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ミスチル、マイラバ、ピチカート!信藤三雄が手がけた90年代のCDアートワーク

Re:minder

1994年06月01日 Mr.Childrenのシングル「innocent world」発売日

日本のミュージックシーンに大きな影響を与えたアートディレクター、信藤三雄


2023年は偉大なミュージシャンたちが次々とこの世を去った年だったけれど、2月10日は日本のミュージックシーンにヴィジュアル面で大きな影響を与えた人物の命日となった。アートディレクター、信藤三雄である。

ピチカート・ファイヴやフリッパーズ・ギターなど “渋谷系” アーティストのジャケットやアートワークといえばこの人だが、一方で松任谷由実、サザンオールスターズ、Mr. Children、SMAP、MISIA、GLAYとメインストリームの仕事も手掛け、しかもどの仕事も印象に残るものばかりだ。

Mr. Childrenのシングル「innocent world」(1994年)、MY LITTLE LOVERのアルバム『evergreen』(1995年)。いずれもミリオンセラーとなったこの2作品のジャケットには共通点がある。どちらもバンドのボーカリストのみを被写体として、かつ顔の一部しか写していない点だ。何かもどかしいけれど、それがいい。アーティスト側の理解がないと実現できないジャケットである。

MY LITTLE LOVERは、特にakkoの “ミニスカ+野球のグラブ” にヤラれた男子諸君は多いんじゃないだろうか。別にヤラしくないのだが、そこはかとなく漂うエロス。このフェロモン要素も信藤作品の重要な部分だ。

ミスチルのジャケもエモい。叫び声が聴こえてきそうな桜井和寿の姿もインパクト満点だし、ブルーで統一された色彩も印象的だ。青といえばアルバム『深海』(1996年)、私は楽曲よりジャケット欲しさに衝動買いしてしまったほどである。リリースから10年以上経って、当時付き合っていたミスチル好きの年下彼女に「なんで持ってんの? 私が持ってたほうがイイよね!」と強引に奪われてしまったが、すぐに別れてしまった。返してくれ(笑)

つねにファースト・インプレッションを重視していた信藤。新譜が出るたびに「次はそう来たか」と見る者を裏切り続けるセンスも最高だった。だからみんな、作品の顔である大事なジャケットを信藤に託すのだ。

ポップアートとしても傑作、AKB48「So long !」


個人的には、この作品も忘れがたい。当時私の推しメンだった渡辺麻友がセンターをとったAKB48『So long !』(2013年)。膝丈のミニ+鉄棒という設定が素晴らしい。ポップアートとしても傑作だし、これもフェロモン作品だ。

こんなふうに、信藤のアートワークは、そのアーティストの魅力をさらに増幅させ、麻雀で言うとドラをどんどん上乗せしてハネ満、倍満にしてしまうパワーがある。でも、作品はあくまでアーティストのもの、というところはきちんとわきまえていて、必要以上に出しゃばらない。だから幅広いジャンルのアーティストに頼られたのだ。

信藤三雄がギタリスト兼リーダーを務めたスクーターズ


信藤がどのアーティストからも信頼された大きな理由はもう1つある。アートディレクターであると同時に、彼自身もミュージシャンだったからだ。フリーのデザイナーとして活動していた頃、信藤は “スクーターズ” というバンドを結成。ロネッツやシュープリームス風の60年代系ガールズグループ+バックバンドという編成で、信藤はギタリスト兼リーダーを務めた。

ハイセンスなサウンドとファッションで、当時のモッズシーンで人気を集めたスクーターズは1982年にシングル「娘ごころはスクーターズ」でレコードデビュー。シングル、アルバムともに1枚だけリリースし、活動2年で一度解散した。小西康陽もスクーターズファンの1人で、信藤が渋谷系の仕事を手掛けていく契機になった。

彼らの楽曲の中でも特に人気が高いのが、ツービートも出演していた久世光彦演出のドラマ『AカップCカップ』(1983年:テレビ東京系)の主題歌「東京ディスコナイト」だ。当時出たアナログシングル盤は今も高値で取引されていて、小泉今日子もアルバム『Bambinater』でこの曲をカバーしている。

つまり、バンドマンでもあった信藤の中では、音楽とアートワークはもともと一体だったのだ。ミュージシャンの心がわかるアートディレクター、それはもう最強である。信藤は2012年にスクーターズの活動を再開。当時64歳だったが、その後も不定期でライヴを続けた。ギターを弾いているときの信藤は、動画を観ると心底楽しそうだ。

CDだって、いろいろ遊べるんだぞ


信藤が本格的に音楽関係のアートワークの仕事を始めたのは1984年、松任谷由実のシングル『VOYAGER〜日付のない墓標』からである。当時はまだアナログ盤の時代だった。1989年、時代が昭和から平成へと移り、80年代が終焉を迎えると、アナログ盤は一斉にCDへと置き換わった。

あの頃、レコードを買っていた音楽好きはみんな思ったはずだ。”CDってサイズ、小っちぇなー!ジャケットアートが楽しめないじゃん!” と。実際、その後CDオンリーでリリースされた作品は、楽曲のクオリティ以前に、そのパッケージが物足りなかった。購入し甲斐がないというか…。

ところが信藤は、絶妙なセンスでそんな不満を解消してくれただけでなく、さまざまな特殊パッケージをアーティストとともに考え、形にした。アルバム『女王陛下のピチカート・ファイヴ』(1989年)で、CDを収納するトレーを透明にして背ジャケットを見せようとしたのは小西康陽のアイデアだが、それをアートワークとして完成させたのは信藤だ。裸の女性モデルに直接ペインティングしたのも信藤で、スタジオに連れて行く途中で字が消えたり、いろいろ大変だったそうだ。

今や透明トレーはスタンダードになっているけれど、アナログからデジタルへとメディアが切り替わっていく端境期に “CDだって、いろいろ遊べるんだぞ” といち早くその方法論を提示した信藤の功績はとてつもなく大きい。信藤がなぜそんなことを考えたかというと、”今後CD化が進むにつれて失われていくであろう作品の “質感” をなんとか維持したい” と真剣に思っていたからである。それは、信藤自身が、“アナログ盤が大好きなミュージシャン” だったからこそだ。

その作品の数々は、信藤の公式サイト(http://www.ctpp.org/)で観ることができる。ぜひ曲を聴きながら、信藤がジャケットに込めた思いを味わってほしい。

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