【京都】伏見に咲く桜・2選「城そして水路」
伏見は豊臣・徳川抗争の舞台、さらに戊辰の役の第一戦場になるなど日本史の節目になる重要な位置を占めてきたエリアでもあります。伏見の史跡を巡ると桜と共に歴史の営みが浮かんで来ます。桃山の地に建つ「伏見桃山城」の桜。そして坂本龍馬ゆかりの地「濠川」に咲く桜の紹介です。
【画像】桜満開の伏見桃山城目次
桜観光の穴場「伏見桃山城」龍馬のいた町「伏見・濠川」の桜濠川(ほりかわ)の歴史
桜観光の穴場「伏見桃山城」
桜満開の伏見桃山城。(撮影4月5日)伏見を車で走っていると、かなり遠くからでも山の上に見えるのが、このお城「伏見桃山城」です。元々は、秀吉が建てた『伏見城』が由来の伏見桃山城。伏見城の廃城後、桃木を植えたので、桃山という地名になったと言われています。ちなみに、「安土桃山時代」の桃山とは、この地の事と伝わっています。時は移り、昭和に入り昭和39年(1964年)に「伏見キャッスルランド」という、お城のある遊園地として建てられました。1964年といえば、新幹線が開業し東京オリンピックが開催された年です。その時には、お城とともに隣接する広い敷地には大きな遊園地がありました。ジェットコースターやゴーカート、メリーゴーランド、コーヒーカップ等があり夏にはプールもありました。
「伏見キャッスルランド」入場者のピークは、1978年頃で年間100万人近い人が来られる人気の遊園地でした。しかし、時代が移り東京ディズニーランドや大阪USJの開業が始まると入場者は減り続け、2003年1月末に閉園しています。閉園後、シンボルである、お城は残されました。いまは京都市が「伏見桃山城運動公園」として整備し、市民の憩いの場になっています。 門をくぐり城内に入ると、見事な桜景色が広がっています。
見頃を迎えた桜と八重椿が美しいです。本来の伏見城は3度にわたって築城され、1592年に指月山に築かれたものを指月山伏見城。後に木幡山に再築されたものを木幡山伏見城と呼んで区別されています。 元禄時代頃のこの地には桃の木が植えられ、桃山と呼ばれるようになった事から、伏見城は桃山城、そして伏見桃山城と呼ばれるようになりました。
伏見桃山城の桜は、京都の桜観光では穴場とも言える所で、人も少なくゆったりと桜が楽しめます。(散策無料)
2025年の今、満開の桜とお城の美しい景色が広がっています。
伏見桃山城 〇所 京都府京都市伏見区桃山町大蔵45 〇料金 入場無料 〇アクセス JR桃山駅より徒歩10分。近鉄桃山御陵前より徒歩20分。京阪伏見桃山駅より徒歩20分。 〇駐車場 あり
龍馬のいた町「伏見・濠川」の桜
「寺田屋」は濠川のすぐそばにある船宿です。ここは、坂本龍馬が襲撃された「寺田屋事件」の舞台でもありました。慶応2年1月(1866年)、その日宿泊していた坂本龍馬や長州の三吉慎蔵らは、幕府伏見奉行の捕り方百数十人に囲まれていました。いち早く気づいたお龍は、風呂から裸のまま裏階段を2階へ駆け上がり、龍馬達に危機を知らせました。
踏み込まれた龍馬達は、拳銃や手槍を用いて防戦。辛くも脱出して材木屋に隠れ、伏見薩摩藩邸からの救援で 九死に一生を得ることができました。
その後、龍馬は伏見薩摩藩邸にしばらくかくまわれていましたが、右手の傷を癒やすため寺田屋浜から三十石船に乗り、お龍とともに九州の霧島へと旅立ちました。濠川沿いの寺田屋近くには龍馬・お龍の銅像があります。いわゆる、日本初の新婚旅行ともいわれています。
濠川(ほりかわ)の歴史
寺田屋のすぐ近くを濠川は流れています。今は見頃を迎えた桜と共に、枝垂れ柳とユキヤナギの美しい風景が広がっています。
濠川は文禄3年(1594年)、豊臣秀吉の指月伏見城築城にともなう建築資材を運ぶため、宇治川の流路改修工事により宇治川派流として作られました。江戸時代の濠川沿いには問屋、宿屋、酒蔵が建てられ、米や薪炭、できた酒などを運ぶ小舟が往来し、総称して伏見浜(港)と呼ばれていました。
濠川は川や池とは違い、水路ならではの静かに流れる水と桜の風景が広がっています。
坂本龍馬の生きた時代、濠川はほぼ今のような水路だったそうです。濠川両岸に咲く桜は、ほとんどがソメイヨシノです。京都市内の桜スポットと同時期に見頃を迎えます。「伏見・濠川」の桜……今年も見事な桜景色です。
伏見・濠川水路 〇住所 京都市伏見区堀詰町~葭島金井戸町 〇アクセス 京阪本線「中書島駅」徒歩5分