【イジメの犯人は?】娘の顔だけに画鋲が…証拠も手がかりもないとき親ができること
教室のクラス写真、娘の顔だけに深々と刺さった画鋲。いじめの影に怯え、傷ついた娘を問い詰めてしまった母の後悔とは。年月を経て気づいた、犯人探しよりも大切な「親が本当に守るべきもの」。暗闇の中でもがいたママがたどり着いた答えを詳しくお話しします。
▶︎いじめの原因「子どものSOS」に気づく方法と必要な「親の行動」とは19歳の女の子の子育て中のママ(48歳)です。
娘が小学生だったあのころを思い出すと、今でも胸の奥がギュッと締め付けられます。
それは、教室に掲示されたクラス写真の、娘の顔にだけ画鋲が刺されていた事件。誰が、何のために。 犯人を突き止めたいけれど、証拠も手がかりも何もない。当時の私は、ただ驚き、戸惑い、そして激しい不安に飲み込まれていました。
「これはいじめなの?」「娘に何があったの?」
親として、何を信じ、どう動くのが正解だったのか。出口のない暗闇でもがいた日々のエピソードをお話しします。
※本記事はママの実体験を取材しプライバシーに配慮し構成したものです。
教室のクラス写真に刺さった画鋲
担任の先生から連絡が来たのは、娘が小学6年生の秋のことでした。
「教室にクラス写真を掲示しているんですが、娘さんの顔に画鋲が刺さっていました。誰がやったのかはわかっていませんが、まずはお知らせしておこうと思いまして」
「えっ、画鋲? うちの娘だけですか?」
先生の申し訳なさそうな「はい」という答えに、私はどう返せばいいかわからず「娘が帰ってきたら様子を見ておきます」と返事をするのがやっとでした。
受話器を置いたあとの頭を占拠したのは、「娘はいじめられているのか」という恐怖。でも、すぐにそれを打ち消そうとする自分もいました。「ただの悪ふざけかも」「大げさに考えすぎかな」 そう思い込みたかった。
でも刺されていたのは、娘の顔だけ。偶然そうなることはあり得ない。誰かの悪意が存在しているのは明らかでした。
犯人がわからないまま、娘は孤立していった
帰宅した娘は、いつも通りに見えました。「学校で何かあった?」と聞いても、娘は「別に」とだけ答え、それ以上は何も話そうとしませんでした。
けれどその夜、ソファで隣に座っていた娘が、突然堰(せき)を切ったように泣き始めました。泣けてよかった……と思うと同時に、私は娘に「怖かったね、嫌だったね」と言うのが精一杯。
早く犯人が見つかって、なぜ画鋲を刺したのかが明らかになり、娘がこれ以上傷つかずにすむように願っていました。しかし事態は変わらず、次第に仲良しグループから外されたり無視されたり、娘を取り巻く空気は悪くなっていきました 。
これは「いじめ」なのだろうか。それとも子どもの世界でよくある「友だち関係の変化」なのだろうか。確かめようとしても、娘自身もうまく言葉にできないようで、答えは出ないままでした。
Bちゃん親子への不信感
なかでも目立つようになったのが、クラスメイトBちゃんの娘に対するきつい態度でした。
娘が友達と話そうとすると割り込んで連れていく、チラチラ見ながら内緒話をする、挨拶を無視する……。近所に住むBちゃんママも、私と目が合うとさっと視線をそらすようになりました 。
思い切ってBちゃんママに「娘がいじめられているかもしれなくて」と切り出してみたことがあります。すると彼女の目は泳ぎ、「子どものことに親は首を突っ込まないほうがいいよ。学校に任せよう」という答えが返ってきました。親子そろっての不自然な様子に、私は「やはり何か知っているのでは」という疑念を拭えませんでした。
娘に非はなかったと思いたかった
娘が傷ついているのは確かでした。けれど原因が何だったのか、私にはわからなかったのです。
親の知らないところで、娘も誰かを傷つけていたのではないか? そんな不安も私を苦しめました。「娘は悪くない」と信じたい一方で、「モンスターペアレントと思われたくない」という迷いもありました。娘に落ち度がなかったとはっきりさせたい一心で、私は何度も娘に尋ねてしまったのです。
「お友だちと何かあったんじゃないの?」
「Bちゃんと何かあったんじゃないの?」
「あなたにも悪いところがあったんじゃないの?」
最初は小さな声で否定していた娘でしたが、最後は「もう聞かないで」と言わんばかりに涙ぐみ、私から目をそらすようになったのです。
Bちゃん親子には証拠がなくて何も言えないのに、一番傷ついているわが子にだけ答えを迫ってしまった。
娘を守りたい気持ちからだったはずなのに、不安に押されるまま、私は娘をさらに追い詰めていたのです。
写真:graphica/イメージマート
「いじめかどうか」にこだわりすぎた私の後悔
担任の先生も学年主任の先生も、画鋲の件について真剣に対応してくださいました。クラス全体への働きかけや、娘の様子をこまめに気にかけるなど、学校側も最善を尽くしてくれたのです。けれど、結局のところ、誰が画鋲を刺したのかはわからないままでした。
あのときの私は、「これはいじめなのか」「犯人は誰なのか」「娘にも何か原因があったのではないか」ということばかり考えていました。娘を守るには、まず事実をはっきりさせなければいけないと思っていたのです。
けれど、答えが出ないまま時間がたつうちに、娘は少しずつ別の子たちと過ごすようになり、表情もやわらいでいきました。
犯人も理由もわからないままでしたが、娘が少しずつ落ち着きを取り戻していく姿を見て、私はハッとしました。私が必死に求めていた「正解」は、娘が安心を取り戻すために一番必要なものではなかったのかもしれない、と。
当時はとにかく必死で、そこまで考える余裕がなかったのが本音。けれど今振り返ると、私が向き合うべきだったのは、原因探しよりも、娘がどれだけ怖く、つらく、心細かったのかという「気持ち」そのものだったのだと思います。
もちろん、事実を明らかにしようとすることは大切ですが、それに囚われすぎると、一番傷ついている子どもの心を置いてけぼりにしてしまうことがあるのだと痛感しました。
答えを求めていたのは、娘のためだけではなかった
子ども同士のトラブルに直面したとき、親はつい、「どちらが悪いのか」「わが子に落ち度はなかったのか」と、答えを探したくなるものだと思います。私自身もそうでした。
でも、あのとき私が優先していたのは、娘の気持ちよりも、「親である自分の不安や焦りを解消したい」という思いだったのかもしれません。
何があったのかを知って安心したい、娘に非はなかったと思いたい、親としての対応が間違っていないと証明したい……そんな気持ちが強くて、私は答えを急いでいました。
けれど、子どもが苦しんでいるとき、親がまず向き合うべきなのは、「事実」よりも「感情」です。子どもが「つらい」と感じているなら、事実がどうであれ、その気持ちを丸ごと受け止めていいはずです。
学校に対しても、犯人探しをお願いするのではなく、「この子が安心して学校に通えるようにサポートしてほしい」と伝えるべきでした。親がすぐにできるのは、出来事そのものを解決することではなく、子どもがこれ以上傷つかないよう守ることです。安心して過ごせる環境を整え、味方でいると伝え続けることこそ、子どもにとって一番の救いになるのだと今は確信しています。
文/構成・橘サチ