5000年以上前の遺跡に「北斗七星」? 紅山文化で発見された7基の謎の土坑
紅山文化とは
紅山文化(こうさんぶんか)とは、今から約6500~5000年前、中国東北部の遼寧省西部から内モンゴル自治区東南部などに広がった新石器時代の文化である。
人々は粟(あわ)や黍(きび)などを栽培する一方、狩猟や採集、魚を捕るなどして生活していたと考えられている。
紅山文化を代表する遺跡の一つが、遼寧省西部にある牛河梁(ぎゅうかりょう)遺跡である。
牛河梁遺跡は1981年に発見され、1983年から本格的な発掘調査が始まった。
その後40年以上にわたって調査が続けられ、神殿や祭壇、積石塚(つみいしづか)と呼ばれる墓地、大量の玉器などが発見されている。
なかでもよく知られているのが、女神廟(じょしんびょう)から出土した「紅山文化女神像」だ。
牛河梁では現在も発掘が続けられており、紅山文化の社会や信仰について新たな発見が相次いでいる。
そして2026年、これまでとは少し変わった遺構が注目を集めることになった。
北斗七星に似た7つの土坑
2026年8月、牛河梁遺跡の新たな発掘成果が公表された。
牛河梁遺跡の第一地点では、これまでに9基の大型台基(だいき)と付属施設からなる大規模な建築群が確認されている。
なかでも今回注目されたのが、7号台基から発見された7基の「紅焼土坑(こうしょうどこう)」である。
紅焼土とは、強い熱を受けて赤く焼けた土のことで、7基の土坑は一定の規則をもって配置されていた。
その並び方が、夜空に浮かぶ「北斗七星」と非常によく似ていたのである。
もちろん、7つ並んでいるからといって、それだけで北斗七星を表したものだと断定することはできない。
しかし発掘を率いる研究者は、紅山文化の人々が天体や宇宙に対する認識を地上に表現した可能性があるとみている。
北斗七星と季節
北斗七星は、北の空に見える七つの明るい星からなる星の並びである。
地球から見ると北極星の周囲を回るように動き、季節によって「斗柄(とへい)」と呼ばれる柄の部分が指す方向も変化する。
そのため中国では後世、北斗七星の向きと季節を結びつける考え方が生まれた。
今回発見された7基の土坑が本当に北斗七星を表しているのであれば、紅山文化の人々も星の動きと季節の変化を何らかの形で意識していたと言えるだろう。
ただし紅山人がこの遺構を使って暦を作った、あるいは季節を正確に測定していたことまで確認されたわけではない。
現段階で分かっているのは、7基の土坑の配置が北斗七星によく似ている、というところまでである。
では、なぜこの発見がこれほど注目されているのだろうか。
実は牛河梁遺跡では、天体との関係を思わせる遺構が以前から知られていたのである。
三重の円壇と太陽
牛河梁遺跡の第二地点には、三つの同心円からなる大きな円形の祭壇がある。
最大直径は約22mで、外側から内側へ向かって段階的に高くなる三重構造になっている。
この「三重円壇」について、天文学史研究者の馮時(ふうじ)氏は1993年、天体観測や祭天との関係を論じた。
馮氏は、三つの円が冬至、春分・秋分、夏至における太陽の動きに対応し、天体の運行が祭祀施設に表現されていると解釈した。
これが正しければ、紅山人は単に空を眺めていただけではなく、太陽や星の動きを長期的に観察し、季節の移り変わりを認識していたことになる。
ただし三重円壇の意味については諸説あり、墓に葬られた祖先を祀るための祭祀施設だったとする見方もある。
しかし今回、北斗七星を思わせる7基の土坑が新たに見つかったことで、牛河梁遺跡と天体との関係は改めて注目されることになった。
今後さらに発掘が進めば、紅山人が持っていた天空への認識も、少しずつ明らかになっていくかもしれない。
参考 :
黄子帥・李輝「中華民族基因譜系中紅山文化牛河梁古国的主根特征」『首届紅山文化国際伝播大会会刊』
艾素珍・宋正海編『中国科学技術史 年表巻』科学出版社、2006年