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はだのの民話 〜病魔退散〜〈秦野市〉

タウンニュース

はだのの民話

むかしは、一度(ひとたび)伝染病がはやればそれこそ大変、あっと言う間に広がり、多数の死者まででたそうです。医学の発達していないころですから、どうもこうも防ぎようがありません。ただただ神様にお願いするか、おまじないに頼るか、とにかく、村人一丸となって追いはらうしか、方法がありませんでしたと。「〇〇村にエキリが発生した」という情報がはいれば、上へ下への大さわぎ、わが村には、お出にならないようにと、一早く防備をしたそうです。そんな防備とは一体どんなことだったのでしょう。早く、早くと、四本の青竹を立て、〆縄を張り、その中央にまじない人形?(何か不明)をおいて、一日中太鼓を打ち鳴らして退散を願ったそうです。

まだ、こんな話もあります。明治十二年頃、コロリ(コレラ)の大発生があって沢山の人たちが死んだそうです。このコロリの発生の前、オクリ病(熱病の一種?)が流行しましたそうな。村人たちは、これまた上へ下への大さわぎ、「厄病神を追払(おつぱら)え、厄病神を追払え」と祈り、祈り、サンダワラ(サンダワラに似た形)を作り、厄病神をのせて村境の岡の上に捨てに行ったそうです。そして、「二度と来るな、二度と来るな」と、さけんで、空鉄砲を空に向けて「ドン、ドン、ドン」と、撃ったのですと。そして縄をはり、やっとのこと胸をなぜおろし帰って来ましたそうです。そのほか、煙草の葉を沢山いぶして、その煙りに当たると病気がなおると信じられ、病人は煙りの治療をうけたのですと。なおったのでしょうかね。きっとなおったのでしょう。

戸川村(北地区)では、村境に杭をうち、荒縄を張り、道をたがやして、時ならぬ種蒔をしたのですと。その種は、さて、何だったでしょうか!まず最初に「そば」をまき、次のさくには「あわ」をまき、そして最後に「きび」をまきました。いよいよ、出来上がり。村人たちは、村境に勢ぞろい、手をつないでの大合唱。「そばまで来ても、あわずに帰れ、それでもくるならダンゴにして食っちゃあぞ」

なかば、病魔をおどして、意気を示したのですと。わらいばなしのように思えますが、実際の話のようです。このように明治の中頃までは、どこの村でも一丸となって退散行事をやっていたのではないでしょうか。

(西地区波多川、岩田イチさんの話)

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