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【高校野球】県岐阜商、栄光の甲子園成績一覧 89年ぶり全国制覇へ快進撃

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イメージ画像,ⒸmTaira/Shutterstock.com

優勝候補・横浜破り甲子園91勝

第107回全国高校野球選手権大会も準決勝と決勝を残すのみとなった。21日の準決勝では8時開始の第1試合で日大三(西東京)と県岐阜商(岐阜)が対戦。10時30分開始予定の第2試合で沖縄尚学(沖縄)と山梨学院(山梨)が激突する。

中でも話題をさらっているのが、春夏連覇を狙っていた優勝候補・横浜を準々決勝で延長11回の激闘の末に破った県岐阜商だ。4-4で延長に突入し、10回表に3点を失って万事休すかと思われたが、その裏に見事同点。続く11回裏に劇的なサヨナラ勝ちを収めた。

私立全盛の今では珍しい公立の伝統校。春夏通算137勝の中京大中京、104勝の龍谷大平安、96勝のPL学園に次ぐ甲子園91勝(春48勝、夏43勝)を挙げており、春3回、夏1回の全国優勝を果たしている。その栄光の歴史を改めて振り返ってみたい。

戦前に春3回、夏1回の全国優勝

初出場は1932年春の第9回センバツ。当時は岐阜市立岐阜商業学校で表記は「岐阜商」だった。初戦で松山商に完敗した。

翌1933年センバツでは、決勝で明石中を1-0で下して初優勝。同大会には後に「ミスタータイガース」と呼ばれる広島・大正中の藤村富美男、南海の名監督となる広島商の鶴岡一人らが出場していた。

1935年センバツでも決勝で広陵中を破って2度目の全国制覇。優勝メンバーには明治大、大日本土木を経て、戦後にプロ野球の近鉄入りする加藤春雄、セネタースや毎日、高橋などで通算73勝を挙げた野村武史らがいた。

1936年には夏の甲子園に初出場し、決勝で平安中に9-1と大勝して初優勝。後に巨人で活躍する千葉茂が松山商の選手として同大会に出場していた。

その後、1938年夏、1939年センバツと2季連続で準優勝。1940年センバツでは、決勝で京都商に完封勝ちして春3度目の優勝を果たした。戦前は甲子園に出れば上位進出と言っても過言ではなく、全国的な強豪だった。

2009年夏にベスト4

戦後間もない1947年にセンバツでベスト8、夏も決勝進出したが、いずれも小倉中に進撃を阻まれた。1956年には春夏連続で準優勝。センバツは決勝で中京商に、夏は平安に敗れ、頂点には届かなかった。

1959年センバツでも決勝進出し、中京商に敗れて準優勝。後に中日の監督を務める高木守道が3年生だった。

この頃までセンバツの方が出場が多かったのは、夏は1県1代表ではなかったことも大きい。戦前は「東海」代表として愛知や三重の高校とも戦い、戦後も「三岐」代表として三重の高校に勝たなければならず、甲子園への道のりは遠かった。

1県1代表となった1978年以降は夏の出場回数が飛躍的に増えたが、逆に甲子園では上位進出できない年が長く続いた。21世紀に入ると、2009年夏にベスト4。新潟県勢初の決勝進出を果たした日本文理に準決勝で敗れた。

また、後にドラフト1位でソフトバンク入りする髙橋純平がエースだった2015年センバツでは、松商学園と近江を破ってベスト8。準々決勝で浦和学院に敗れた。

2年生エース柴田蒼亮と強力打線を擁して16年ぶりに準決勝進出した今大会。決勝進出なら1959年センバツ以来66年ぶり、夏は1956年以来69年ぶり、優勝なら1940年センバツ以来85年ぶり、夏は1936年以来89年ぶりとなる。県岐阜商の快進撃がどこまで続くか注目だ。

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記事:SPAIA編集部

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