憧れの谷川俊太郎さんと・・・??~小林沙羅さん
小林沙羅さん(Part 2)
東京生まれのソプラノ歌手。東京藝術大学音楽部を卒業、同大学院修士課程を修了後、ローマやウィーンで研鑽を積みながら音楽活動をスタート。2015年から日本に拠点を移し、国内外の数々の舞台に出演しています。
出水:小林さんは東京生まれですが、子どものころドイツに住んでいたそうですね?
小林:2~5歳の時にドイツで住んでたんですけども、父が研究をしていてルール大学に留学したんです。呼吸器の医者をやっていて、その時はウナギの浮袋の研究をしてたんです。だから大学に行くといつもウナギを飼っていて。
JK:あら美味しそう!
小林:食べちゃだめです(笑) それで私もようやく日本語しゃべり始めたぐらいでドイツに行っちゃって、ドイツの幼稚園に入って。最初はドイツ語がまったく分からなくて苦労してたらしいですけど、ペラペラしゃべってました。友だちともドイツ語で喧嘩したり。
JK:ドイツ語で? すごーい!
小林:両親がドイツ語で分からないことがあると、私が翻訳したり。
JK:子どもってそれだけ頭が柔らかいのね~!
小林:耳から入るからですね。その代わり忘れるのも早くて、日本に帰ったらどんどん忘れて。大人になってから覚えてるのはケンカ言葉ぐらい(笑)「Du bist doof!(お前はバカだ!)」とか。でもその頃にドイツ語の耳ができていたので、ドイツ語で歌う時も発音はいいねと言われました。
JK:イタリア語とは全然違いますね。切り替えが大変ね。
小林:性格も変わりますね。英語しゃべると、自分はアメリカンな感じになりますよね。Hey! Hi! みたいな。ドイツ語でGuten Tagって言うのとイタリア語でciaoって言うのでは、自分の中でキャラが違うっていうか。
出水:小さいころからそんな風に、どんな状況でも乗り越えるお嬢さんだったんですか?
小林:そうですね、わりと逞しい方で。やっぱり差別とかあるんですよね。それこそ男の子に「日本人」とか「中国人」とか言われると「Nay! Ich bin Japanarine!(私は日本人よ!)」いたいに言い返したり。海外にいると強くならざるを得ない。逞しい子ども時代を過ごしてました。その頃のビデオもあるんですけど、だいたい踊ってたり歌ってたり。当時から好きでしたね。
出水:小さいころからバレエも習っていたんですよね。
小林:はい、5歳から。10歳から日本舞踊も習っていて、それは今も続けています。
JK:やっぱり「夕鶴」やるからね。「夕鶴」は着物着て?
小林:着物着てやることが多いですね。でもオペラって演出家によって全然違ってくるんですよ。現代ものだと和のものも西洋としてやったりするし。
JK:私もいろんな蝶々夫人見ました。「こんなのでもいいの?」っていうのもあったり。装置なんかなくて、棒みたいなのだけだったり。
小林:お金かからなくていいから、そういう風になっているっていう話もあるんですけど。
出水:音楽との出会いは?
小林:それこそ記憶にないぐらいから、両親がレコードをかけていて。童謡のレコードも繰り返しかけてましたし、日曜の朝には父親がヴェルディの「レクイエム」を大音量で流してたり(笑)
出水:日曜の朝からドマラチックですね!
小林:実際にオペラを見たのはずいぶん後の方です。小学校3年生のときに、「徹子の部屋」に坂東玉三郎さんが出ていらして、「東京コンセルヴァトリーという演劇の学校を始めました。今度5期生のオーディションをやります」と言ってらして。私も舞台が好きだったので、オーディションを受けることになって、小学5年生の時に入れていただいたんです。その時に玉三郎さんのご招待で本格的なオペラや映画、演劇を見させてくださって。
JK:素晴らしいわね! 生徒さんは何人ぐらい?
小林:5期生で7人ぐらいだったかな。私が一番若くて。その時初めて見せていただいた本格的なオペラが、ウィーン国立歌劇場の「こうもり」だったんです。本当に華やかな舞台にびっくりしたのが初めての出会いです。それこそ玉三郎先生がいらしたからこの道に来た、っていうのもあります。
JK:沙羅さん、ご自分の経験のマサカをぜひ。
小林:やっぱり玉三郎先生との出会いが私にとって一番のマサカですね。それともうひとつ藝大時代にマサカがありまして。小さいころから歌と踊りに加えて詩が大好きだったんです。トイレに詩集が置いてあって、トイレの中でずっと朗読するのが好きで、なかなかトイレから出てこない。とくに谷川俊太郎さんが大好きで、私にとっては本当に雲の上の存在だったんです。その方が藝大在学中に2~3日間の集中講座を教えにいらして。「えっ、谷川俊太郎さんって存在するんだ!」って(笑)その時に俊太郎さんの前で新作を発表したい人を募集していて、仲良かった作曲家の子に「何か作って!」って頼んで、フルートと歌の作品を作ってもらったんです。
JK:その作詞をされたんですか?
小林:いえ、谷川俊太郎さんの詩に新しい曲をつけて披露するっていう。歌としゃべりの間みたいな作品で、俊太郎さんも「面白い!」って言ってくださって、次の朗読ライブによんでくださったんです!
JK:ええ~! すごーい!
小林:それで俊太郎さんと一緒に朗読して、歌って、「夢なんじゃないかしら?」と思って。その時一緒に演奏した人たちとグループを作って、新しい作品をどんどん生み出す活動をしていて。今はみんなそれぞれの分野で有名になって活躍しているんですけど、それが今も私にとって新しいものを作る原点になっています。本当にマサカのありがたい経験です。
出水:来年の東京オペラシティでのコンサートはどんな内容ですか?
小林:オペラって敷居が高いとか難しいとか思われる人もいますが、楽しくて聞きやすい作品もたくさんあるんだよ、ってことを伝えたくて、大西宇宙さんという飛ぶ鳥を落とす勢いの方と一緒に、前半はアリアや重唱などオペラの名場面をお届けしようと思っています。後半はメノッティの「電話(テレフォン)」という作品を全編お届けしようと思っています。ベンっていう男の子が女の子にプロポーズしたいんだけど、彼女が電話ばっかりしていて、なかなかできない。あの手この手を使って・・・という面白い作品で、音楽もとっても可愛らしいので、オペラ大好きな方も見たことがない方もみんなが楽しめるコンサートにしたいと思っています。
JK:夢はいっぱいあると思うんだけど、今後はどんなことをやってみたい?
小林:新しいことをやるのが好きで、今までも新作を作っていただいたりしたんですが、これからもそういうことはライフワークとしてやっていきたいですね。それから以前ロンドンでリサイタルをした時に、日本の歌曲や日本の踊りと西洋の踊りを混ぜた「舞」という作品をやったんですけど、イギリスのお客様がすごく喜んでくださって。なので。日本の音楽の良さを海外の人に伝えていきたいなと思っています。
JK:それいいですね! 歌って入りやすいじゃないですか。歌にするとすっと入っていくし。
小林:言葉の壁を越えていく。それはやっていきたいですね。アメリカとか、ウィーンでも歌いたいですし、昔住んでたドイツとか、あとはパリとか・・・いろんな国でやりたいです。
(「コシノジュンコ MASACA」より抜粋)