『怪獣8号』が国内外で反響を集める理由とはーー『少年ジャンプ+』中路靖二郎編集長が読み解く構成の巧妙さ
2020年に『少年ジャンプ+』で連載がスタートし、熱烈な支持を集める松本直也の漫画『怪獣8号』。怪獣が人々をおびやかす世界を舞台に、怪獣から人々を守るため奮闘する32歳・日比野カフカの姿を描いた同作は、日本のみならず、海外でも大きな反響を巻き起こしている。2024年4月からは、テレビ東京系でアニメ化もされた。そんな『怪獣8号』の展覧会『怪獣8号展』が9月13日(金)より東京ドームシティ Gallery AaMoにて開催される。そこで今回は、同作の魅力、そして展覧会の見どころについて、担当編集者である『少年ジャンプ+』の中路靖二郎編集長に話を訊いた。
●「32歳ってこういうものなのか?」という違和感の正体
――担当編集者である中路さんから見て、『怪獣8号』のどういうところに面白さがあると思いますか。
たくさんありますが、一つは松本先生がご自分の境遇と重ねているであろう点です。主人公の日比野カフカは登場時、怪獣を撃退する隊員たちの活躍を横目に、怪獣の死体の清掃に明け暮れていました。決して若くはないけれど「怪獣を討伐する日本防衛隊になる」という夢を諦める年齢でもない。大人にもなりきっていないけど、それほど若いわけでもない。松本先生もキャリアは長くあり、『怪獣8号』の連載前、他の作家さんがどんどんヒット作を出されるところもたくさん見てきたはず。応援する気持ちはもちろんあったでしょうが、一方でじくじたる思いも抱えていたのではないでしょうか。「自分もいつか陽の当たる場所に立ちたい」という気持ちが根底にあって、そういうメッセージがあらわれているように感じました。
――誰かの活躍を複雑な思いで見る、というのは誰もが経験することですよね。
そうなんです。『怪獣8号』にはキャラクター1人ひとりにドラマがありますが、たとえば登場人物の古橋伊春だったら、自信満々で日本防衛隊へ入隊したけど周りにはとんでもない人たちがたくさんいて、後輩だと思っていた市川レノもすごい才能の持ち主だからどんどん抜かれていって……とか。そういうのは私たちの社会にも見られる普遍的な人間の悩み。だから共感できるところ、感情移入できるところがたくさんあるんですよね。
――中路さんは『怪獣8号』がここまで大きな反響になることは想定していましたか。
たくさんの方に受け入れられるとは信じていましたが、でもこれほど大きな動きになるとは正直、考えていませんでした。松本先生とも「おじさんが主人公で、夢を諦めきれない人の話がここまで広範囲の読者を獲得するのは想定外だった」と話していました。それが連載の1話目の時点で「あ、これは違うな」という反応があって。いろんなところから連絡も来たりして、その反響の大きさは自分としては初めてというくらいでした。もともと大人向けの青年誌っぽいイメージで売り出していくつもりだったのですが、「これは視野をもっと広げて届けなければいけない作品だな」と方向性を修正しました。
――確かに「おじさん主人公である」という部分はよく着目されますよね。
でも、おじさんが主人公でも大ヒットしている漫画はたくさんあるにはあります。『シティーハンター』や『トリコ』、『GTO』とか。でもこれまではいずれも、欠点はあったとしても頼れるところを持つ大人が主人公だったんですよね。でも日比野カフカはそうじゃない。上に上げたようなキャラクターが持ついかにも主人公といった要素がない。主人公らしくないおじさんだから、特に意外性があったんです。
――なるほど。
あとこれは私が最初に読んだときに感じたことなのですが、「32歳にしては精神的に若いな」という部分。もともと「32歳はおじさんと呼ばれる年齢だし、社会的にはしっかりしていて、なんらかのプロフェッショナルである」というイメージがありました。でも日比野カフカはテンションが子どもっぽく、自分が思い描いていた32歳とは全然違った。「32歳ってこういうものなのか?」と。その違和感の正体は、松本先生と打ち合わせをするなかで明らかになっていったんですけど、松本先生はそもそも、32歳をおじさんだと捉えていなかったようなんです。むしろまだまだ若くて、夢を諦めなくてもいい年齢である、と。もちろんそれは人それぞれの感覚ですが、自分はそこで「どうやら松本先生は32歳を夢を追ってもいい年齢として描いている」と気づき、僕の方で「32歳」の感覚を調整しました。つまり、夢を追いかけていて、頼りがいがない32歳のストーリーとして読むようにしたんです。そうしたら「おじさんだけど若いっていうのは、あまりないキャラクター設定だな」とより興味を持つことができました。
●松本直也作品は、まず「なんだろう」と興味を持たせてから話が展開する
――そんな『怪獣8号』は、日本国内だけではなく海外でもウケていますね。
松本先生の作品は流れるように読めるから、日本的な文脈を知らなくても理解できるし、海を越えやすい。専門的なことを言うと、松本先生はページの使い方がお上手なんです。先生の描き方は、話の冒頭やコマの冒頭にフックを置くんです。つまり気になることを最初に提示する。気になるセリフ、気になる場面をまず置いて、読者に「これはなんだろう」と思わせて、そのあと「こういうことなんです」と語っていく。そしてストーリーの最後にもう一度惹きつけるところを作って「次はどうなるんだろう」と気にさせ、次回も冒頭からまた盛り上げを作る。その流れが徹底しているんです。
――確かに1話目も、最初から怪獣が出てきていましたよね。
1話目もあの場面で「なんだろう」と興味を持たせ、そのあと「こういうことです」と話が展開していく。これが、もし最初に「怪獣の死体の清掃業というものがある」という説明から入ると、読者的にちょっと面倒臭く感じてしまう場合がある。でも「まず怪獣が出てきて、それが死にました」から始まり、「だから清掃業がある」にすると、込み入った説明をしなくても「こういう世界観の物語なんだ」と話が掴みやすくなるんです。
――「怪獣」という存在も海外の読者にとって興味を持ちやすい題材ですよね。
怪獣はやはり、災害のメタファーとして捉えられますよね。私たちは、そういった災害を常に意識して生活している。怪獣=災害と考えると、そのイメージは世界的に一般化しているものでもあるのではないでしょうか。災害が起きると、私たちは自分たちの無力さを痛感する。でも、自分たちなりに立ち向かっていかなきゃいけない。怪獣が登場する作品からは、そういう人間像が感じられますよね。あと『怪獣8号』はファンタジーで塗り固められているわけではなく、あくまで現実世界のなかに大きな嘘を一つだけついているという描き方。しかしその嘘からいろんなことが生じてドラマになっていく。つまり、あまり嘘を増やしていかないやり方なんです。
――描かれている場面も、いずれもリアルですもんね。
たとえば日本防衛隊の第1部隊の有明りんかい基地も、実際に有明の商業施設の近くに東京臨海広域防災公園という場所があって、「ここいいな」と思って提案したんです。「ここなら東京の都市部でなにかあっても出動できるし、海から来た怪獣にもすぐ対応できる」とかいろいろ想像して。これに限らず日常で使えるなと思ったものや、おもしろいものを発見したらすぐに先生たちに話してみる、というのはよくやっていますね。
――その積み重ねで一話、一話が完成するのですね。そのようにして生まれた『怪獣8号』の展覧会が開かれることは、担当編集者として大きな喜びがあるのではないでしょうか。
松本先生はすごく良い絵を描かれるので、大規模な展示でその世界観が味わえるのは得難い体験になるはず。キャラクターの武器を実物大に近い形で展示もしているので、そういったものを、実感を持って楽しんでもらえると思います。あともう一つ、展示する絵にも注目してほしいです。皆さんがご覧になっているスマホの画面やコミックスのサイズの絵ではなく、大きなサイズで、スマホやコミックスでは断ち切りになり入りきっていない部分まで先生が描かれた絵を見られるのは、読者の皆さんにとって初めての体験になります。また、この展覧会を開催するにあたって掲載前に描く連載ネームも掘り出されました。私はこれを久しぶりに見るまで、連載ネームと実際に掲載されたものってそんなに変わりがないと思っていたのですが、あらためて見直すと結構変わっているんです。大事なポイントも変わっていたりして、割と新鮮な驚きがありました。そういう部分もこの展覧会でしか見られないので、楽しみにしていただきたいです。
取材・文=田辺ユウキ 撮影=大橋祐希