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ジェネシス初の全英1位アルバム「デューク」離婚されてもフィル・コリンズは頑張った!

Re:minder

1980年03月28日 ジェネシスのアルバム「デューク」発売日

リ・リ・リリッスン・エイティーズ〜80年代を聴き返す〜 Vol.49
Genesis / Duke

ジェネシス=玉置浩二:安全地帯


80年代には大きな存在感を放っていた “ジェネシス” ですが、その後は元メンバーだったピーター・ガブリエルやフィル・コリンズの名前のほうが大きくなって、その陰に隠れてしまった感がありますね。日本で言えば、“安全地帯” と玉置浩二みたいな立ち位置でしょうか。

時期によってかなり音楽性が変化したバンドでもあり、ウィキペディアの日本版でも、”シアトリカル期” “プログレ期” “スタジアムロック期”などと分類しています。それぞれにファン層もかなり違ったんじゃないでしょうか。そういうことが、時とともにネームバリューが落ちていった理由かもしれないし、とにかくジェネシスだったら何でも好き、という人は少ないような気がするな。

シアトリカル期も音楽性はまあプログレと言ってよいんですが、1969年のデビューから75年まで、ピーター・ガブリエルがいた時期で、ガブリエルが衣装やステージの見せ方を重視して、コンサートを劇場化していたということで ”シアトリカル” 。だけどガブリエルは75年に突如脱退してしまう。ボーカルであり、バンドの顔であり、音楽の中心でもあったメンバーが辞めるなんて、ふつうのバンドなら終わっていたでしょうし、大多数の人がこれで解散だと思っていたようです。フィル・コリンズなんてまだ、なかなか歌のうまいドラマー、てな程度の存在感でしかなかったですし。

だけど、彼らは代わりの人材を引き入れるでもなく、何事もなかったかのように淡々と、1年2ヶ月後には次のアルバムをリリースします。7枚目のアルバム『トリック・オブ・ザ・テイル』(A Trick of the Tail)ですが、それまでの作品より劣るどころか、過去一の売上となりました。これはひとえにコリンズのおかげでしょう。

特に、その歌唱が、ガブリエルの不在を補って余りある実力と魅力を備えていたことが大きかった。またドラムプレイも以前より力強くのびのびしています。ガブリエルのコントロールがなくなって、開放的な気分だったのか、ガブリエルというヴィジュアル面での強みを失った分、サウンドの充実に注力したのか、ともかくそれまでの、何というか、耽美的な世界から、よりロック寄りな骨太のプログレサウンドに変身しています。

アルバム「デューク」はスタジアムロック期?


そして、ウィキでは1979年から95年までを ”スタジアムロック期” としています。さらにギタリストのスティーヴ・ハケットもバンドを離れて、コリンズと、マイク・ラザフォード(ベース / ギター)、トニー・バンクス(キーボード)の3人体制になり、その名も『そして3人が残った』(..And Then There Were Three...)というアルバムが1978年、その次のアルバム『デューク』が1980年ですから、ウィキに従えば、その間にスタジアムロックに変わったことになりますが、そんなことはありません。音楽性でいえば、1981年のアルバム『アバカブ』(Abacab)からが、堂々たるポップロックとなり、メジャー感が倍増しているので、ここからスタジアムロックとしたほうがいいでしょう。

つまり、『デューク』はもうプログレ期ではないと認識されつつ、でも音楽性はスタジアムロックではないという、なんとも中途半端な存在なんですが、たしかに内容もそんな感じで、元気なプログレ『そして3人が残った』や、ポップロックに振り切った『アバカブ』に比べると、どうも地味で垢抜けないのです。

何かあったのだろうか? と調べてみると、やっぱりね。コリンズの家庭問題。ロックスターにはありがちなんですが、ツアーで家を空けることが多いので、奥さんからもう愛想つかされてたんですね。『そして3人が残った』の後のツアーに出るときに、「帰ってきたら家にはもういませんから」なんて警告されたんですが、コリンズは奥さんの気持ちも分かりつつ、バンドがもうすぐアメリカでもブレイクできそうなその時期、ツアーに穴を空けるわけにはいきませんでした。するとほんとに、奥さんは子どもたちを連れて家を出て、カナダのバンクーバーに行ってしまいました。ツアー終了後、コリンズは慌てて、ジェネシスの2人とマネージャーに相談し、バンド活動をしばらく停止してもらい、自分もバンクーバーに行って、関係修復を試みました。

その間、バンクスとラザフォードはそれぞれ初のソロアルバムを制作。いい経験にはなったでしょうが、これが結果的に、『デューク』用の曲の不足にもつながります。

コリンズは残念ながら関係修復に失敗、つまり離婚となって、失意のうちにロンドンに戻りました。曲はいろいろつくっていて、「夜の囁き」(In the Air Tonight)も既にできていたのですが、ソロアルバムの計画もあって、「夜の囁き」含め、目ぼしい曲は初のソロアルバム『夜の囁き』(Face Value)に収録されることになります。

シングルカットされた「君のTVショウ」はポップ路線


ということで『デューク』は、メンバー3人がそれぞれ2曲を提供し、それ以外はリハーサルをしながら3人でつくり上げるという方法がとられました。私はこのアルバム、全体的に曲のパワーに欠けるように思うのですが、以上のいきさつを知って、さもありなんと腑に落ちました。サウンドも、引き続きプログレ路線なんだけど、なんとなく、もう自分たちでちょっと飽きて、違う道を開拓しようとしつつ、まだ見えていない、というような中途半端さを感じます。

シングルカットされた「君のTVショウ」(Turn It on Again)は、ポップ路線を意識したのか、彼らとしてはおそらく初めての、8分刻みのギターコード・カッティングにトライ。でも4拍子を基調にしながら2拍子や3拍子も入ってくるという、プログレ野郎の悪いクセが出てしまって、ポップになりきれてないという残念曲。「誤解」(Misunderstanding)もシングルですが、もう少しアレンジが思い切りよければ、ジェリー・フィッシュの「ニュー・ミステイク」(New Mistake)やTOTOの「ホールド・ザ・ライン」(Hold the Line)のようにカッコよくなったのに、とこれも残念。

ジェネシス初の全英1位アルバム


ーーと言いながら、このアルバム、彼らにとって初の全英1位を獲得したんですけどね。でもそれは、前作『そして3人が残った』(全英3位)がよくて、期待票が集まった結果かも、なんて私は思っているんですが、ともかくメンバーたちはうれしかったでしょう。

で、コリンズとしては、その後、ピーター・ガブリエルの『Ⅲ』(1980年5月発売)に参加して、以前、ピーター・ガブリエル「Ⅲ」80年代を席巻するゲートリバーブが世界初登場!」でも書きましたが、ドラムの革新的な音響効果である “ゲートリバーブ” を、エンジニアのヒュー・パジャムとともに編み出したんですね。それで、ソロアルバム『夜の囁き』でもパジャムと組み、そのゲートリバーブを大いに使って、大成功させます。これが音楽的にも売上的にも、彼にとって非常に大きな自信となったと思います。

その勢いで、ジェネシスにもパジャムをエンジニアとして招いて、『アバカブ』という『デューク』とは打って変わった、思い切りのいいポップロック・アルバムをつくり、アメリカ市場も制覇していくのです。“歌は世につれ” という諺ならぬ、”歌は家庭につれ” というお話でした。

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