スマホのアプリで疾患を治療する「治療用アプリケーション」とは?
医療を取り巻く環境はめまぐるしく変化しており、近年では急速なデジタル化が進んでいます。病院の診療録(カルテ)や、保険薬局の調剤記録のほか、健康診断の結果や血液検査の値などをデータ化し、患者さんそれぞれの治療に役立てようとする取り組みが加速しているのです。
また、新型コロナウイルスの感染が拡大して以降、世界的にもオンライン診療(遠隔医療)に注目が集まりました。オンライン診療とは、インターネットを介したビデオ通話などを用いて、患者さんが病院を受診しなくても医師の診察を受けることができるシステムのことです。
さらには、医師による医療行為や、患者さんの治療サポートにおいても、スマートフォン端末を応用しようとする取り組みが行われており、このような医療をモバイルヘルスと呼びます。
代表的なモバイルヘルスとして、治療用アプリケーションと呼ばれるソフトウェア(コンピュータープログラム)を挙げることができます。今回は、治療用アプリケーションの具体例を挙げながら、デジタル化が進む新しい医療について、筆者なりの考えをご紹介したいと思います。
治療用アプリケーションとは?
健康に関するスマートフォン向けのアプリケーションと言えば、歩数の計測(万歩計機能)や食事内容の記録・管理などを行うソフトウェアを思い浮かべる方も多いでしょう。しかし、これらは厳密な意味での治療用アプリケーションではありません。あくまでも健康管理に役立つ「ツール」であり、患者さんが生活習慣の改善に役立てることを目的としています。
厳密な意味での治療用アプリケーションとは、医師の管理のもとで患者さんが使用する、治療目的のコンピュータープログラムを指します。
つまり、デジタル技術を用いることで病気の予防、診断や治療などの医療行為を行うソフトウェアであり、専門的にはデジタルセラピューティクス(DTx)と呼ばれます。なお、治療用アプリケーションは、病気の治療を目的としたプログラム医療機器であり、厚生労働省の承認(もしくは認証)が必要な医療機器に分類されます。
治療用アプリケーションの具体例
治療アプリケーションについて、言葉で説明してもわかりにくいかと思いますので、具体例を挙げて解説します。2021年3月末までに、日本で承認を受けた治療アプリケーションは95品目あります。その中でも、2020年8月に日本で初めて承認された治療アプリケーションがCureAppSCニコチン依存症治療アプリ及びCOチェッカー(CureApp SC)です。
株式会社CureAppが開発したこのアプリケーションは、喫煙者におけるニコチン依存症の治療に用いられます。ニコチン依存症とは、血液中のニコチンの濃度が下がってしまうと不快感を覚えてしまい、喫煙がやめられなくなってしまう状態のことです。なお、一定の条件を満たせば、禁煙補助薬とともに、CureApp SCによる治療にも健康保険が適用されます。
CureApp SCは、ニコチン依存症の患者さんに合わせた認知行動療法や、行動パターンの改善を提案することで禁煙治療を支援します。CureApp SCの有効性を検証した臨床試験でも、持続的な禁煙をサポートする効果が示されています。
この臨床試験には、ニコチン依存症の患者さん584人が参加しました。参加者は、CureApp SCを使って禁煙補助治療を行うグループと、CureApp SCを使わない一般的な禁煙補助治療を行うグループにランダムに振り分けられました。その結果、治療開始から9~24週目において、継続的に禁煙できた人の割合は、CureApp SCを使わなかったグループと比べて、CureApp SCを使ったグループで73%高いことが示されました。
糖尿病管理のための治療アプリケーション
世界で初めて医療機器として承認された治療アプリケーションが、糖尿病の治療を目的に開発されたBlueStar(ブルースター)です。BlueStarは、米国のWellDoc社(メリーランド州コロンビア)が開発し、2010年に米国食品医薬局(FDA)の承認を取得しました。現在では、米国だけでなくカナダでも販売されています。日本では、アステラス製薬株式会社がWellDoc社と共同でBlueStarの製品化を目指しています。
BlueStarは糖尿病患者さんの血糖値を記録したり、糖尿病治療薬の服薬状況、食事や運動の内容などをデータ化することで、生活習慣の改善や健康管理を支援します。さらに、保存された治療データを活用して、個々の患者さんの生活状況に合わせた治療が行えるよう、さまざまなアドバイスを提案します。また、アプリケーションを通じて、専門医にアドバイスを受けたり、糖尿病の治療に関する知識を深めるための教育的なコンテンツも提供されます。
デジタル医薬品との違いは?
治療用アプリケーションと似たような意味を持つ言葉として、デジタル医薬品(デジタル・メディシン)をあげることができます。デジタル医薬品は、デジタル技術を応用した医療サービスという点で、治療用アプリケーションと似ています。
しかし、デジタル医薬品は治療用アプリケーションのようなプログラム医療機器(ソフトウェア)ではなく、医薬品と医療機器を融合させた最先端の医療技術です。
デジタル医薬品の開発で国内業界をリードしている企業は大塚製薬株式会社です。同社が開発したデジタル医薬品「エビリファイ マイサイト(Abilify MyCite)」は、すでに米国で承認されています。エビリファイ(一般名:アリピプラゾール)は、大塚製薬株式会社が開発した統合失調症の治療薬です。このエビリファイの錠剤に、極めて小型のセンサーを組み込んだ医薬品がエビリファイ マイサイトなのです。
エビリファイ マイサイトは、専用のシグナル検出機器とアプリケーションを用いることで、服薬に関するさまざまな情報をデータ化することができます。例えば、副作用の発生状況や服薬の状況などがデータ化されることで、薬の用法用量などを患者さんそれぞれの生活環境に合わせて調整することが可能となります。
デジタル化が進む新しい医療の展望
医療サービスのデジタル化を考えるうえで、血圧計の製造販売で世界的なシェアを誇るオムロン株式会社が、医療統計データサービスを展開する株式会社JMDCを子会社化したというニュースは印象的でした。
株式会社JMDCは、日本国内の健康保険データベースを保有している企業で、1000万人を超える規模の医療ビッグデータを構築しています。この巨大なデータベースと、オムロン社が保有するヘルスケア機器に関する技術が融合することで、将来的には病気を発症する前の段階から、より健康的な生活習慣のための的確な提案を受けることができるようになるかもしれません。
治療アプリケーションやデジタル医薬品もまた、医療ビックデータと人工知能による解析をもとに、患者さんの個別の生活状況に合わせた健康プログラムを提供できる可能性を秘めています。医療が果たす役割は、病気の治療だけでなく、病気を発症する前の健康管理にまで広がっていくことでしょう。
一方、医療のデジタル化は、アプリケーションやツールを使いこなすことが難しい患者や、情報通信技術に対する知識が浅い患者にとっては、その適用が難しくなるかもしれません。その意味では、医療サービスに格差が生じる可能性もあります。また、治療アプリケーションやデジタル医薬品の有効性や安全性に関する質の高い科学的根拠は限られています。今後の研究データの蓄積に注目したいと思います。
【参考文献】
[1]Future Healthc J. 2022 Jul;9(2):113-117
[2]ファルマシア. 2021 年 57 巻 12 号 p. 1082-1086
[3]STI Horizon Vol.8 No.2(2022.06.27)
[4]CureApp SC 医療関係者向けウェブサイト
[5]PR TIMES 世界初のニコチン依存症治療アプリ「CureApp SC」本日12月1日より販売開始
[6]NPJ Digit Med. 2020 Mar 12:3:35.
[7]アステラス製薬株式会社 2023年03月29日付ニュースリリース
[8]大塚製薬株式会社2017年11月14日付ニュースリリース
[9]日本経済新聞 オムロン、JMDCへのTOB終了 連結子会社に