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現代社会のハザマに生きる若者たちの遣る瀬無さを捉えた、『BIRTH』観劇レポート 千穐楽のStreaming+配信が決定

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舞台『BIRTH』

2011年の初演以来、劇団温泉ドラゴンの代表作として知られてきた4人芝居『BIRTH』が、現在、よみうり大手町ホールにて上演中だ。今回は演出に千葉哲也を迎え、梅津瑞樹前山剛久杉江大志玉城裕規後藤大佐藤祐吾陳内将北園涼章平といった注目の若手俳優陣が集結し、新たな『BIRTH』を構築。私たちの今日と地続きな「どこかすぐ近くに在るリアル」と、ささやかなファンタジーが入り混じった群像劇を叩きつけてくれた。10月21日(水)の千穐楽はイープラス「Streaming+」での配信も決定した本作、まずは劇場での観劇レポートをお届けする。(レポート日の配役はダイゴ:梅津瑞樹・ユウジ:杉江大志・マモル:後藤大・オザワ:陳内将)。

出所してきたばかりのユウジはヤバイ筋への借りを返すため、裏稼業に精通したオザワを尋ねてオレオレ詐欺を始めることに。メンバーは行き掛かり上組むことになった指南役のオザワの他、昔馴染みのダイゴとその友人・マモルを加えた4人。足がつきにくいよう閉鎖した劇場をアジトに、せっせと電話をかけ続ける日々が始まった。

舞台『BIRTH』

「良心が痛まなければやっただけの儲けは保証する」とオザワは冷たく言うが、ダイゴ、ユウジ、マモルはみな施設育ち。親子関係の希薄な身の上ゆえ、子供や孫のためにと電話一本で騙され大金を用意する大人たちの気持ちが全く理解できない。「金はあるやつから取ればいい」とユウジはノリノリ。マモルは大好きな友人・ダイゴと居られるなら稼ぐ手段はなんでもいい。初めての“アポ取り”から息子になりきる演技の才能を見せたダイゴ。会話を重ねるうち、その胸の中に不思議な感情が湧き出してきて……。

冒頭、取調室でこのオレオレ詐欺の顛末を語り出すオザワは、年よりも老けているような印象。演じる陳内は、虚ろだが時折鈍く光る目の力と微妙に変化する声のトーンとで、くすんだ人生の時間を身に纏った男の凄みと空虚さを浮かび上がらせる。

舞台『BIRTH』

最初にオザワとコンタクトを取るユウジはまるで狂犬。粗暴だが心許した相手には懐っこく、頭は切れるが堪え性のないアウトローの典型だ。演じる杉江はアンバランスな感情の波をフルスロットルで乗りこなし、大胆さの裏に繊細な演技プランを潜ませ、決して彼を嫌いにさせない。

舞台『BIRTH』

舞台『BIRTH』

詐欺グループのバランサー的役割なのがダイゴ。教養や見識は深くないが、思いやりを知り、目の前のことを感じながら自分で考え行動しようとする素地がある。演じる梅津はそんな精神的成長著しいダイゴの“ing”を、瑞々しい感度で表現に落とし込んでいた。

舞台『BIRTH』

そして早くからひとりぼっちを経験し、“誰かと”生きる場所を探し続けているマモルは、まだ少年の匂いが残っているよう。後藤はそんなふんわり感を役に乗せつつ、ダイゴに依存しているように見えて実は包容力溢れる芯の強さを見せてくれる。

舞台『BIRTH』

全編を通じて役者たちから感じられたのは、全方向に放出される“演じることの喜び”。ヒリヒリと、そして時にユーモアも交えながらむき出しでぶつかり合っていく群像劇のパワーはとても心地よく、この4人はもちろん、他のキャストの組み合わせでもぜひ観たくなった。

椅子や照明器具、幕や小さな円形ステージなど、舞台上は打ち捨てられた劇場のあれこれが点在。役者は出番のない間も舞台上に居続け、ライトの中にいるか暗闇に紛れている。このスタイルにも独特の緊張感が感じられた。また、こちら側──1席おきに着席している実際の客席の“隙間”も妙にリアルな空間で、叩きつけるように思いをぶつけ合う姿も、そっと心の内を打ち明ける様子も、何気ない会話からそれぞれの人間味が増していく時間も、十人十色の痛みの訳も……いつしか自分自身が彼らの潜む廃劇場の中でコトの成り行きを目撃しているような気持ちになっていく。そんなすべての会話がすんなりと心に滑り込んでくるのは、今を生きる等身大の人間たちが発する、体温を伴った言葉ばかりだからなのだろう。後半、作品タイトルともリンクしていくかのようにじりじりと「母親」の存在が浮き彫りになっていくが、「母の不在」を際立たせていく乾いた空気の演出が、この物語には似合っていた。

舞台『BIRTH』

舞台『BIRTH』

乱暴な言い方をすれば、この物語の中のオザワは「普通」に属していたのに突然はじき出されてしまった、“後天的被害者”。ダイゴ、ユウジ、マモルは世間一般から見れば法を犯すことに鈍感になっている非行少年、不良少年だが、自力でサヴァイブするための“仕事”はきっちりとこなし、「普通」に属することなく生きてきた“先天的被害者”だ。そして彼らの存在を知ってしまった私たちは、作品に没入すればするほど漠然とした善悪の境界がより見えにくくなり、彼らの行き着く先に逃れられない遣る瀬無さを感じるしかない。そうだ、誰もが被害者であり、誰もが加害者でもあるのだ……と唱えながら。

そもそも人間は生まれながらに不平等である。自ずと持つ者と持たざる者が出る。知らないことは知らないし、見たことのないものは見えない。それでもこの世に生を受けたなら、死ぬまで生きていくしかないのだ。綺麗に生きていくことは本当に難しい。それでもたったひとつでも自分だけが信じられる「愛」があれば、「生まれ変わろう」という思いが芽生えれば……光ある場所でも暗闇であっても、汚れたモノ、失われたモノへの怒りはいつしか赦しに変わるのだろうか。オザワの告白を経たちょっとファンタジックなラストシーン後、なかなか鳴り止むことのなかった客席からの拍手の残響に、この作品に触れたすべての人々の慈愛を見たような気がした。

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