第26回『東宝映画スタア☆パレード』 力道山 スポーツ界のヒーローも東宝スタアだった(前篇)
今でもスタジオ入口に『七人の侍』と『ゴジラ』の壁画を掲げる東宝。〝明るく楽しいみんなの東宝〟を標榜し、都会的で洗練されたカラーを持つこの映画会社は、プロデューサー・システムによる映画作りを行っていた。スター・システムを採る他社は多くの人気俳優を抱えていたが、東宝にもそれに劣らぬ、個性豊かな役者たちが揃っていた。これにより東宝は、サラリーマン喜劇、文芸作品から時代劇、アクション、戦争もの、怪獣・特撮もの、青春映画に至る様々なジャンルに対応できたのだ。本連載では新たな視点から、東宝のスクリーンを彩ったスタアたちの魅力に迫る。
日本映画界ではかつて、スポーツ界の人気者を自社のスタア代わりに使うことが多々あった。東宝映画にも、力道山、稲生和久、長嶋茂雄などが本人役で出演、演技を披露する作品がいくつか存在する。
今なら大谷翔平自ら自伝映画の主人公を演ずるようなもので、およそあり得ない話だが、当時の観客は戸惑い半分ながらも、これらの映画を大いに楽しんで見ていたのだ。筆者も子供心ながら、長嶋の演技を微妙な思いをもって見たことをよく記憶している。
まず映画界は、国民的人気を得ていたプロレスラー・力道山をスクリーンに呼び寄せる。
プロレスが清濁併せ持つ〝スポーツ・エンターテインメント〟であることは、ファンならすでにお判りのことだろう。そして、力道山自身、朝鮮半島出身という出自は生涯隠し続け、自伝的映画でもこれらが語られることは決してなかった。力道山はあくまで、日本の〝国民的ヒーロー〟としての位置づけで、主人公を演じ続けていたのである。
映画初出演作は『薔薇と拳銃』(53)なる作品だったが、これは俳優として出演したもので、本人=力道山役ではない。
54年には、その名を冠した『力道山 大いに怒る』、『力道山の逆襲』が公開。これは記録映画と思われるが、こうしたドキュメント作品は57年あたりまで多数製作されている。家庭にテレビが普及していなかったこの時代、力道山の試合は映画館で見るしかなかったのだ。
同年、力道山は『力道山の鉄腕巨人』(12月13日公開)なる新東宝映画に、遠藤幸吉らレスラー仲間と共に出演する。ここでは本人役のほか、小児マヒの少年が見た夢の中で暴れまくるジャングルの怪人(まるでターザンだ!)も演じていた。
続いて、日活の『お月様には悪いけど』(同年12月28日公開)にも本人役で特別出演した力道山。公開直前の12月22日には超過密スケジュールの中、木村政彦と伝説の「昭和の巌流島決戦(日本選手権大会)」までこなしているのだから、全くもって恐れ入る。
木村戦の調印式(54年11月27日)が執り行われたのは、松竹大船撮影所だった。このとき力道山は、翌55年公開の『大学は出たけれど』(小津安二郎作品のリメイク)に出演中で、その関係もあって当所が調印式場に設定されたものと思われる。
これは今、なかなか見ることのできない力道山映画の一本で、筆者も未見。そこで、本作の監督・野村芳太郎に関する著書(※1)がある小林淳氏に、力道山の役柄について伺ってみた。
すると、この松竹映画には力道山が遠藤幸吉と試合をするシーンがあり、アナウンサー役を有島一郎が務めていたという。実際、ポスターにも「プロ・レスリングの王者」なる肩書が付いているので、これも本人役での出演だったことは間違いない。
木村政彦との試合は、「引き分けにする」という念書の存在が最大の焦点となったが、結果はご存知のとおり、力道山の一方的な(騙し討ちとも言われる)KО勝利に終わる。それにしても、あの凄惨な結末を、当時の少年ファンたちはいったいどういう気持ちで見たのであろうか(※2)。
55年12月公開の『力道山物語 怒涛の男』(日活)も、タイトルどおり本人の半生を描く劇映画。成人してからを本人が演じ、レスラーになるきっかけをつくったハロルド坂田(※3)、興行界のドン・永田貞雄繫がりの美空ひばりも登場して、角界からプロレスの世界に入るまでの経緯が虚実織り交ぜて描かれる中、ハワイ&米国修行に加え、シャープ兄弟やジェス・オルテガ、キングコングとの激闘の模様もダイジェストで紹介される。
同年10月公開の『やがて青空』(東京映画)も、雪村いづみ扮する雑誌記者の取材を受ける力道山本人としての出演だった。「一年に牛二頭を食べる」などと答えているだけあって、11月にはアジアヘビー級の初代王座(もちろん、自らの創設)にも就いている。
1956年8月公開の東宝作品『力道山 男の魂』(内川清一郎監督)は、初めて総天然色でつくられた力道山映画となる。
本作には、自ら設立した「日本プロレス協会」から駿河海や芳の里、ユセフ・トルコ、藤田山(のちに黒澤明の『どん底』に出演)、 羅生門(同じく『用心棒』に出演)らの所属レスラー、さらにはガイジンのラッキー・シモノビッチ(ドロップキックの名手で、同年10月公開の『怒れ!力道山』でも力道山の敵役を演じる)にレスラー兼俳優のマイク・マズルキが出演。日本橋浪花町の「プロレスセンター」の内部も見られるなど、プロレスファンには興味津々の映像オンパレードで、リキと懇意になる酒場の店主役で森繁久彌、さらには親密な間柄だった岸惠子も出演している。
「プロレスは男と男の真剣勝負」と主張する力道山が〝プロレス八百長疑惑〟と闘いながら試合に臨む姿が描かれる『男の魂』。プロレスごっこでケガをした少年を見舞う場面があったり、中学生による感動的なファンレターが紹介されたりするなど、子供人気を盛り立てる意図も強く感じられる。
ギャングの首領(東宝映画ではお馴染みのハロルド・S・コンウェイ)と日本の商事会社社長が「興行権」を賭けた試合では、社長から脅しともとれる〈小切手の提示〉を受けるが、これをきっぱり拒否する力道山。彼のプロレス哲学に、談合や八百長などあるはずもない。この西半球選手権(実在せず)には、子供が真似をしないよう「空手チョップ」を封印してまで臨む、という念の入れようだ。
61分三本勝負の選手権試合は一対一のイーブンの後、子供たちから「空手チョップ!」コールを受けると、あっさりこれを解禁、三本目はレッグロックからのエビ固めで〝悪玉〟のマズルキをフォール。フェアプレーを貫いた力道山が勝利を収める、という絵に描いたような結果となる。
映画は、昇りくる朝陽に向かって「今日も正々堂々のファイトを!」と誓う力道山の後ろ姿で閉幕。未だプロレスが裏社会と共存共栄していた時代の裏話も取り入れつつ、クリーンなイメージを強調するという、まさに虚実入り混じったストーリーが展開される本作。ここまでして世間と闘っていた姿をアピールするのは、力道山自身の焦りもあったに違いない(※4)。
以降、東映で『怒れ!力道山』(56)と『純情部隊』(57)、松竹で『激闘』(59)という映画に出演した力道山だが、本人役は『怒れ!力道山』が最後となり、『激闘』が劇映画の遺作となった(※5)。
結果として、10本の出演作品のうち7本で「本人」を演じた力道山。
ただ、どの作品でも民族差別をバネにした異常なまでの成功欲、それを実現するために巡らした策謀や裏切り、木村政彦や東富士などライバルたちを力ずくで蹴落とした冷酷さ、さらには猪木寛至ら弟子たちへの理不尽な「かわいがり」など、その笑顔の裏に隠された〈暗黒面〉が語られることはなく、これが真正面から描かれるのは日韓合作の『力道山』(2006)を待たねばならなかった(後篇:長嶋茂雄篇に続く)。
※1 本書『映画の匠』掲載の野村監督の回想録によれば、「国際試合の記録フィルム利用し、それにセットを加えて大乱闘シーンを撮った」というから、力道山は大船撮影所まで出向く必要があったことになる。
※2 この試合はNHK(テレビとラジオ)に加え、NTVが生中継。記録映画にもなり、映画館で流されている。
※3 ハロルド阪田はトシ東郷とも名乗った日系レスラー。ボビー・ブランズと共に力道山にプロレスの手ほどきをし、のちに『007ゴールドフィンガー』に出演した。
※4 本作にはマネージャー役の有島一郎が、酒場で「プロレスはインチキ、八百長」と悪口を言う客と喧嘩になるシーンまである。
※5 テレビでは「チャンピオン太」(62~63/CX)というプロレス少年ものに、本人役で出演。若き日のアントニオ猪木も「死神酋長」なる悪役レスラーとして登場、師匠の力道山からこれをリングネームにさせられそうになるという、酷い目に遭う。
高田 雅彦(たかだ まさひこ)
1955年1月、山形市生まれ。生家が東宝映画封切館の株主だったことから、幼少時より東宝作品に親しむ。黒澤映画、クレージー映画、特撮作品には特に熱中。三船敏郎と植木等、ゴジラが三大アイドルとなる。東宝撮影所が近いという理由で選んだ成城大卒業後は、成城学園に勤務。ライフワークとして、東宝を中心とした日本映画研究を続ける。現在は、成城近辺の「ロケ地巡りツアー」講師や映画講座、映画文筆を中心に活動、クレージー・ソングの再現に注力するバンドマンでもある。著書に『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『七人の侍 ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)、近著として『今だから! 植木等』(同2022年1月刊)がある。