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元横綱鶴竜・音羽山親方の相撲人生、穏やかで的確な解説が人気上昇中

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現役時代の鶴竜,Ⓒゲッティイメージズ

モンゴル出身4人目の横綱、優勝6回

大相撲中継でソフトな語り口の解説が好評を博している元横綱・鶴竜の音羽山親方。現役時代は朝青龍、白鵬、日馬富士に次いでモンゴル出身4人目の横綱として活躍し、6回の優勝を果たした。改めてその相撲人生を振り返ってみたい。

鶴竜は1985年8月10日、モンゴル・スフバートル出身。父親は大学教授で、鶴竜も勉強、スポーツともに優秀な少年だったという。モンゴルでもNHKの大相撲中継が観られたため、母国出身の旭鷲山らの活躍に刺激を受け、角界入りを決断。16歳だった2001年9月に来日し、井筒部屋に入門した。

同年11月場所で初土俵。体は小さかったが着実に力をつけ、三段目17枚目だった2004年7月場所で優勝。幕下でも白星を重ねて2005年11月場所から十両に昇進した。一度、幕下に転落したが再昇進し、西十両筆頭だった2006年9月場所で9勝を挙げ、新入幕を果たした。

2008年1月場所で11勝を挙げて初の三賞となる技能賞。2012年1月場所では初顔合わせから20連敗を喫していた横綱・白鵬に初めて勝ち、同場所で10勝を挙げて初の殊勲賞を受賞した。

翌3月場所は13勝2敗。優勝決定戦で白鵬に敗れたものの、場所後に大関昇進が決まった。

復活果たせぬまま2021年に無念の引退

2014年1月場所、14勝1敗で並んだ白鵬に優勝決定戦で敗れ初優勝を逃したが、翌3月場所では14日目に白鵬を破って14勝1敗で初優勝。横綱昇進条件の2場所連続優勝ではなかったが「それに準ずる成績」と認定され、モンゴル出身4人目となる第71代横綱への昇進が決まった。

その後しばらく賜杯から遠ざかったが、白鵬が休場した2015年9月場所で2回目の優勝。翌2016年11月場所で3回目の優勝を果たした。

2017年は9月、11月場所を2場所連続全休するなどケガに苦しんだものの、2018年3月場所で8場所ぶり4回目の優勝。翌5月場所も14勝1敗で自身初の連覇を達成した。

2019年7月場所で6回目の賜杯を抱いたのが最後の優勝。2020年5月場所がコロナ禍で中止となり、翌7月場所3日目からケガのため休場すると、9月、11月、翌2021年1月場所を全休した。

そして、進退を懸けて臨むとしていた3月場所も休場し、11日目に引退を表明。復活を果たせないまま土俵を去ることになった。

絶賛された穏やかで真面目な人間性

通算成績は785勝497敗231休。日本相撲協会HPのプロフィールでは、右四つ・下手投げが得意技となっているが、組んで良し離れて良しの器用な力士だった。

その一方で引き技で墓穴を掘ることも多く、ケガのため横綱昇進後に休場が増えたことを批判する声もあった。

モンゴルの先輩横綱・朝青龍のように闘志を前面に出すことはなく、穏やかで真面目な性格が相撲に出ているかのようだったが、それこそが鶴竜の魅力のひとつでもあったことは間違いない。

内規の2場所連続優勝を達成せずに横綱昇進した際も横綱審議委員会で反対意見は出ず、「日本人以上に日本人らしい」「品格のある横綱になる」など人間性を絶賛する声が相次いだ逸話が残っている。

引退後は穏やかな語り口と時折ユーモアも交える解説が人気。2023年12月に年寄「音羽山」を襲名し、音羽山部屋を設立した。角界屈指のサッカー通としても知られている。

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記事:SPAIA編集部

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