなかったそうです。

内海さん「この会社で、40、50歳になっても働いているのだろうか。東京で暮らし続けているのだろうか。初めてリアルに考えたんですよね。そのとき、実家のことを思い出して。香川に戻って仕事をしたい、と思いました」

帰省した際、お父さんに心の内を打ち明けると「帰ってくるな」と一言言われたそう。縫製業はインターネット広告業界とは違い、成長産業とは言えません。親心としても、会社を継いでほしいとは思っていなかったようです。それから、会社を継ぐことを快諾してもえるまでに2年がかかったと言います。

内海さん「大手の鞄メーカーの中途採用に応募するなどして、父に家業への思いを見せたんですよね。すると、2年経ってやっと許してもらえました。息子に苦労をさせたくない、という思いが父にはあったんだと思います。でも、最終的には、私の強い意志を感じ取ってくれたみたいで」

仕事が忙しく心身にも不調が出てきたり、東京での暮らしづらさも感じていたりと、様々なことが重なり、Uターンを決意した内海さん。香川に帰るなら実家を継ごう、という自然な考えから、27歳のとき、アーバン工芸に入社します。

東かがわ市にあるアーバン工芸本社。東かがわ市は、瀬戸内海に面する香川県の東端の市。

縫製産業の現実にぶつかる

入社後は、本社近くの第二工場で縫製業の基本を学んでいきます。半年後には本社に戻り、新規の営業に注力するようになりました。

内海さん「帰ったからには自分の力を発揮したい。『俺が変えてやる』とやる気満々でしたね。東京の広告代理店の営業マンとしてやってこれたので、鼻が高くなっていたんだと思います」

アーバン工芸の縫製工場。手袋製造で培った縫製技術を活かして、国内生産にこだわったものづくりを今に繋ぐ。

しかし、実際に働いている中で、業界や会社の厳しい状況を目の当たりにしていったと言います。インターネットの普及により、インターネット上でバッグを売る会社が売上を伸ばし、反対に、店頭販売が中心の会社や、旧態依然の体質で変化のない会社との取引はだんだんと減っていったそうです。

内海さん「当時取引をしていた得意先でも、残念ながら倒産してしまった会社さんもあります。入社当時は、工場で煙草を吸うことが許されていましたし、パソコンは一台もなかったですね」

30歳の頃、世の中では、個人がインターネット上でハンドメイドの雑貨を売ることのできるサービスが普及。販売するための場所を持っていなくても、個人が自分で値段を決めて、売上を上げられるようになってきていました。

内海さん「OEMの新規営業を、3年くらい一生懸命やっていました。けれどずっと同じようなことはやれない、得意先頼み一辺倒ではダメだと思ったんですよね。より強い企業になるためには、自社ブランドを作らなければならない、と思うようになりました。

自社ブランドを作れば、自分たちの名前をもっと前に出せるし、OEMよりも利益率の高い商売ができる。いずれ、量産をするだけの工場は必要とされなくなっていくと感じていたんです。より付加価値の高い、自分たちだからできるものづくりを追求することは、OEMにもきっと良い影響があるし、待遇面なども含め、大きく会社を変えていくためには、自社ブランドを成功させるしかないと思っていました」

実現に向け、タイミングを見ながら、社長であるお父さんに説得しますが、なかなか賛同を得られません。OEMなら、注文を受けた分だけ作ればいいので在庫の心配がなく、確実に売上を上げられる。自社ブランドは、失敗したときのリスクが大きいのです。

内海さんは、社内の有志メンバーと新しいブランドの立ち上げを試みます。しかし、社内事情も重なり、2回ほど計画が頓挫してしまいます。

内海さん「3回目に挑戦したときには、今度こそやり切りたいと思って、外部のパートナーを探しました。県内外のデザイン会社を数社回りましたね。やっとのことで、馬が合う会社さんに出会い、一緒に取り組むことになりました。

ですが、そこに至るまでにたくさんの社員が辞めていっていました。僕が主導でいろいろな社内ルールを作ったり、社員さんにお願いするばかり。働きやすい職場作りをしていたつもりでしたが、今思えば縛り付けていただけでした。人間関係も決して良いとは言えない時期もありましたね。僕はひとりで満足していたんですが、社員は不満を抱いていたんだと思います」

経営は上手くいかない、社員の定着率も悪い。「自分が変わらなければならない」と感じるようになっていったと言います。

創業65年を超えるアーバン工芸の縫製工場。職人による繊細な革加工技術。

社員の幸せを実現するためのブランドづくり

その頃から、経営について学ぼうと、勉強会に参加したり自分でも本を読んだりするようになります。

内海さん「社員が辞めていっても、最初は仕方がないと思っていました。自分が正しいと思い込んでいたので。会社が空中分解しそうなところまでいったときに、このままだとやばい、と思ったんです。

それで、中小企業家同友会へ参加するようになりました。そこでは『すべては経営者の責任だ』というような話が結構あって。東かがわ市には、覚悟を持って会社に向き合っている経営者がたくさんいる、自分は、なんてちっぽけな存在なんだろう、と思いました。例えば僕は、前職での方針発表会がかっこよかったからやってみたいとか、そういった理由で経営の真似事をしていたんですよね。本質的ではないな、と気づきました。

すごいと思う経営者ほど、謙虚で、何でも相談しやすい雰囲気を持っているとか。自分なりに、理想の経営者像ができていきました」

人との出会いを通じて、自分自身を見直し、社内の雰囲気も徐々に変わっていきます。そして、2019年2月、33歳のとき、レザーパッチワークの自社ブランド「TIDE(タイド)」ができあがりました。潮の流れを意味する「TIDE」。OEMをなりわいとしてきた会社の潮目、流れを変えるという意味が込められています。トートバックや革小物を展開しています。

「TIDE」で表現したのは、瀬戸内海の潮の流れや大地の等高線。

内海さん「自分たちが何をやっていきたいのか?をとことん突き詰め、コンセプト作りから始め、デザインに落とし込み、商品化にこぎつけました。TIDEはアーバン工芸の顔、広告塔ですね。TIDEをきっかけに、会社を知ってくれたり、OEMの新規のお客さんが見つかったりしました。

あと、以前より、社員とのコミュニケーションの機会も増えましたね。父との関係も良くなっていったと思います。ブランドをきっかけに、新しい出会いがあったり、売上が少しずつ上がったりしていったので」

「TIDE」では、トートバッグのほか、財布やキーケースなどの革小物を展開。トートバッグは、パッチワークの特性を活かし、より自己表現を楽しみたい顧客向けにカラーカスタムオーダーも可能。

地元に愛される会社であり続けたい

東かがわ市は、ものづくりのまち。昔から手袋製造が盛んで、様々なものづくりの会社ができあがってきました。自社ブランドを作るなら、地域の歴史や手袋製造の技術、アーバン工芸の歴史を伝えていきたいと思っていた、と言います。

内海さん「TIDEはアーバン工芸の技術の結晶。一方、すぐに手に取れるような価格帯ではありません。だから、もっと気軽に買うことができて、地元の人に愛されるブランドを新しく立ち上げたいと思うようになったんです。会社を存続させるには、地元に愛されなければならないので。

それで、せっかくなら、地元東かがわ市の会社さんと一緒にやりたいと思いました。東かがわ市で作ったもので、トータルコーディネートができたらおもしろいなって。地元の手袋メーカーで、手袋をはじめマフラーやストールなど、「佩(ハク)」という自社ブランドを立ち上げて作っている江本手袋さんに話をしにいったんです」

そこで意気投合して連携することに。2020年12月、34歳のとき、レザーアイテムの新ブランド「SOEL(ソエル)」を立ち上げ、連携先のブランドとのコーディネートを提案しています。

太陽を意味する「SOEL」。世界が一変した2020年の終わりに、新年には上を向いて微笑んでほしいという希望を込めました。「SOEL」のアイテムは、ポップな色使いでバイカラー。気持ちを明るくしてくれます。誰でも手に取りやすい価格帯で、シーンや服装を選ばないようなシンプルさを持っています。

「SOEL」は、上質な革素材と培った手袋由来の革加工技術を活かした丁寧な手仕事から生まれた。

内海さん「SOELは動きやすいんですよね。活動の幅が広がりました。地元で行われるラフなイベントにも行けたり、地元の会社さんとの連携ができたりしています。例えば、東讃地域の縫製メーカーが中心になって活動している団体「セトウチメーカーズ」にも所属しています。

TIDEは、作るのはもちろん、考えることも本当に大変なんです。でもSOELなら、職人さんたち自身の『こんなバッグが作りたい、やってみたい』を実現できます。社員から出てくる新しいアイデアや、社員がやりたいことを社内で楽しく話し合いながら実現していく、そんなふうにコミュニケーションツールとしても機能してもらえたら嬉しいです」

手に取りやすく日常使いができるレザーアイテムブランド。シーンや季節を問わず、いつものコーディネートにプラスワンするだけで、気分を上げてくれる。

自分の存在価値を感じられるように

現在は、自社ブランドの運営以外にも、経営戦略、採用、人事総務、営業など、幅広い業務に携わる内海さん。業務量は、東京で会社員をしていたときと比べものにならないくらい増えたと言います。しかし「本気で仕事をしている」という充実感があるそう。

内海さん「東京で働いているときは、恥ずかしながら、ノルマを達成すればそれで満足していたんですよね。自分が本気でやりたいことができていたわけではなく、会社が売りたいもの、売れば自分の営業数字が上がるものを売っていました。

でも今は、会社をよくしたい、社員や関わる人たちに幸せになってほしい、という自分の思いが根底にあります。そのために自分がいる、それを実現するために動いている、という感じなんですよね。仕事以外にも、休日はまちづくりの活動に取り組むこともあります」

仕事や、仕事以外でも責任を負うことが増え、しんどいと感じるときが増えたそう。内海さんは、しんどさを乗り越えていくとき、下に落ちても、そのあとは上にのぼっている感覚を味わっているそう。今では、その状況を楽しめるようになったと言います。

内海さん「Uターンをして、『依存先』が増えたことがよかったと思いますね。例えば会社だと、OEMだけではなく、自社ブランドという柱があります。仕事以外にも、家族やまちづくりの活動など。何か一つ落ち込んでしまっても、ほかに安心できる場所や楽しいことにがあるんですよね。そうこうしているうちに、落ち込んでしまったことも楽しくなってきます。

東京にいたときには、僕には仕事しかなかったので、仕事でしんどいと生活全体がしんどかったんですよね。今は、自分のやりたいことを軸に、様々なことに挑戦できています。いろんな場所で自分の存在価値を感じることができ、幸せです」

アーバン工芸の縫製工場。熟練の職人と若手が、バランス良くお互いを高め合いながら新たな製品が日々生まれている。

最後に、アーバン工芸の三代目として、今後の目標を語ってくれました。

内海さん「『この会社で働けてよかった』と社員さんに思ってもらえる会社にしたい。中長期的には、OEMと自社ブランドの売上を、半々の割合にすることを目標に頑張っています。そうすれば、社員さんにももっと還元できるようになると思います。

僕の使命は、縫製産業の給与水準を上げること。アーバン工芸で実現できれば、業界全体への火種になると思うんですよね」

Uターンをして家業を継ぎ、人生の中で「出会い」と「経験」が変わった内海さん。東京でいたときには出会わなかった人に出会い、経験できないことを経験してきました。「自分で変わった」ではなく、「出会いと経験が自分を成長させてくれた」と語ります。

場所が変われば何かが変わる。思ってもみなかった奇跡が起こる。移住という決断に一歩踏み出してみれば、人生は大きく変わるかもしれません。

 

アーバン工芸株式会社
住所:香川県東かがわ市三本松1135
電話:(0879)25-4151
HP:https://urban-crafts.com/
「TIDE」https://tideisturning.com/
「SOEL」https://soel2020.com/

文:宮武由佳

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