なぜ世界には「ギニア」と付く国が4つもあるのか?ギニア、ギニアビサウ、赤道ギニア、パプアニューギニア
世界地図を眺めていると、ふと奇妙なゲシュタルト崩壊に襲われることがある。
その最たる原因の一つが「ギニア」という国名だ。
西アフリカに位置する「ギニア共和国」と「ギニアビサウ共和国」、その少し南にある「赤道ギニア共和国」。
さらには地球の反対側、オセアニアにまで「パプアニューギニア独立国」が存在する。
国際会議のニュースや、近年の鉱物資源やエネルギー資源を巡る地政学の報道において、これほど混同されやすい国々もないだろう。
なぜ、これほど離れた場所に同じ名前を持つ国が4つも乱立しているのか。
その背景を紐解くと、大航海時代から始まるヨーロッパの探検家たちの勘違いと、植民地支配の歴史が織りなす壮大な雑学が見えてくる。
言葉の起源とヨーロッパ人の認識
そもそも「ギニア」という言葉はどこから生まれたのか。
諸説あるが有力な説の一つに、北アフリカの先住民族であるベルベル人の言葉で「黒人たちの土地」を意味する「アギナウ(Aginaw)」が語源となったというものがある。
これが15世紀、大航海時代の幕開けとともにこの地を訪れたポルトガル人をはじめとするヨーロッパの探検家や商人たちに伝わり、西アフリカ沿岸一帯を指す地名として定着していった。
当時のヨーロッパ人にとって「ギニア」とは具体的な国名ではなく「アフリカの黒人が住む豊かな未開の地」を大雑把に指すエリア名に過ぎなかった。
この曖昧な認識こそが、のちに世界中で「ギニア」が量産される悲劇、いや喜劇の始まりとなったのである。
植民地支配が生んだアフリカの3つのギニア
アフリカにある3つのギニアは、まさに19世紀のヨーロッパ列強によるアフリカ分割の爪痕そのものである。
かつて西アフリカの広大なエリアは、どの国が植民地支配したかによって「フランス領ギニア」「ポルトガル領ギニア」「スペイン領ギニア」と呼び分けられていた。
これらが20世紀に独立を果たす際、名前の重複を避けるためにそれぞれ工夫を凝らした。
最初に独立したフランス領はそのまま「ギニア」を名乗った。これに困ったポルトガル領は、首都の名前を後ろにくっつけて「ギニアビサウ」とした。
そしてスペイン領は、地理的な特徴である赤道に近いことから「赤道ギニア」と名乗ることで差別化を図った。
つまり、旧宗主国の縄張り争いの名残が、現在の国名にそのまま残っているのだ。
地球の反対側に飛び火した「ニュー」の謎
では、なぜアフリカから遠く離れた南太平洋の島国にまで「パプアニューギニア」という名前が付いているのだろうか。
ここには、ある探検家の強烈な「既視感(デジャブ)」が関係している。
16世紀、スペインの探検家オルティス・デ・レテスが、オセアニアにある未知の大きな島に上陸した。
その際、そこに住む先住民たちの容姿や肌の色、気候風土が、かつて自分がアフリカで見た「ギニアの風景」にそっくりだと感じたのだ。
そこで彼はこの島を「新しいギニア」、すなわち「ニューギニア」と命名してしまった。
のちにこの島は、先住民の髪型に由来する「パプア」という地名と合わさり、最終的に「パプアニューギニア」として独立することになる。
ヨーロッパ人の身勝手な印象論によって、地球の真裏にある島が「第二のギニア」にされてしまったというわけだ。
現代の国際情勢において、これら4カ国はそれぞれ異なる資源を背景に独自の発展を遂げている。
しかしその国名のルーツを辿ると、かつて世界を強引に塗り替えていったヨーロッパ人たちの足跡が鮮明に浮かび上がってくる。
参考 : Encyclopaedia Britannica : Guinea / Papua New Guinea、CIA World Factbook : Country Comparisons – Natural resources 他
文 / エックスレバン 校正 / 草の実堂編集部