まつながまるっとプロジェクト 〜 地域資源と新しい力で松永エリアに再び活気を!中学生が始めた地域活性化の取組/福山市
広島県「松永市」。
かつて福山市と尾道市の間にあった自治体です。中心部は江戸時代に製塩と宿場で栄え、近現代は下駄の生産で名を馳せました。
しかし、松永市は1966年に旧 福山市と新設合併し、現 福山市を設立するとともに、同市の松永エリアになります。近年は松永中心部の人通りが少なくなっていることが課題に。
そこで松永エリア(旧 松永市域)を盛り上げ、かつての活気を取り戻すために立ち上がった任意団体があります。
その団体は「まつながまるっとプロジェクト」です。
取組を始めたのは、なんと中学生でした(開始当時)。やがて仲間が増え、イベント開催などさまざまな取組を展開しているのです。
まつながまるっとプロジェクトの活動内容や発足の経緯などについて紹介します。
松永エリアを盛り上げる、まちづくり・地域活性化の任意団体
「まつながまるっとプロジェクト」は、福山市西部の松永エリアを盛り上げる取組をしている、まちづくり・地域活性化の団体(任意団体)。
代表者の本多春翔(ほんだ はると)さんは2026年4月現在、現役の大学生です。
本多さんは、まつながまるっとプロジェクトの発起人の一人であり、発足したのは2023年。取組自体は、2022年12月から始まっています。なんと当時、本多さんは中学生でした。
本多さんは、生まれも育ちも松永エリア。しかし、現在の松永エリア、特に松永駅周辺などの中心市街地の元気がないことが気がかりだったそうです。
松永駅北口から「松永駅入口」交差点まで延びる約200mの通り沿いには、店が多く建ち並んで商店街を形成していました。
しだいに店舗は減少していき、商店街の組合も解散。人通りも減少していました。
「この状況を変えたい」と本多さんらは決意し、自分たちのできることを始めたのがまつながまるっとプロジェクトの始まりです。
発足当初のメンバーは、本多さんを含め4人ですが、取組を続けていくうちに少しずつ仲間が増え、2026年4月時点で約30人にまで増加しました。
世代は10代から80代まで幅広く、松永住民だけでなく、市内の他エリアや府中市などの市外からの参加者もいるそうです。
製塩業や下駄製造で栄え、街道の宿場もあった松永エリア
松永エリアは、どんな地域なのでしょうか。そこで松永エリアの概要を紹介します。
松永エリアは、福山市の西部に位置する地域。西は尾道市と隣接し、尾道市東部の高須町と連続した平地や市街地が続いています。
松永エリアは、かつて「松永市」という単独の自治体でした。1966年(昭和41年)に旧 福山市と新設合併(対等合併)し、現 福山市を設置。松永支所が設置され、福山市松永エリアになりました。
松永エリアは、中部を東西に国道2号線やJR山陽本線が走り、JR松永駅があります。
北部を東西に国道2号線バイパス(松永道路)や山陽自動車道が通り、福山西インターチェンジがあります。松永エリアは、しまなみ海道(西瀬戸自動車道)へアクセスする、自動車交通の結節点です。
また、エリア北西の丘陵部には福山大学もあります。
松永エリアのうち松永町は、大部分が江戸時代に干拓されて生まれた土地で、製塩業で繁栄しました。松永町の北側の今津町は、東西に西国街道(近世山陽道)が通り、福山・神辺と尾道の中間の宿場としてにぎわった場所です。
近現代になると、松永エリアは下駄(ゲタ)の製造で栄え、「松永下駄」として地域の名産になりました。現在も国内有数の下駄の製造数を誇ります。
おもな取組
まつながまるっとプロジェクトの取組は、多岐にわたっています。
まつながまるっと運拾い(地域清掃)
「まつながまるっと運拾い」は、まつながまるっとプロジェクトで初期のころからおこなわれている取組です。
毎月第3土曜日の午前8時30分から午前10時まで、松永エリア内でゴミ拾いをおこないます。
本多さんの話では、プロ野球・大谷翔平選手のゴミ拾いの習慣にヒントを得て始めたと言います。
「大谷選手は『ゴミは人が落とした運。拾うことで運を拾う』と考えていることを知り、松永エリアでのゴミ拾いの取組を始めました」
SNSで、事前に次回の「まつながまるっと運拾い」の開催場所が告知されます。
事前申し込みは不要なので、参加希望の人は当日に現地へ直行してください。
つれのうてまつなが~いNIGHT
「つれのうてまつなが~いNIGHT」は、午後7時〜午後9時の時間帯に開催される、出入り自由のカジュアルな対話の場です。
誰でも参加可能なため、参加者の職業や年齢・性別は多彩。さまざまなテーマについて、ざっくばらんに話をします。
福山市まちづくりサポートセンターが開催している「つれのうてNIGHT」に共感し、その松永エリア版という形で開催されました。
つれのうてまつなが~いNIGHTは2026年3月までは毎月開催され、4月以降は不定期開催になります。
まつながハロウィン
「まつながハロウィン(HALLOWEEN)」は、まつながまるっとプロジェクト主催イベントで、最初の大規模イベントとして開催されました。
本多さんは開催の経緯を「松永駅周辺、特に松永駅北口周辺ににぎわいを創出し、松永エリアの活性化につなげる目的で開催しました」と話します。
本気のゾンビメイクを楽しめる「まつながゾンビメイク」、およびゾンビやオバケをモチーフにしてアーケードを生かした写真が撮れる「ハロウィンフォト」。
さらに世界の料理が味わえる「ワールドビュッフェ」。かつて松永で生産が盛んな下駄にちなんだ「ゲタタワー競技会」などがあります。
2025年は「松永駅北口」交差点から「松永駅入口」交差点までの旧商店街の通り約120mを歩行者天国化して開催。
開催日は1日でしたが、雨天にもかかわらず合計約5,000人が来場し、大変にぎわいました。
「開催3年目で公道を歩行者天国化しておこなえるようになったのも、私たちの地道な取組が多くの人に伝わってきたからなのかもしれませんね」と、本多さんは喜びます。
せせらぎイルミ
「せせらぎイルミ」は、松永エリアで12月中旬〜翌年1月下旬に開催される、イルミネーションイベントです。
「松永はきもの資料館」の東側にある「せせらぎ公園」を、イルミネーションで飾ります。
せせらぎ公園は、かつて製塩で使われた水路の跡を保存し、公園にしたもの。
せせらぎ公園は、かつて製塩業で栄えた松永の歴史を残す、数少ない遺産の一つ。しかし、地元の人にさえ、あまり知られていなかったそうです。
「松永を支えた産業の歴史が、少しでも地元の人の記憶に残るような方法はないかと考えた末、倉敷みらい公園のイルミネーションイベントをヒントにして思いつきました」と、本多さんは開催経緯を振り返ります。
せせらぎイルミは2024年に初開催され、好評だったため2025年も引き続き開催されました。
まつながる カラコロ夜店
「まつながる カラコロ夜店」は、松永駅北側の旧商店街通りで開催される夜市イベントです。
「松永駅北口」交差点から「松永駅入口」交差点までの約120mの通りを歩行者天国化し、露店やキッチンカーなどが約30店も出店し、多くの人でにぎわいます。
かつて松永駅北口周辺では、夏場の金曜日に夜市がおこなわれ、大変にぎわっていましたが、約30年前を最後に終了していました。
「まつながハロウィン」をおこなう中で、地元の人から『かつてあった金曜夜市を復活してほしい』という声を何度もいただきました」と本多さん。
この声を受け、夜市の復活が決定したのです。
そして2025年7月25日の金曜日に「まつながるカラコロ夜店」が開催され、約5,000人もの人が来場しました。
なおイベント名称の「まつながる」は、「松永」と「繋がる」を掛け合わせた造語。
また、「カラコロ」は松永が下駄の名産地であることから、下駄を履いたときの足音にちなんでいます。
松永駅北口アーケード解体作業
松永駅北口から「松永駅入口」交差点までの約200mの通りは、かつて商店街でした。しかし店舗数の減少から商店街組合は解散。
そのため通り沿いのアーケードは老朽化が進行し、場所によっては危険なところもありました。
そこで、地元の有志で沿道の店舗や物件所有者の協力を得、順次アーケードを解体していくことにしました。
まつながまるっとプロジェクトは、広報担当として関わっています。
本多さんは「『解体作業会』としてイベント化することで、誰でも参加しやすいようにしました」と、工夫点を語ります。
アーケード解体作業会は、不定期での開催です。
巨大ばらゲタプロジェクト
まつながまるっとプロジェクトでは、2025年に開催された「福山世界バラ会議」に向け、松永の名産品である下駄とバラを掛け合わせた巨大オブジェを制作しました。
下駄オブジェのサイズは、幅約1.2m・高さ約1.8mもあります。発泡スチロール製で、表面にティッシュペーパー製のバラを飾りつけました。
ワークショップの形で開催し、参加した人にバラの飾りをつくって飾ってもらう、市民参加型のアートプロジェクトです。
「世界バラ会議は、福山を世界に発信できる一大イベント。松永エリアで活動する私たちも、何らかの形でPRして協力したいと思ったのがきっかけでした」と本多さん。
完成した下駄オブジェは、バラ会議開催中は会場で展示されました。終了後は、松永はきもの資料館に展示されています。
松永エリアに活気を取り戻すため、さまざまな取組を展開する、まつながまるっとプロジェクト。
発起人の一人で、団体の代表者である本多春翔さんにインタビューをしました。
本多春翔 代表へのインタビュー
福山市西部・松永エリアを活性化する団体「まつながまるっとプロジェクト」。
発起人の一人で、団体の代表者である本多春翔さんに取組を始めた経緯、苦労した点、今後の展望や課題などについて、話を聞きました。
もう一度、松永エリアに活気を呼び戻すために活動を開始
──設立の経緯を教えてほしい。
本多(敬称略):
中学校のとき、授業で「松永エリアの良いところを探す」というものがありました。そのとき、同級生は松永に魅力を感じておらず、他地域へ移り住みたいと話していたのです。
私は一度松永の外に出たとしても、再度松永に帰ってきたいと考えていたので、とてもショックを受けました。
しかし、たしかに自動車中心の生活スタイルに変化したこともあり、松永駅周辺は店が減って、人通りが少ないという現実があるのも事実。
かつては単独の市で、しかも旧 福山市・現 福山市と合併した自治体の中で新設合併(対等合併)をした唯一のエリアが松永です。もう一度、松永エリアに活気を呼び戻したい気持ちがわき上がりました。
そこで、自分たちで何かできないかと思うようになりました。そして2022年12月に、個人的にまわりの人に声がけをして松永駅北口周辺でのゴミ拾い活動を開始。
ゴミ拾いは、中学生だった私でも低資金で開始できるからです。
その後、何度かゴミ拾いを開催しましたが、やがてほかにも松永のためになるような幅広い取組をしてみたいと感じるようになったのです。
しかし当時、私はまだ中学三年生。そこで福山市でさまざまな活動をしている、社会人の知り合いに相談しました。
その人から、法人格を持った団体だと設立のハードルがいろいろあるが、任意団体という形なら柔軟な活動ができ、設立もしやすいことをアドバイスしていただいたのです。
さらに、相談相手が活動に協力していただけることになり、さらにその人の紹介で松永在住の人と、当時大学生だった人にも協力していただけることに。
こうして2023年に任意団体「まつながまるっとプロジェクト」を立ち上げました。
設立にあたり、ささやかながら記者会見を開いたんです。それを報じたメディアの内容を見て、趣旨に賛同し、参加希望者が数人現れたのはうれしかったですね。
4人で設立しましたが、すぐに10人弱にメンバーが増えました。
その後もメンバーは少しずつ増加していき、イベントに参加してくれた人の中から、新たにメンバーに加わった人も多いです。今では(2026年4月)、約30人のメンバーで活動しています。
ゴミ拾いやワークショップから始まり、やがて主催イベントの開催も
──最初は、どのような取組から始めたのか。
本多:
最初の取組は、ゴミ拾い活動「まつながまるっと運拾い」です。さきほど話したように、設立前からゴミ拾い自体はしていました。
設立前との違いは、新たに名称を考えたこと、SNSで告知して多くの人が参加できるようにしたことです。
次に取り組んだのが、2023年6月に開催した「柿渋染めの風呂敷づくり」のワークショップです。
そして同年10月に、大きな主催イベントに挑戦しました。それが「まつながハロウィン」です。
これは、多くの人を松永に呼びこみ、地域に活気を呼ぶのが一番の理由です。同時に、団体主催イベントを開催することにより、資金を集め、以降のイベントや取組につなげることも理由でした。
活動初期は知名度不足による社会的信用度の低さに苦しんだ
──取組を続けてきた中で、大変だったこと、苦労したことはある?
本多:
やはり、活動初期のころは知名度不足と、それに伴う社会的信用度の低さを痛感しました。
イベントなどを開催しようにも、行政や関連する組織から許可を得られないことがあったのです。
たとえば、まつながハロウィン。最初は旧商店街の通りを使ってやろうと考えました。しかし知名度がなく、社会的な信用も低かったことから公道使用の許可が出ませんでした。
なんとか松永駅北口近くにあるスーパーマーケットの協力を得ることができ、スーパー敷地内をお借りして、第一回のまつながハロウィンを開催できたのです。
その後、地道にゴミ拾いやイベント開催などを続けてきたことで、地元で声をかけられることも増え、少しずつ知名度が向上し、社会的信頼度の向上につながりました。
そして2025年には公道使用の許可を得られ、旧商店街の通りを歩行者天国化しての開催が実現したのです。
夜市の復活の声が寄せられたのも、そして「まつながる カラコロ夜店」の開催を実現できたのも、地道な取組を続けてきたことで得られた地元からの信用があったからだと思います。
今では、福山市(おもに松永支所)などの行政や、商工会議所、ライオンズクラブなどとの連携も生まれました。
「昔は良かった」ではなく「昔良かったことは次世代にも体験してほしい」へ
──取組でこだわっていること、力を入れていることは。
本多:
設立して決めたテーマがあります。それは「人とまち。ワクワクの一歩」です。人づくりとまちづくりは、イコールだと考えています。
まちづくりを通じて人が成長することで、さらにまちが活気づいていくと思うのです。ただ、人づくりやまちづくりという言葉だと、どうしても固いイメージがあるなと思いました。
そこで「イベントへの参加きっかけに、地域を盛り上げる取組に興味を持ってもらいたい」という思いがあったので、「ワクワクの一歩」という言葉も加えました。
2025年8月には、新たに団体の活動意義を表す言葉(パーパス)として「地域資源と新しい力で、次世代が誇れる松永を取り戻す」を制定。
それまでの取組を振り返り、さらに取組を進化させるために、考えました。
「松永という地域とそこにある資源を生かす」こと、「メンバーそれぞれのすぐ次の世代にその資源を承継すること」が目標です。
具体的には、ハロウィンイベントや夜市イベントは旧商店街という地域資源を生かし、イルミネーションイベントはせせらぎ公園を生かしています。
大切にしたいのは「昔は良かったね」ではなく、「昔良かったことは、今後の世代にも体験してもらいたい」という気持ちです。まさに復活した夜市は、その気持ちが体現されたものでしょう。
松永市・旧福山市の新設合併60周年に向けて
──今後やってみたいことや課題点などを教えてほしい。
本多:
2026年は、松永市と旧 福山市が新設合併して60周年になります。年配の人の中には、松永市と旧 福山市が”対等”な立場で”新設合併”したことに誇りを持っている人も多いです。
そこで、私たちで60周年を盛り上げるイベントができないかと、現在考えている最中です。
あと、地元の人からの声で、金曜夜市を復活させました。それと同じくらい地元の人から言われるのが「ゲタリンピックを復活させてほしい」というもの。
ゲタリンピックは、1993年に始まった松永名産の下駄による地域活性化のイベントです。下駄にちなんださまざまな競技がおこなわれました。
しかし、2020年の新型コロナウイルス感染症の流行を機に開催終了になってしまったのです。
これだけ多くの声があるということは、松永を代表する一大イベントだという証拠ではないでしょうか。
しかし、このような一大イベントを復活させるには、まだまだ現在のまつながまるっとプロジェクトでは力不足だと考えています。しかし、やり方はいろいろあると思っています。
一つはもっと団体の力を付けて復活にこぎつけること、もう一つは復活とは違う新たなやり方を見つけること。どちらが有効なのか考えていきたいと思っているところです。
現在、私は広島修道大学の国際コミュニティ学部の地域行政学科に進み、地域づくりや地方行政について学んでいます。卒業後は、松永エリアに居住を続け、学んだことを生かして地元をさらに活気づけたいですね。
松永が好きであれば誰でも参加できる、松永を盛り上げる団体
本多さんの話では、まつながまるっとプロジェクトは松永在住や出身・ゆかりがある人以外でも、参加が可能だそうです。
松永エリアが好きだったり、良くしたいという思いがあったりすれば、誰でも参加できるとのこと。
「『昔は良かったね』ではなく、『昔良かったことは、今後の世代にも体験してもらいたい』」という思いのもと、松永エリアを盛り上げる多彩な取組を展開するまつながまるっとプロジェクト。
今後、どのような取組が繰り広げられるのか。まつながまるっとプロジェクトの活動に注目です。